戦国時代、堺と並ぶ自治都市であった平野は、郷内の安全のため集落のまわりを濠で囲み、各方面に通じる13の木戸口を設けていました。それぞれの木戸口には、門や地蔵堂があり、これを平野十三口といいました。
現在、木戸口はなくなっていますが、地蔵堂とその名称によってかつての位置を知ることができます。場所は、『きらめきの再百見』*1、「平野区うぉ〜くらり〜マップ(平野郷コース)」*5の地図に掲載されています。『大阪春秋 第44号』*2所収の「平野十三口の地蔵尊」(久志本秀大 著)には、各地蔵尊の白黒写真が掲載され、安置時期などがくわしく書かれています。また、十三口のうち、唯一現存しない杭全神社入り口の地蔵尊は、国道25号線の開設により移転し、移転先ははっきりしないことが記されています。
各地蔵尊は、地域住民によって守られており、その祭祀の様子は、『大阪のお地蔵さん』*3、「空間演出と運営主体からみる歴史的資産の継承についての研究 : 旧平野郷 十三口地蔵を事例として」*4からうかがうことができます。