このブラウザは、JavaScript が無効になっています。JavaScriptを有効にして再度、お越しください。
ログイン
ログインID
パスワード
モバイルメニュー
モバイル版トップページ
お知らせ
本を探す(PC)
利用状況確認(PC)
利用案内(図書館を使う)
大阪市立図書館の一覧・アクセス
開館日・開館時間(開館カレンダー)
来館して利用する
インターネットで利用する
携帯・スマートフォンで利用する
電子図書館サービス
電話(音声応答サービス)で利用する
障がい者サービス
対面朗読サービス
外国語資料
教科書センター
調べる・相談する
調査相談(レファレンス)サービス
調べかたガイド
雑誌・新聞リスト
調べものお役立ちリンク集
商用データベース
電子書籍 EBSCO eBooks
ビジネス支援
おおさか資料室
デジタルアーカイブについて
横断検索・OMLINサーチ
読書推進活動
子どもにすすめる本
あなたにこの本を!
としょかんポイント
テーマ別リスト
Webギャラリー
大阪市内の学校支援
学校図書館活用推進事業
こどものページ
ティーンズのページ
One Book One OSAKA
図書館を知る(about us)
図書館の活動
図書館からの情報発信
寄附・寄贈のお願い
目標と評価
アンケート
規則
統計
年報
入札契約情報・広告事業
職員採用情報
図書館のあゆみ
大阪市立図書館紹介記事情報
大阪市立図書館へのご意見・ご要望
大阪市立図書館 各館一覧
中央図書館(西区)
旭図書館
阿倍野図書館
生野図書館
北図書館
此花図書館
島之内図書館(中央区)
城東図書館
住之江図書館
住吉図書館
大正図書館
鶴見図書館
天王寺図書館
浪速図書館
西成図書館
西淀川図書館
東住吉図書館
東成図書館
東淀川図書館
平野図書館
福島図書館
港図書館
都島図書館
淀川図書館
自動車文庫(BM)
大阪市史編纂所
よくある質問FAQ
障がい者サービス
言語切替:
日本語
English
中文(簡)
한국어
やさしいにほんご
共通メニューなどをスキップして本文へ
モバイル版トップページへ
トップ
お知らせ
蔵書検索
利用案内
調べる・相談する
図書館を知る
市立図書館一覧
トップ
>
おおさか資料室
> 大阪に関するよくある質問
大阪に関するよくある質問
図書館に寄せられるよくお尋ねのある質問と回答をまとめてみました。
大阪に関するよくある質問
>> コンテンツ詳細
質問
京街道について
回答
京街道は、大阪の京橋と京都の伏見を結ぶ歴史ある街道で、その全長は38.5kmに及びます。『日本歴史地名大系 28-[1]』*1および『大阪の街道』*2によると、豊臣秀吉による淀川左岸の文禄堤の構築によって成立しました。文禄堤は文禄3(1594)年に工事が開始された治水工事と軍用道路を兼ねた土木事業でした。その後大坂城、淀城、伏見城が築かれると、この大坂と伏見とを結ぶ最短路として、諸大名を動員した淀川左岸の築提工事に伴う堤防道として誕生したのです。
京街道の起点は大阪城の京橋口の北の京橋であり、終点は京都の鳥羽口(南区)と伏見の京橋でしたが、明治時代の大阪府の道路行政上では起点は大阪市中央区所在の高麗橋元標となりました。大阪府下の経過地は高麗橋元標から東横堀の東側を北へ葭屋橋東詰を東へ京橋に至り、片町を通って野田橋から野江、今市から守口に入り、北行して淀川左岸堤防上を枚方に進み、宗左の辻(角野宗左という商人の屋敷がこの辻にあったので呼んだもの)で左折し北に向かい、磯島、渚、三栗(めぐり)、上嶋、樟葉を経て大阪府京都府の境界の八幡市橋本小金川に入ります。『京街道』*4には都島区内の京街道についてくわしく書かれています。「京橋を北へ渡り、相生西之町から片町を東へ向かうと、左手に再び橋が現れます。鯰江川に架かる野田橋です。(野田橋は明治43(1910)年、この橋以西の鯰江川が埋め立てられたことにともない姿を消しました。現在はその跡地に昭和13(1938)年に立てられた碑があるのみです。)京街道はこの野田橋を北に渡り鯰江川の北岸をさらに東、現在の京阪京橋駅方面へと続きます。(後略)」京阪京橋駅を北に越えた東野田二丁目付近や、都島中通三丁目付近を通り、内代町一丁目付近で都島区に別れをつげ、七曲りと呼ばれる屈曲した道があることで知られる旭区関目方面へと続いていきます。
京街道という名称は、明暦3(1657)年に出版された『新板大坂之図』という地図に「京かいたう」(京街道)と記されているのが最も古い時期のものです。その後、大坂で出版された本や地図などには「京路」「京師往還の本街道」などと表記されています。京街道は、江戸幕府が東海道の一部とみなして整備をはかりました。京街道は公式には東海道と呼ばれ、主要路とみなされていました。江戸から京都までの東海道はいわゆる東海道五十三次となり、この東海道から大津で分かれた京街道には4つの宿が置かれ、五十三次と合わせて五十七次を数えました。また、『みやこじま史跡てくてく探訪』には、江戸時代には、大坂が天下の台所として栄えるにつれ、その利用度も増し、参勤交代の大名や商人旅人などで大いににぎわったとあります。『都島区史』*5によると、現在の京街道は、戦前に施行された土地区画整理事業のため、全く町並みの変わったこところもあり、京街道の跡をたどるのは、現在では、残念ながら、わかりにくくなっています。しかし、城北運河(城北川)古市橋から、森小路二丁目、千林二丁目を経て今市に至る旧街道は、昭和63(1988)年に市が設けた旧街道顕彰の碑と道標があり、この区間では昔の街道の様子がおぼろげながら実感できます。
参考文献
*1『日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1』平凡社 1986 書誌ID 0000156512
*2『大阪の街道』神野清秀著 松籟社 1989 書誌ID 0070001834
*3『京街道』大沢研一著 都島区役所編 都島区役所 2003 書誌ID 0010548354
*4『みやこじま史跡てくてく探訪』都島区コミュニティ協会共編 都島区役所共編 都島区コミュニティ協会 1990 書誌ID 0080276785
*5『都島区史』大阪都市協会編集 都島区制五十周年記念事業実行委員会 1993 書誌ID 0000336170
都島区
交通
記入者:
おおさか資料室管理者
PCトップページを表示する
このページの先頭へ