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サイト名
レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
https://crd.ndl.go.jp/
USJが大阪に建設された経緯について書かれた資料はあるか。(大阪市立中央図書館)
関連する記述のある資料を以下にご紹介します。
■図書資料
(1) 『国際集客都市大阪へ -大阪市立大学経済学部創立50周年記念企業提携講座(近鉄講座)-』 (佐々木 信彰/監修 日経大阪PR 1999.9)
p.90-103 土﨑敏夫「6 職・住・遊の複合都市施設、USJの可能性」
(2) 『大阪の経済再建と地域の創生』 (桜井 幸男/編 法律文化社 2003.4)
「第1部 大阪の経済・政治-現状とその再建」のp.77-98 小布施憲始「5 ユニバーサル・スタジオが拓く国際都市・大阪」
(3) 『新・日本のテーマパーク研究 -テーマパーク資料660点(地形図123点・文献537点)掲載!-』 (奥野 一生/著 竹林館 2008.8)
「Ⅴ 立地型別テーマパーク研究とその文献 (1)大都市内型テーマパーク研究とその文献」のp.138-148「⑧ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」
(4) 『ユニバーサル・スタジオの国際展開戦略』 (中島 恵/著 三恵社 2014.4)
p.73-97「第5章 USJの企画から開業まで:大阪市の第3セクターから民営化」
■雑誌記事
(5) 『イグザミナ 1994年1-6月 / 76-81号』 (イグザミナ 1994.01-1994.06)
1994年3月 第78号 p.12-15「CLOSE UP 「ユニバーサルスタジオ」が大阪にやってくる。」
(6) 『イグザミナ』 1999年1月号 / 136号 (イグザミナ 1999.1)
p.30-33「着工!ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」
(7) 『大阪港 2001年1月 52巻1号 No.244』 (大阪港振興協会/[編] 大阪港振興協会 2001)
p.1-6「「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」が誕生する」
(8) 『新空港レビュー -関西空港部会報-』 2001年2月20日 / 268号 (関西空港調査会関西空港部会/[編] 関西空港調査会関西空港部会 2001.02)
p.27-41 阪田 晃「講演録 ユニバーサル・スタジオ・ジャパンについて」
(9) 『潮』 2002年9月 / 523号 (潮出版社 2002.09)
p.262-271「トップに迫る ユー・エス・ジェイ社長 阪田晃 関西活性化の起爆剤に。」
(10) 『潮』 2003年9月 / 535号 (潮出版社 2003.09)
p.118-123 佐々木伸「いまUSJが面白い。」
■その他
(11) 関西学院大学:産業研究所:出版物:講演会報告書
https://www.kwansei.ac.jp/i_industria/deliverables/lecture-r (2024.2.9確認)
「2016年度講演会」の項に「アジア最強のコンテンツ USJの戦略」(2016年5月30日)の講演会報告書がPDF形式で公開されています。p.6の中ほどからp.8まで誘致や建設等の経緯についての記述があります。
(12) 大阪市議会会議録検索システム
https://ssp.kaigiroku.net/tenant/cityosaka/SpMinuteSearch.html (2023.8.22確認)
大阪市議会の会議録を、対象年やキーワードで検索してご覧いただけます。
対象年「全ての年」×キーワード「ユニバーサルスタジオ」などで検索すると、その言葉が含まれる会議録がヒットします。
平成5年の会議録が一番古く、ユニバーサルスタジオジャパンの誘致の意義についての発言などが記録されています。
(13) 大阪府議会会議録システム
https://ssp.kaigiroku.net/tenant/prefosaka/SpMinuteSearch.html (2023.8.22確認)
大阪府議会の会議録を、対象年度やキーワードで検索してご覧いただけます。
(12)同様、対象年度「全ての年」×キーワード「ユニバーサルスタジオ」などで検索すると、その言葉が含まれる会議録がヒットします。
回答プロセス:1.当館所蔵検索をフリーワード“USJ”ד誘致”、“USJ”ד招致”で検索。資料(1)が見つかる。
2.当館所蔵検索をフリーワード“ユニバーサルスタジオ”ד誘致”、“ユニバーサルスタジオ”ד招致”で検索。当館では所蔵していない『テーマパーク事業と地域振興 』(中島 恵/著 三恵社 2021.4)のデータが見つかる。
3.当館所蔵検索をフリーワード“ユニバーサルスタジオ”or“USJ”×著者“中島 恵”で検索。資料(4)が見つかる。
4.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )にて、“ユニバーサルスタジオ”で検索。資料(5)(6)(7)(8)が見つかる。
5.「Googleブックス」を、キーワード“ユニバーサルスタジオ”ד誘致”、“USJ”ד誘致”、“ユニバーサルスタジオ”×”招致”、“USJ”×”招致”で検索。資料(3)(9)(10)が見つかる。このほかにも多数の資料がヒットする。
6.当館蔵書検索を、検索対象を郷土コーナーの資料に絞り、フリーワード“ユニバーサルスタジオ”で検索、タイトルからガイドブック以外と判断される資料を確認。資料(2)が見つかる。
7.「CiNii Research」を、キーワード“ユニバーサルスタジオ”ד誘致”、“USJ”ד誘致”、“ユニバーサルスタジオ”ד招致”、“USJ”ד招致”で検索するが、有用資料見つからず。
8.「Google Scholar」を、キーワード“ユニバーサルスタジオ”ד誘致”、“USJ”ד誘致”、“ユニバーサルスタジオ”ד招致”、“USJ”ד招致”で検索するが、有用資料見つからず。
9.「Google」を、キーワード“USJ”ד誘致”とし、“site:ac.jp”(“site:”はGoogleにおいて特定のドメインのサイト内を検索するコマンド)で検索。資料(11)が見つかる。
10.「国立国会図書館デジタルコレクション」を、キーワード“ユニバーサルスタジオ”ד誘致”で検索。
