昭和46年の住宅地図で確認しました。
イズミヤ平野ショッピングセンターから空き地をはさんで「ユニチカボウルヒラノ」の記載がありました。まわりは空き地でしたが、昭和49年(東住吉区から平野区が分区した年)の地図では、北側の空き地に「ヒラノボウル」ができていて、南側の空き地には、ボウリング場専門駐車場が作られていました。この地域にはニチボー平野工場がありましたが、昭和44年に合併によりユニチカ株式会社が誕生し、同じ年に工場は閉鎖解体されました。なお、現在そこには大阪市立平野北中学校(昭和53年開校)があります。
昭和45年の朝日新聞の記事によると、この年全国でボウリング場が1,000を突破したとありますが、ブームのピークの昭和47年ごろには3,697に達していて、激増の様子が伺えます。大ブームの中で、平野区にも多くのボウリング場がつくられたようです。(2017.12.28 平野図書館)
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