西成区を舞台にしたドラマ「ふたりっ子」にも登場した地下道ですが、西成区役所発行の『人情マガジンにしなりvol.15(2015年秋号)』に、「西天下茶屋地下道トンネルの秘密」として掲載されている内容以上のことは図書館でもわかりませんでした。
西成図書館で所蔵している昭和11年の地図で、柳通五丁目および潮路通二丁目で南海高野線と交差している道があるのは確認できるのですが、線路の上を通っているのか、地下をくぐっているのかは判別がつきませんでした。
踏切警報機が設置されていると地上に道があることになるので、『南海鉄道発達史』p.453踏切警報機一覧で踏切警報機の有無を確認しました。昭和13年6月末には南海鉄道高野線に12の踏切警報機があることが確認できますが、該当の箇所と思われる踏切は見当たりませんでした。ただし一覧の踏切の数からも明らかですが、当時は線路の横断箇所全てに踏切があったわけではないので、踏切が無いことで、地下をくぐっていたとは必ずしも言い切れません。
現在も残る地下道を確認しましたが、竣工年月日等を彫り込んだ銅版や定礎板のようなものは見当たりません。残念ながらいつから地下道ができたかについては判明しませんでした。
なお、高野線の複線化については、『南海鉄道発達史』p.15に高野線複線開業の一覧があり、大正15年12月3日に西天下茶屋から岸里間が複線化されています。その後、昭和5年4月12日に木津川から西天下茶屋間が複線化されました。
地下道は西天下茶屋から岸里間にあるので、大正15年の複線化の際に線路は高架になっていたと推察されます。そうすると思い出の「物心がついた頃すでにあった」との話とも一致します。ただし現在の地下道はコンクリートですので、耐用年数から考えますと、当時とは面影が違うと思われます。(2018.1.23 西成図書館)
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