11.大阪市此花区の広報紙『広報このはな』の2001年1月から2006年12月号までの見出しを確認するが、有用情報見つからず。
12.資料(12)「大阪市議会会議録検索システム」(https://ssp.kaigiroku.net/tenant/cityosaka/SpTop.html)を、キーワード“ユニバーサルスタジオ”で検索。
13.資料(13)「大阪府議会会議録システム」(https://ssp.kaigiroku.net/tenant/prefosaka/pg/index.html)を、キーワード“ユニバーサルスタジオ”で検索。
参考資料:当館書誌ID 国際集客都市大阪へ -大阪市立大学経済学部創立50周年記念企業提携講座(近鉄講座)- 佐々木 信彰/監修 日経大阪PR 1999.9 9784931418028 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪の経済再建と地域の創生 桜井 幸男/編 法律文化社 2003.4 9784589026545 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 新・日本のテーマパーク研究 -テーマパーク資料660点(地形図123点・文献537点)掲載!- 奥野 一生/著 竹林館 2008.8 978-4-86000-153-7 資料(3),
参考資料:当館書誌ID ユニバーサル・スタジオの国際展開戦略 中島 恵/著 三恵社 2014.4 978-4-86487-226-3 資料(4),
参考資料:当館書誌ID [雑誌製本] イグザミナ 1994年1-6月 / 76-81号 イグザミナ 1994.01-1994.06 資料(5),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] イグザミナ 1999年1月号 / 136号 イグザミナ 1999.1 資料(6),
参考資料:当館書誌ID [雑誌製本] 大阪港 2001年 大阪港振興協会/[編] 大阪港振興協会 2001.00 資料(7),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] 新空港レビュー -関西空港部会報- 2001年2月20日 / 268号 関西空港調査会関西空港部会/[編] 関西空港調査会関西空港部会 2001.02 資料(8),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] 潮 2002年9月 / 523号 潮出版社 2002.09 資料(9),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] 潮 2003年9月 / 535号 潮出版社 2003.09 資料(10),
参考資料:関西学院大学 産業研究所:講演会報告書 https://www.kwansei.ac.jp/i_industria/deliverables/lecture-r (2024.2.9確認) 資料(11),
(2024/07/15 00:30)
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近世の千日墓所を始め、大坂七墓のおこりについて書かれた本はないか。(大阪市立中央図書館)
「大坂七墓」について、網羅的な記述のある資料は見つかりませんでした。参考に、関連する記述がある資料を以下にご紹介します。
(1) 『新修大阪市史 第3巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集 1989)
「第二章 復興と整備 第六節 宗教政策 2 寺町の形成」
p.334-337「寺町の創設」のp.335に、「大坂市中およびその周辺に散在していた諸宗の寺院を、小橋村・東西高津村・天満村の三カ所に集中移転させ、また、墓も阿波座村・三ッ寺村・上(注:下カ)難波村・敷津村・渡辺村・津村の墓所を統合して下難波村の千日、上町の分は小橋村、天満の町家にあったものは葭原村・浜村・梅田村の墓所に移した。後に、鳶田村と野田村の二カ所を併せて大坂七墓と呼ばれ」とあり、寺町の創設と墓地の移転についての記載があります。
(2) 『上方 -郷土研究- 第55〜60号』(上方郷土研究会/編 創元社 1935.7-12)
第56号(昭和10年8月1日発行)は「大阪探墓号」とあり、大阪七墓に関する記事が掲載されており、それぞれの墓について詳細な記述があります。
p.30-92に「七墓めぐり」として以下の記事が掲載されています。
p.30 南木芳太郎「序言」
p.31-35 東田清三郎「梅田の墓」
p.36-42 梅原忠治郎「南濱の墓地」
p.43-49 川崎紫明「葭原と長柄」
p.50-64 三宅貞次郎「蒲生・野江」
p.65-73 黒崎貞枝「小橋の墓」
p.74-86 船本茂兵衛「千日から高津へ」
p.87-92 梅原忠治郎「飛田から阿部野へ」
(3) 『大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業を発信する- 第148号 特集大正ロマンの画家・宇崎純一』(新風書房 2012.10)
p.96-100 東浜弘静「七墓遠望(前編)」に、「大坂七墓の成立」「梅田墓地」「南浜墓地」「葭原墓地」「蒲生墓地」の項目があります。
(4) 『大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業を発信する- 第149号 特集飯森山城と戦国おおさか』(新風書房 2013.1)
p.93-95 東浜弘靜「七墓遠望(後編)」に、「小橋墓地」「千日墓地」「飛田墓地」「七墓巡り」の項目があります。
(5) 『大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 通巻96号 ニュータウン』(大阪春秋社 1999.9)
p.118-123 浅香勝輔「大阪の追悼空間① 近世の大坂七墓」に、七墓の変遷について記述があります。
回答プロセス:1.当館横断検索システム「OMLINサーチ」をキーワード“大坂七墓”で検索。
2.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)をフリーワード“大坂七墓”で検索。
3.「レファレンス協同データベース」をキーワード“大坂七墓”で検索。資料(1)(2)(3)が見つかる。
4.「CiNii Research」をフリーワード“大阪“ד七墓”で検索。資料(4)(5)が見つかる。
