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平安時代になって中国にたよらない日本風の文化が生まれると、難波津もあまり重んじられなくなりました。しかし大阪は水上・陸上両方の交通が集まっていたところなので、源平の内乱や南北朝の内乱、さらに戦国時代、しばしば戦いの舞台となりました。
1496年(明応5)、本願寺8世蓮如(れんにょ)が「摂州東成郡生玉之庄内大坂」に寺院をたてました。のちの、いわゆる「石山本願寺」です。その境内には商人などが住む「寺内町」(じないまち)がつくられました。「大坂(大阪)」という町の誕生です。
この町は、今の大阪城あたりにあったと考えられています。周囲には堀・塀がめぐらされ、城と同じようなつくりになっていました。しかしその後本願寺が織田信長と争い、1580年(天正8)8月に大阪を明けわたして去ると、寺内町も焼けてしまいました。
大坂と大阪
「おおさか」という地名は、もともとは「大坂」と書いていましたが、明治維新後は「大阪」と書かれることが多くなっていきました。ややこしいので、ここでは「大阪」に統一しています。