昭和35(1960)年の住宅地図を見ると、勝山通北側に「御勝山公園」が確認できます。
『生野区誌』p.224「御勝山」の項によると、御勝山は雑木と熊笹に覆われた立入禁止の場所でしたが、昭和23年に公園化され一般に開放されました。
鬼ごっこをされた小山の部分が「御勝山古墳」です。前方後円墳で、現在は前方部分と後円部分の間に勝山通が東西に走っています。北側に位置する「後円」の部分が古墳として保存されており、現在は勝山通北側の勝山北3丁目に「御勝山古墳」が、それを挟む形で東西部分に「御勝山公園」があります。 昭和初期には、古墳北側部分の墳丘の西から南側に水をたたえた濠があり、当時の写真が『郷土史生野』1号p.3に掲載されています。濠は昭和30年代に危険であると埋めたてられ、墳丘の周囲にもコンクリート柵がめぐらされました。 勝山通南側の勝山南3丁目は前方後円墳の「前方」部分にあたります。こちらには昭和8(1933)年から昭和43(1968)年まで、大阪管区気象台がありました。『郷土史生野』8号p.7-9に詳しく記されています。移転後の跡地は「御勝山南公園」になっています。(2023年10月.20日 生野図書館)
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