5.「国立国会図書館デジタルコレクション」をキーワード“大坂七墓”で検索。
6.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)をキーワード“七墓”で検索。
7.当館所蔵検索をフリーワード“七墓”で検索。
8.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )をキーワード“七墓”で検索。
参考資料:当館書誌ID 上方 -郷土研究- 第55〜60号 上方郷土研究会/編 創元社 1935.7-12 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 通巻96号 ニュータウン 大阪春秋社 1999.9 資料(3),
参考資料:当館書誌ID 新修大阪市史 第3巻 新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1989 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業を発信する- 第149号 特集飯森山城と戦国おおさか 新風書房 2013.1 978-4-88269-770-1 資料(4),
参考資料:当館書誌ID 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業を発信する- 第148号 特集大正ロマンの画家・宇崎純一 新風書房 2012.10 978-4-88269-767-1 資料(5),
(2024/06/29 00:30)
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昭和10年代 大阪市住吉区の長居公園あたりの航空写真がないか。昭和20年代は以前に閲覧した。(大阪市立中央図書館)
大阪市住吉区は大正14年から住吉区になっている。『大阪市街俯瞰写真全図』によると南は天王寺付近までしか載っていない。
『戦前撮影の大阪・京都の空中写真』1977刊によると戦前の空中写真が紹介されている。P17参照
A 『大阪市街俯瞰写真全図』1924年大正13年は住吉区含まれず
B 大阪市近傍航空写真 昭和3年 所蔵なし
C 京都市近傍モザイク写真 昭和3年 所蔵なし
D 京都府年計画航空測量写真 昭和15年 所蔵なし
E 大阪市近傍航空写真 昭和17年 所蔵なし
BからEについては大阪府立図書館にも所蔵なし
B、Eについては大阪市総合計画局都市計画部所蔵 現在は大阪市計画調整局に名称変更。問い合わせの結果 現在は公開されていない。
<2024年6月7日追記>
以下のサイトで昭和10年代の当該地域の航空写真が閲覧できます。
国土地理院:年代別の写真:1936年~1942年頃 https://maps.gsi.go.jp/#16/34.612425/135.520005/&base=std&ls=std%7Cort_riku10%2C0.56&blend=0&disp=11&lcd=ort_riku10&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m (2024.6.7確認)
国土地理院トップページから、「地理院地図を見る」をクリックした後、左上「地図」をクリックすると「地図の種類」が選択できます。「年度別写真」より年代を選択します。
場所の特定は該当する場所にカーソルを合わせ拡大します。
「選択中の地図」カラムの「透過率」というボタンをクリックし、透過率の割合を変えることで、航空写真と標準地図を重ねて表示することができます。
マップナビおおさか:航空写真(昭和17年) 大阪市東住吉区長居公園付近 https://www.mapnavi.city.osaka.lg.jp/osakacity/Map?mid=66&mpx=135.51791908166&mpy=34.61126105966&mps=5000&mtp=orthos17&gprj=3 (2024.6.7確認)
回答プロセス:2024.6.5
レファレンス協同データベース事業サポーターより、国土地理院( https://www.gsi.go.jp/ )のサイトで閲覧可能であるコメントをいただき、該当サイトを確認。
また、あわせて大阪市が運営する「マップナビおおさか」( https://www.mapnavi.city.osaka.lg.jp/osakacity/Portal )についても確認する。
参考資料:『大阪市街俯瞰写真全図』(十字屋出版部 1924年 当館書誌ID:0000438325),
参考資料:『戦前撮影の大阪・京都の空中写真』( 服部 昌之著 大阪市立大学 1977年 当館書誌ID:00803496047),
参考資料:国土地理院:年代別の写真:1936年~1942年頃 https://maps.gsi.go.jp/#16/34.604795/135.519984/&base=std&ls=std%7Cort_riku10&blend=0&disp=11&lcd=ort_riku10&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m,
参考資料:マップナビおおさか:航空写真(昭和17年) 大阪市東住吉区長居公園付近 https://www.mapnavi.city.osaka.lg.jp/osakacity/Map?mid=66&mpx=135.51791908166&mpy=34.61126105966&mps=5000&mtp=orthos17&gprj=3,
照会先:大阪市計画調整局都市計画課
(2024/06/12 00:30)
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淀川区に渡辺邸という大阪市最古の民家があったと聞いた。渡辺邸について知りたい。(大阪市立中央図書館)
渡邊邸(以下、渡辺邸)は、大阪市淀川区西三国に所在した大阪市内最古といわれた民家です。鬼退治伝説で知られる平安時代の武将・渡辺綱(わたなべのつな)の子孫が構えた家と伝えられています。平成24(2012)年10月に解体されました。
以下の資料に渡辺家の「渡辺邸」について記述が見つかりました。
(1) 『新修大阪市史 第3巻』(新修大阪市史編纂委員会 大阪市 1989)
