Webギャラリー「大阪の通りと筋」
インターネット上のバーチャルなテーマ展示です
大阪の通りと筋 |
展示開始日:2024年09月01日 |
大阪の中心部の道は、南北方向は「筋」、東西方向は「通り」とつく名称で呼ばれることが一般的です。しかし例外もあり、島之内の八幡筋や三津寺筋のように、東西方向であっても「筋」とつくものもあります。 御堂筋、堺筋、四つ橋筋、天神橋筋、土佐堀通、高麗橋通、本町通、長堀通、通天閣本通の9本の道に関連する画像を紹介し、大阪の町を構成する通りと筋をたどります。 |
明暦3(1657)年に発行された地図の複製資料です。大坂城のある東を上にした構成になっており、縮尺は度外視で東西が長く描かれています。現在は、御堂筋など南北の筋がメインストリートとされていますが、江戸時代の大阪では東西の軸が町の中心でした。これは、東横堀川や西横堀川を通じて船場へ物資が運ばれ、東西の通りに大商家が多く立地することとなったためです。 |
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御堂筋は、大阪市の第一次都市計画事業として策定され、大正15(1926)年に着工し、昭和12(1937)年に完成した幅44メートルの道路です。名前は、本町をはさんで北御堂(西本願寺)と南御堂(東本願寺)ががあるため名づけられたとされています。当時の御堂筋は、両方向に車両が走っていますが、日本万国博覧会が開催される約2か月前の昭和45(1970)年1月11日から、渋滞対策として梅田新道以南が南方向の一方通行になりました。地下にはOsaka Metro御堂筋線が走り、大阪のメインストリートとなっています。 |
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難波(なにわ)橋は、天満橋・天神橋とともに「浪花三大橋」と呼ばれていました。江戸時代、この橋が架かっていた船場の筋は難波橋筋と呼ばれ賑わったようですが、道路拡幅と市電敷設により、かつての通りから一つ東の堺筋に架け替えられました。大正4(1915)年5月に完成したこの橋は、壮麗な石張りの意匠と、橋の両端に据えられたライオン像が特徴です。弦を下部に設けるタイド・アーチ式が採用され、橋の上からの眺望が開けていました。 |
主な参考文献
- 『大阪建設史夜話』 玉置 豊次郎/著 大阪都市協会, 1980.10
- 『大阪人 2012年5月号増刊 66巻 5号』 大阪市都市工学情報センター, 2012.05
- 『船場』 宮本 又次/著 ミネルヴァ書房, 1960.12
- 『大阪の橋』松村 博/著 松籟社, 1987
- 『日本の道100選 新版』 国土交通省道路局/監修 ; 「日本の道100選」研究会/編著 ぎょうせい, 2002.6
- 『絵はがきで読む大大阪』 橋爪 紳也/著 創元社, 2010.4
- 『大大阪の時代を歩く -大正~戦前の大阪はこんなにすごかった!-』 橋爪 紳也/編 洋泉社, 2017.9
- 『おおさか水辺の風景 -古写真は語る テーマ展-』 大阪城天守閣/編集 大阪城天守閣特別事業委員会, 2006.3
- 『大阪駅前市街地改造事業誌』 大阪市都市整備局/編 大阪市都市整備局, 1985.3
- 『角川日本地名大辞典 27大阪府』 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店, 1983.10
- 『「水都」大阪物語 -再生への歴史文化的考察-』 橋爪 紳也/著 藤原書店, 2011.3
- 『なつかしき大阪 -写真でたどる大阪の歴史・魅力再発見!-』 佐々木 豊明/著 文芸社, 2003.8
- 『大阪今昔歩く地図帖 -彩色絵はがき、古写真、古地図でくらべる-』 井口 悦男/著 学研パブリッシング, 2011.5
- 『埋もれた西区の川と橋』 伊勢戸 佐一郎/著 大阪中部ライオンズクラブ, 1990
- 「JapanKnowledge」収録『国史大辞典』『日本大百科全書(ニッポニカ)』『日本歴史地名大系』
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