タイトル |
相川とその周辺 |
投稿者 |
81歳 |
いつ頃 |
昭和30年頃 |
思い出 |
私が相川に来たのは昭和30年頃です。その頃相川駅は吹田東口駅となっていたり淡路駅から千里山行きの電車が出ていて。千里山が終点、その先はまだなかった。相川と吹田市の間に架かっている京阪橋と高浜橋は木製の橋で、大雨で流されたりした。安威川に堰があって水深もあった。夏、橋の上から子供たちが飛び込んで遊んでいた。夜間は網を仕掛けておくと鮒、鰻が採れた。 |
場所 |
相川 千里線 京阪橋 高浜橋 安威川 |
補足・追加情報 |
『阪急京都線・千里線』には相川駅は「昭和3年1月16日に吹田町駅の駅名で開業した。その後、昭和5(1930)年9月15日に京阪吹田駅と改称、さらに昭和18(1943)年10月1日に吹田東口駅と改称した。現在の駅名になったのは戦後の昭和29(1954)年5月1日である。」(p.16)とあります。また、千里山駅は「大正10(1921)年10月26日の開業以来40年以上にわたり終着駅だったが、昭和38(1963)年8月29日に新千里山(現・南千里)まで延長されるにともない途中駅となった。」(p.66)とあります。 『大阪の橋』p.432の安威川にかかる橋は新京阪橋と上高浜橋となっています。京阪橋は『こんなにあった東淀川区の橋』巻末地図では大阪経済大学付近の水路あとにあります。また高浜橋は『大阪の橋』p.286に「明治11年に神埼川が付け替えられたことにより…現在の高浜橋の位置に橋が架けられた」そうで、それ以前は現在の上高浜橋の位置とほぼ同じだったそうです。投稿者の思い出の橋は、現在の新京阪橋、新高浜橋であったように思われます。 『東淀川区史』p.165で、上高浜橋、新京阪橋はそれぞれ昭和14(1939)年、15(1940)年に設置され、木製であったことが確認できます。また、安威川の堰は、昭和14年に建設され、「毎年五月より十月まで閉鎖し、上新田・下新田方面の農地へ灌漑用水を供給」(同書p.162)していると書かれています。(2019.3.8 東淀川図書館) |
参考文献 |
|
受付日 |
2017年9月30日 |
利用条件 |
オープンデータとして、CC(クリエイティブコモンズ)ライセンスにおけるCC BY-SA 4.0で提供いたします。大阪市立図書館オープンデータの取り扱いについては、オープンデータについてページをご覧ください。 |