「第五章 近世前期の文化 第六節 大坂三郷と平野郷の構成と町屋と農家の家構 (二)渡辺家」の項のうち、p.1090-1091に「渡辺家は、源頼光の四天王の一人渡辺綱の後裔とも伝えられ、広大な主屋を中心に、門長屋や土蔵その他、多くの付属建物を巡らした豪壮な屋敷構」とあり、建物の説明が続きます。また「図89 渡辺家の間取図と復元図」に間取図が記載されています。
(2) 『大阪府の民家 2』(大阪府教育委員会 1967)
「渡辺マサヱ家住宅(2)」p.8-9に渡辺家の状況と復元について記載があります。また、p.78に「第二図(上)渡辺マサエ家住宅現状平面図」と「(下)同前住宅復元平面図」が掲載されています。巻頭写真ページには「一、渡辺マサエ家住宅 外観」「二、同 クチノマと、ダイドコ境」「三、同座敷部分の痕跡」「四、同ナンド内部の痕跡」と題して、外観や内装の写真が掲載されています。
(3) 『近畿の民家』(林野全孝 相模書房 1980)
「第三章 主要四間取り型民家遺構の概説 第一節 大阪平野の農家遺構の解説 一 特殊遺構 ①渡辺家住宅(府重文)」の項のp.59-61に建物の解説が掲載されています。
(4) 『わが町昔さが誌』(三善貞司 コミュニティ企画 1989)
「最古の屋敷・渡邊家」のp.70-p.71に「室町後期頃に、渡邊九良左衛門尉源忠綱という豪族が建てたものだと伝えられています。」と記載され、その歴史と伝承について述べられています。
(5) 国立国会図書館デジタルコレクション『ヒストリア : journal of Osaka Historical Association (238);2013・6』 (大阪歴史学会 編 大阪歴史学会 2013-06) (インターネット公開(許諾))
https://dl.ndl.go.jp/pid/12529254/1/35
p.64-p.69(コマ番号35-37) 地村邦夫 「渡邊邸 失われた大阪市内最古の民家」に、渡辺邸の文化財指定とその解除の経緯、解体に際する全面調査の内容などが記載されています。
(6) 『朝日新聞』2012年10月10日 朝刊 大阪府・2地方 32ページ「大阪市最古の民家、解体 江戸時代に建設、淀川の「渡辺邸」相続税払えず /大阪府」
「渡辺邸」解体作業が始まった時期の記事です。解体の経緯や地元の反応などが報道されています。
(7) 大阪市立図書館:市史編纂所だより
https://www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?page_id=1150 (2024.3.18確認)
第43号(2014年9月)のp.2-3「渡邊邸の古文書~残された地域の記憶~」に平成 24 年(2012)10 月に文化財指定を解除の上に渡邊邸が解体された顛末について記述があります。
回答プロセス:1.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)にて、キーワード“渡邉邸(渡辺邸)”で検索するがヒットなし。
2.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )にて、キーワード“渡邉邸(渡辺邸)”で検索するがヒットなし。
3.「CiNii Research」にて、キーワード“渡辺邸”で検索、資料(7)が見つかる。
4.資料(7)の参考文献より、資料(2)を確認。
5.当館の郷土資料コーナーを確認。資料(4)が見つかる。
6.当館蔵書検索システムにて、対象を郷土資料とし、キーワード“民家”で検索、資料(3)が見つかる。
7.『新修大阪市史 第10巻』の索引にて、“渡辺”の欄を確認、「渡辺家」の項目があったので、該当資料を確認したところ、資料(1)に関連記述が見つかる。
8.各種新聞記事データベースを“渡辺邸”をキーワードに検索し、資料(6)の記事が見つかる。
参考資料:当館書誌ID 新修大阪市史 第3巻 新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1989 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪府の民家 2(大阪府文化財調査報告書 16) 大阪府教育委員会/編 大阪府教育委員会 1967.3 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 近畿の民家 -畿内を中心とする四間取り民家の研究- 林野 全孝/著 相模書房 1980.11 資料(3),
参考資料:当館書誌ID わが町昔さが誌 三善 貞司/著 コミュニティ企画 1989 資料(4),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] ヒストリア 2013年6月 / 238号 大阪歴史学会/編集 大阪歴史学会 2013.06 資料(5),
参考資料:『朝日新聞』2012年10月10日 朝刊 大阪府・2地方 32ページ「大阪府最古の古民家、解体、淀川の「渡辺邸 相続税払えず/大阪府」 資料(6),
参考資料:大阪市立図書館:市史編纂所だより https://www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?page_id=1150 (2024.3.18確認) 資料(7),
(2024/06/07 00:30)
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大阪府には大阪府全志や河内名所図会といった、各地域の神社仏閣や地名の由来についてまとめた資料があるが、奈良県でそういう資料はあるか。各市町村が出している市町村史以外で、各地域のことが書いてある資料があれば教えて欲しい。(奈良県立図書情報館)
河内名所図会に相当するものとしては、その名の通り大和名所図会があります。
https://meta01.library.pref.nara.jp/opac/repository/repo/search/400009/?lang=0&cate_schema=400&mode=0&codeno=4&list_sort=9 (最終確認日2024/3/21)
こうした近世の地誌類については、当奈良県立図書情報館HP
https://www.library.pref.nara.jp/ (最終確認日2024/3/21) のデジタルアーカイブ > まほろばデジタルライブラリー検索 > ふるさとコレクション > 件名:奈良県--紀行・案内記
からご覧いただけるものも多数あります。
但し、大阪府全志に相当するような、明治大正期に、全県的に県の制度変遷や郡以下の地誌についてまとめたものはありません。
