|

大名がなくなったことで、大阪の繁栄のもとであった蔵屋敷が廃止されるなど、明治維新は大阪にとって不利なことも多く、まちは火が消えたようにさびしくなりました。一方明治政府は硬貨や大砲の工場を大阪に設けたので、そこから近代的な工業の知識や技術が、大阪に根づいていきました。1890年代ごろから、繊維工業がさかんになると、大阪は工業都市として再生し、人口も増え、市街地が広がっていきました。
「大阪市」が生まれたのは、1889年(明治22)のことです。当時の市の広さは江戸時代の大阪三郷とおおむね同じで、面積は15.2平方キロメートルと、今の広さの14分の1。人口は47万人あまりでした。1897年(明治30)の市域拡張で55.6平方キロメートルになり、 1925年(大正14)の第2次市域拡張で181.6平方キロメートルになりました。そして1955年(昭和30)の隣接6か町村編入や、港の埋め立てにより、現在は222.11平方キロメートルになっています。
→市域の広がりについてはこちら(大阪市)をごらんください