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大阪に関するよくある質問
図書館に寄せられるよくお尋ねのある質問と回答をまとめてみました。
大阪に関するよくある質問
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質問
大野川緑陰道路の計画、着工、完成はいつか。また、これが歩行者・自転車専用道路として整備されてきた経過も知りたい
回答
『大阪春秋90号 西淀川』*1は西淀川の特集を組んでおり、大野川緑陰道路についての記述は、1.三浦行雄執筆「西淀川の川と橋」、2.鈴木照世執筆「『矢倉海岸』の将来像」(以下、鈴木論文)に詳しくあります。 1では、p.16で、「大野川歩行者・自転車専用道路」という見出しの下に解説があり、「大野川はこれに流入する中島大水道とともに流量、流速を欠き水質の汚濁をさけられず、塵芥の投棄などにより衛生上も許しがたく、「死の川」と呼ばれたりもした。もはや存置の理由もなく、区民の要望も強く、昭和30年ころから埋立てに着手され、昭和47年、その一部が、昭和54年には全川にわたって、遊歩道としての完成をみた。」となっています。2ではp.85で、「大野川緑地推進運動」について次のように書かれています。「大野川は中島大水道(埋立て)と淀川を結ぶ延長2393メートルの川だった。戦前までは舟運水路として機能していたが、国道43号線の建設で下流部が遮断されると流水量が減少して水質が悪化、悪臭とごみの川になっていた。大阪市は1968年(昭和43年)3月大野川を埋立てて高速道路を建設する計画を発表、それを知った住民らが、1969年(昭和44年)の暮れに「公害の町である西淀川に大型車道はもう要らない。ほしいのは緑。埋立て跡は全面緑地帯に」と大野川緑地化推進委員会を結成、付近の工場経営者や府営住宅、小中学校の教師などが加わり、2万1000名の署名を集めて反対運動を起こした。このころ西淀川の大気汚染は深刻な状況にあり、公害反対運動の動きも受けて、2年間におよぶ市との激しい交渉の末、大阪市はマスタープランから高速道路計画を削除、大野川は埋立てた後、歩行者、自動車専用の道路を建設し、公園的な施設も加味した緑地帯にすることになったのである。10年後の1979年(昭和54年)8月、JR東海道線から淀川河口近くまで、全長2.8キロメートルの大野川緑陰道路が完成した」となっています。また、『西淀川区まちづくりレポート』*2ではp69〜71にかけて、緑陰道路の概況、現況の施設周辺地域との関係にまとめられていますが、その中で「江戸時代に淀川と神崎川に囲まれた北中島一帯(現在の東淀川、淀川、西淀川区)に滞留する悪水を直接海に導くために長大な排水路が開削された。これは中島大水道と呼ばれ、明治中期ごろから資材や石炭運搬船の水路としても利用されるようになり、明治末期には大野川とよばれるようになった。その後、明治から昭和初期にかけて急速に工業化が進み、もともと水の流量の少ないうえ高低差がほとんどなく、常に水がよどむ状態であった大野川は工場からの廃棄物の捨て場となり悪臭のたちこめる汚物処理の場と化していた。汚染対策として、河川を埋め立て、その跡地を利用した緑化道路の建設が提案され、緑陰道路として復活した。事業・管理主体は大阪市であり、昭和46〜昭和54年にかけて整備が行われた。平成7年に国道43号のアンダーパスが完成し、全線が開通した。」との記述があります。以上のごとく、着手部分については未解明な点も見受けられますが、完成時点は昭和57年で一致しています。これ以外に、『西淀川今昔写真集』*3では p51大野川(昭和14年)p71戦後汚濁が進行した大野川p72悪水路と化した大野川(昭和45年)p72大野川埋立工事 p73埋立後の大野川 p73一般共用開始された大野川緑陰道路(昭和47年) といった写真が掲載されており、経過を調べるときの参考になるものと思われます。
参考文献
*1 『大阪春秋90号 西淀川』 大阪春秋社 1998 書誌ID 0000665283
*2 『西淀川区まちづくりレポート』 都市設計総合研究所編 大阪市西淀川区役所企画総務課 2001書誌ID 0010375470
*3 『淀川今昔写真集』 西淀川区制70周年記念事業実行委員会 1995 書誌ID 0000486699
西淀川区
地誌
自然
記入者:
おおさか資料室管理者
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