「各地域のことを書いている資料」としては、奈良県風俗誌
https://meta01.library.pref.nara.jp/opac/repository/repo/search/simple/?lang=0&mode=0&opkey=R171098020891008&list_sort=2&disp_cnt=50&facet_item=fjtitle&facet_val1=%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%B8%A3%E9%A2%A8%E4%BF%97%E8%AA%8C&facet_val2=&con_kywd=%E5%A5%88%E8%89%AF%E7%9C%8C%E9%A2%A8%E4%BF%97%E8%AA%8C&codeno=&fc_val=&req=facet (最終確認日2024/3/21)
があります。これは県教育会が音頭を取り、基本的には市町村単位に、小学校教員を中心にまとめたものです。制度や市町村の分合については触れていませんが、各地の生活習慣に詳しく、他府県の明治末から大正期にしばしばまとめられた郷土誌の系譜に連なります。
また、明治前期に国の命令で各府県が編纂した皇国地誌の成果を利用した大和国町村誌集
https://dl.ndl.go.jp/pid/993077 (最終確認日2024/3/21)も出版されています。
これは、明治大合併前の町村ごとに、面積・戸数・物産・社寺などを列挙しているものです。
回答プロセス:『大阪府全志』…元大阪府地方課の著者が、大正2年に辞職以後専心してまとめたもので、第一篇県の分合(1巻)、第二編近世以来の制度変遷(2,3巻)、第三篇国郡市町村の分合及び地誌(4-7巻)からなる。大正11年に出版。
国立国会図書館 https://dl.ndl.go.jp/pid/965798/1/33 (最終確認日2024/3/21)
(2024/06/01 18:39)
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市立中央郷土関連:トップ5
サイト名
レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
https://crd.ndl.go.jp/
USJが大阪に建設された経緯について書かれた資料はあるか。(大阪市立中央図書館)
関連する記述のある資料を以下にご紹介します。
■図書資料
(1) 『国際集客都市大阪へ -大阪市立大学経済学部創立50周年記念企業提携講座(近鉄講座)-』 (佐々木 信彰/監修 日経大阪PR 1999.9)
p.90-103 土﨑敏夫「6 職・住・遊の複合都市施設、USJの可能性」
(2) 『大阪の経済再建と地域の創生』 (桜井 幸男/編 法律文化社 2003.4)
「第1部 大阪の経済・政治-現状とその再建」のp.77-98 小布施憲始「5 ユニバーサル・スタジオが拓く国際都市・大阪」
(3) 『新・日本のテーマパーク研究 -テーマパーク資料660点(地形図123点・文献537点)掲載!-』 (奥野 一生/著 竹林館 2008.8)
「Ⅴ 立地型別テーマパーク研究とその文献 (1)大都市内型テーマパーク研究とその文献」のp.138-148「⑧ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」
(4) 『ユニバーサル・スタジオの国際展開戦略』 (中島 恵/著 三恵社 2014.4)
p.73-97「第5章 USJの企画から開業まで:大阪市の第3セクターから民営化」
■雑誌記事
(5) 『イグザミナ 1994年1-6月 / 76-81号』 (イグザミナ 1994.01-1994.06)
1994年3月 第78号 p.12-15「CLOSE UP 「ユニバーサルスタジオ」が大阪にやってくる。」
(6) 『イグザミナ』 1999年1月号 / 136号 (イグザミナ 1999.1)
p.30-33「着工!ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」
(7) 『大阪港 2001年1月 52巻1号 No.244』 (大阪港振興協会/[編] 大阪港振興協会 2001)
p.1-6「「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」が誕生する」
(8) 『新空港レビュー -関西空港部会報-』 2001年2月20日 / 268号 (関西空港調査会関西空港部会/[編] 関西空港調査会関西空港部会 2001.02)
p.27-41 阪田 晃「講演録 ユニバーサル・スタジオ・ジャパンについて」
(9) 『潮』 2002年9月 / 523号 (潮出版社 2002.09)
p.262-271「トップに迫る ユー・エス・ジェイ社長 阪田晃 関西活性化の起爆剤に。」
(10) 『潮』 2003年9月 / 535号 (潮出版社 2003.09)
p.118-123 佐々木伸「いまUSJが面白い。」
■その他
(11) 関西学院大学:産業研究所:出版物:講演会報告書
https://www.kwansei.ac.jp/i_industria/deliverables/lecture-r (2024.2.9確認)
「2016年度講演会」の項に「アジア最強のコンテンツ USJの戦略」(2016年5月30日)の講演会報告書がPDF形式で公開されています。p.6の中ほどからp.8まで誘致や建設等の経緯についての記述があります。
(12) 大阪市議会会議録検索システム
https://ssp.kaigiroku.net/tenant/cityosaka/SpMinuteSearch.html (2023.8.22確認)
大阪市議会の会議録を、対象年やキーワードで検索してご覧いただけます。
対象年「全ての年」×キーワード「ユニバーサルスタジオ」などで検索すると、その言葉が含まれる会議録がヒットします。
平成5年の会議録が一番古く、ユニバーサルスタジオジャパンの誘致の意義についての発言などが記録されています。
(13) 大阪府議会会議録システム
https://ssp.kaigiroku.net/tenant/prefosaka/SpMinuteSearch.html (2023.8.22確認)
大阪府議会の会議録を、対象年度やキーワードで検索してご覧いただけます。
(12)同様、対象年度「全ての年」×キーワード「ユニバーサルスタジオ」などで検索すると、その言葉が含まれる会議録がヒットします。
