戦後復興期の図書館
育英図書館(1946.7.1)から大阪市立図書館(1950.6.1)へ
戦後の市立図書館は、開館しないまま焼失してしまった「育英図書館」の名称を引き継ぎ、精華国民学校(南区)の空き教室を借りて、1946(昭和21)年7月1日に「大阪市立育英図書館」として開館しました。蔵書は約2万冊で、閲覧方式はこれまでの閉架式から開架式となり、直接図書に接することができ、また交通の便もよいため市民によく利用されました。
しかし、戦後復興とともに精華小学校(1947年4月に国民学校より改称)の児童数が増えて教室の明け渡しを余儀なくされたため、1950(昭和25)年6月1日に図書館は桜宮公会堂の2階へ移転し、名称も「大阪市立図書館」と改められました。当時の桜宮は交通の便が悪く、育英図書館時代より利用者数は減りましたが、学校の試験期間になると朝から学生が列をつくって図書館の開館を待つようになり、次第に利用者の数も増えていきました。
この「大阪市立図書館」は、1961(昭和36)年に西区に旧中央図書館ができたときに、「桜宮図書館」と改称しました。1978(昭和53)年7月に現都島図書館が開館したことにともない、翌年3月に廃館となりましたが、戦後復興期から約30年間市民に親しまれました。
また、桜宮公会堂は1935(昭和10)年、明治天皇記念館として落成し、正面玄関は建設時に「旧造幣寮鋳造場正面玄関」(明治4年)をそのまま移設したもので、1956(昭和31)年に泉布観とともに国の重要文化財に指定されています。図書館が移転した後はユースアートギャラリーとして近年まで使用され、現在は結婚式場兼レストランとして再出発しています。
桜宮図書館桜宮図書館閲覧室(『大阪市立図書館50年史』1972 より)