回答プロセス:1.当館所蔵検索をフリーワード“USJ”ד誘致”、“USJ”ד招致”で検索。資料(1)が見つかる。
2.当館所蔵検索をフリーワード“ユニバーサルスタジオ”ד誘致”、“ユニバーサルスタジオ”ד招致”で検索。当館では所蔵していない『テーマパーク事業と地域振興 』(中島 恵/著 三恵社 2021.4)のデータが見つかる。
3.当館所蔵検索をフリーワード“ユニバーサルスタジオ”or“USJ”×著者“中島 恵”で検索。資料(4)が見つかる。
4.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )にて、“ユニバーサルスタジオ”で検索。資料(5)(6)(7)(8)が見つかる。
5.「Googleブックス」を、キーワード“ユニバーサルスタジオ”ד誘致”、“USJ”ד誘致”、“ユニバーサルスタジオ”×”招致”、“USJ”×”招致”で検索。資料(3)(9)(10)が見つかる。このほかにも多数の資料がヒットする。
6.当館蔵書検索を、検索対象を郷土コーナーの資料に絞り、フリーワード“ユニバーサルスタジオ”で検索、タイトルからガイドブック以外と判断される資料を確認。資料(2)が見つかる。
7.「CiNii Research」を、キーワード“ユニバーサルスタジオ”ד誘致”、“USJ”ד誘致”、“ユニバーサルスタジオ”ד招致”、“USJ”ד招致”で検索するが、有用資料見つからず。
8.「Google Scholar」を、キーワード“ユニバーサルスタジオ”ד誘致”、“USJ”ד誘致”、“ユニバーサルスタジオ”ד招致”、“USJ”ד招致”で検索するが、有用資料見つからず。
9.「Google」を、キーワード“USJ”ד誘致”とし、“site:ac.jp”(“site:”はGoogleにおいて特定のドメインのサイト内を検索するコマンド)で検索。資料(11)が見つかる。
10.「国立国会図書館デジタルコレクション」を、キーワード“ユニバーサルスタジオ”ד誘致”で検索。
11.大阪市此花区の広報紙『広報このはな』の2001年1月から2006年12月号までの見出しを確認するが、有用情報見つからず。
12.資料(12)「大阪市議会会議録検索システム」(https://ssp.kaigiroku.net/tenant/cityosaka/SpTop.html)を、キーワード“ユニバーサルスタジオ”で検索。
13.資料(13)「大阪府議会会議録システム」(https://ssp.kaigiroku.net/tenant/prefosaka/pg/index.html)を、キーワード“ユニバーサルスタジオ”で検索。
参考資料:当館書誌ID 国際集客都市大阪へ -大阪市立大学経済学部創立50周年記念企業提携講座(近鉄講座)- 佐々木 信彰/監修 日経大阪PR 1999.9 9784931418028 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪の経済再建と地域の創生 桜井 幸男/編 法律文化社 2003.4 9784589026545 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 新・日本のテーマパーク研究 -テーマパーク資料660点(地形図123点・文献537点)掲載!- 奥野 一生/著 竹林館 2008.8 978-4-86000-153-7 資料(3),
参考資料:当館書誌ID ユニバーサル・スタジオの国際展開戦略 中島 恵/著 三恵社 2014.4 978-4-86487-226-3 資料(4),
参考資料:当館書誌ID [雑誌製本] イグザミナ 1994年1-6月 / 76-81号 イグザミナ 1994.01-1994.06 資料(5),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] イグザミナ 1999年1月号 / 136号 イグザミナ 1999.1 資料(6),
参考資料:当館書誌ID [雑誌製本] 大阪港 2001年 大阪港振興協会/[編] 大阪港振興協会 2001.00 資料(7),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] 新空港レビュー -関西空港部会報- 2001年2月20日 / 268号 関西空港調査会関西空港部会/[編] 関西空港調査会関西空港部会 2001.02 資料(8),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] 潮 2002年9月 / 523号 潮出版社 2002.09 資料(9),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] 潮 2003年9月 / 535号 潮出版社 2003.09 資料(10),
参考資料:関西学院大学 産業研究所:講演会報告書 https://www.kwansei.ac.jp/i_industria/deliverables/lecture-r (2024.2.9確認) 資料(11),
(2024/07/15 00:30)
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近世の千日墓所を始め、大坂七墓のおこりについて書かれた本はないか。(大阪市立中央図書館)
「大坂七墓」について、網羅的な記述のある資料は見つかりませんでした。参考に、関連する記述がある資料を以下にご紹介します。
(1) 『新修大阪市史 第3巻』(新修大阪市史編纂委員会/編集 1989)
「第二章 復興と整備 第六節 宗教政策 2 寺町の形成」
p.334-337「寺町の創設」のp.335に、「大坂市中およびその周辺に散在していた諸宗の寺院を、小橋村・東西高津村・天満村の三カ所に集中移転させ、また、墓も阿波座村・三ッ寺村・上(注:下カ)難波村・敷津村・渡辺村・津村の墓所を統合して下難波村の千日、上町の分は小橋村、天満の町家にあったものは葭原村・浜村・梅田村の墓所に移した。後に、鳶田村と野田村の二カ所を併せて大坂七墓と呼ばれ」とあり、寺町の創設と墓地の移転についての記載があります。
(2) 『上方 -郷土研究- 第55〜60号』(上方郷土研究会/編 創元社 1935.7-12)
第56号(昭和10年8月1日発行)は「大阪探墓号」とあり、大阪七墓に関する記事が掲載されており、それぞれの墓について詳細な記述があります。
p.30-92に「七墓めぐり」として以下の記事が掲載されています。
p.30 南木芳太郎「序言」
p.31-35 東田清三郎「梅田の墓」
p.36-42 梅原忠治郎「南濱の墓地」
p.43-49 川崎紫明「葭原と長柄」
p.50-64 三宅貞次郎「蒲生・野江」
p.65-73 黒崎貞枝「小橋の墓」
p.74-86 船本茂兵衛「千日から高津へ」
p.87-92 梅原忠治郎「飛田から阿部野へ」
(3) 『大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業を発信する- 第148号 特集大正ロマンの画家・宇崎純一』(新風書房 2012.10)
p.96-100 東浜弘静「七墓遠望(前編)」に、「大坂七墓の成立」「梅田墓地」「南浜墓地」「葭原墓地」「蒲生墓地」の項目があります。
(4) 『大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業を発信する- 第149号 特集飯森山城と戦国おおさか』(新風書房 2013.1)
p.93-95 東浜弘靜「七墓遠望(後編)」に、「小橋墓地」「千日墓地」「飛田墓地」「七墓巡り」の項目があります。
(5) 『大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 通巻96号 ニュータウン』(大阪春秋社 1999.9)
p.118-123 浅香勝輔「大阪の追悼空間① 近世の大坂七墓」に、七墓の変遷について記述があります。
回答プロセス:1.当館横断検索システム「OMLINサーチ」をキーワード“大坂七墓”で検索。
2.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)をフリーワード“大坂七墓”で検索。
3.「レファレンス協同データベース」をキーワード“大坂七墓”で検索。資料(1)(2)(3)が見つかる。
4.「CiNii Research」をフリーワード“大阪“ד七墓”で検索。資料(4)(5)が見つかる。
5.「国立国会図書館デジタルコレクション」をキーワード“大坂七墓”で検索。
6.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)をキーワード“七墓”で検索。
7.当館所蔵検索をフリーワード“七墓”で検索。
8.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )をキーワード“七墓”で検索。
参考資料:当館書誌ID 上方 -郷土研究- 第55〜60号 上方郷土研究会/編 創元社 1935.7-12 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 通巻96号 ニュータウン 大阪春秋社 1999.9 資料(3),
参考資料:当館書誌ID 新修大阪市史 第3巻 新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1989 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業を発信する- 第149号 特集飯森山城と戦国おおさか 新風書房 2013.1 978-4-88269-770-1 資料(4),
参考資料:当館書誌ID 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業を発信する- 第148号 特集大正ロマンの画家・宇崎純一 新風書房 2012.10 978-4-88269-767-1 資料(5),
(2024/06/29 00:30)
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「田蓑」という土地について、昔の所在地や地名の由来などを知りたい。(大阪市立中央図書館)
関連する記述のある資料を以下にご紹介します。
(1) 『角川日本地名大辞典 27 大阪府』(「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10)
p.751「たみののしま 田蓑の島」の項に、「難波八十島の1つであるが、その位置については、摂津国田裳浦とするものや、天王寺の西側、大阪市北区堂島1~3丁目あるいは福島区鷺洲1~6丁目とするものなど諸説があり、詳らかではない。」「堂島川に架かる田蓑橋は、この田蓑島の地名に由来するものと思われる。」とあります。
(2) 『日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1』(平凡社 2001.7)
p.359-361「難波」の項のp.361上段後半部分に、田蓑島について「所在地については現西淀川区佃一丁目の田蓑神社付近という説と近世の浦江村(現大淀区)付近とする説などがあるが、いずれも確定的ではない。」とあります。
p.581中段から下段に「田蓑神社」の項があり、下段前半部分に「往古は現社地付近は田蓑島と称し」とあります。
(3) 『大阪史蹟辞典』(三善 貞司/編 清文堂 1986.7)
p.393「田蓑」の項に、田蓑島の場所についての記録の引用と、「現在の中之島、浦江、鷺洲、海老江一帯をかつては田島と呼んでおり、田蓑島もこの付近であろう。」という記述があります。
p.393-394に「田蓑神社」、p.394-395に「田蓑橋」の項があります。
(4) 大阪市西淀川区:西淀川区の魅力紹介:名所・旧跡、碑・歌碑、伝記・伝説:文化財、名所・旧跡、碑・歌碑、伝記・伝説:西淀川区にまつわる伝記・伝説
https://www.city.osaka.lg.jp/nishiyodogawa/page/0000000995.html (2024.3.23確認)
「佃、千軒の漁民」の項に「佃は往時田蓑島(たみのしま)と呼ばれていました。足利義詮の1364年(貞治3年)住吉詣記に「田蓑島の南に当り、野田の玉川という所あり」と記されています。」とあります。
(5) 大阪市西淀川区:西淀川区の概要:区のあらまし
https://www.city.osaka.lg.jp/nishiyodogawa/page/0000000382.html (2024.3.23確認)
「西淀川区の町名とその由来」の項の、町名「佃(つくだ)」の項に、「難波八十島の一つに「田蓑島」があり、貞観年間(859~876年)に佃村と改め、「田蓑庄」とも呼ばれたことに由来する。」とあります。
回答プロセス:1.大阪の地名辞典等の資料を確認。資料(1)(2)(3)が見つかる。
2.商用データベース「JapanKnowledge」をキーワード“田蓑”で検索。「田蓑の島」の項目を確認。
3.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )でキーワード“田蓑”、“八十島”で検索。
4.当館所蔵検索をフリーワード“田蓑島”で検索。
5.当館所蔵検索をフリーワード“難波八十島”、“八十島”ד大阪”で検索。
6.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)をキーワード“田蓑”、“八十島”で検索。
7.大阪市西淀川区のホームページを確認。資料(4)(5)が見つかる。
参考資料:当館書誌ID 角川日本地名大辞典 27 大阪府 「角川日本地名大辞典」編纂委員会/編 角川書店 1983.10 9784040012704 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 日本歴史地名大系 28-[1] 大阪府の地名 1 平凡社 2001.7 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 大阪史蹟辞典 三善 貞司/編 清文堂 1986.7 9784792423414 資料(3),
参考資料:大阪市西淀川区ホームページ: 西淀川区の魅力紹介:名所・旧跡、碑・歌碑、伝記・伝説:文化財、名所・旧跡、碑・歌碑、伝記・伝説:西淀川区にまつわる伝記・伝説 https://www.city.osaka.lg.jp/nishiyodogawa/page/0000000995.html (2024.3.23確認) 資料(4),
参考資料:大阪市西淀川区ホームページ:西淀川区の概要:区のあらまし https://www.city.osaka.lg.jp/nishiyodogawa/page/0000000382.html (2024.3.23確認) 資料(5),
(2024/06/28 00:30)
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昭和10年代 大阪市住吉区の長居公園あたりの航空写真がないか。昭和20年代は以前に閲覧した。(大阪市立中央図書館)
大阪市住吉区は大正14年から住吉区になっている。『大阪市街俯瞰写真全図』によると南は天王寺付近までしか載っていない。
『戦前撮影の大阪・京都の空中写真』1977刊によると戦前の空中写真が紹介されている。P17参照
A 『大阪市街俯瞰写真全図』1924年大正13年は住吉区含まれず
B 大阪市近傍航空写真 昭和3年 所蔵なし
C 京都市近傍モザイク写真 昭和3年 所蔵なし
D 京都府年計画航空測量写真 昭和15年 所蔵なし
E 大阪市近傍航空写真 昭和17年 所蔵なし
BからEについては大阪府立図書館にも所蔵なし
B、Eについては大阪市総合計画局都市計画部所蔵 現在は大阪市計画調整局に名称変更。問い合わせの結果 現在は公開されていない。
<2024年6月7日追記>
以下のサイトで昭和10年代の当該地域の航空写真が閲覧できます。
国土地理院:年代別の写真:1936年~1942年頃 https://maps.gsi.go.jp/#16/34.612425/135.520005/&base=std&ls=std%7Cort_riku10%2C0.56&blend=0&disp=11&lcd=ort_riku10&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m (2024.6.7確認)
国土地理院トップページから、「地理院地図を見る」をクリックした後、左上「地図」をクリックすると「地図の種類」が選択できます。「年度別写真」より年代を選択します。
場所の特定は該当する場所にカーソルを合わせ拡大します。
「選択中の地図」カラムの「透過率」というボタンをクリックし、透過率の割合を変えることで、航空写真と標準地図を重ねて表示することができます。
マップナビおおさか:航空写真(昭和17年) 大阪市東住吉区長居公園付近 https://www.mapnavi.city.osaka.lg.jp/osakacity/Map?mid=66&mpx=135.51791908166&mpy=34.61126105966&mps=5000&mtp=orthos17&gprj=3 (2024.6.7確認)
回答プロセス:2024.6.5
レファレンス協同データベース事業サポーターより、国土地理院( https://www.gsi.go.jp/ )のサイトで閲覧可能であるコメントをいただき、該当サイトを確認。
また、あわせて大阪市が運営する「マップナビおおさか」( https://www.mapnavi.city.osaka.lg.jp/osakacity/Portal )についても確認する。
参考資料:『大阪市街俯瞰写真全図』(十字屋出版部 1924年 当館書誌ID:0000438325),
参考資料:『戦前撮影の大阪・京都の空中写真』( 服部 昌之著 大阪市立大学 1977年 当館書誌ID:00803496047),
参考資料:国土地理院:年代別の写真:1936年~1942年頃 https://maps.gsi.go.jp/#16/34.604795/135.519984/&base=std&ls=std%7Cort_riku10&blend=0&disp=11&lcd=ort_riku10&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m,
参考資料:マップナビおおさか:航空写真(昭和17年) 大阪市東住吉区長居公園付近 https://www.mapnavi.city.osaka.lg.jp/osakacity/Map?mid=66&mpx=135.51791908166&mpy=34.61126105966&mps=5000&mtp=orthos17&gprj=3,
照会先:大阪市計画調整局都市計画課
(2024/06/12 00:30)
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淀川区に渡辺邸という大阪市最古の民家があったと聞いた。渡辺邸について知りたい。(大阪市立中央図書館)
渡邊邸(以下、渡辺邸)は、大阪市淀川区西三国に所在した大阪市内最古といわれた民家です。鬼退治伝説で知られる平安時代の武将・渡辺綱(わたなべのつな)の子孫が構えた家と伝えられています。平成24(2012)年10月に解体されました。
以下の資料に渡辺家の「渡辺邸」について記述が見つかりました。
(1) 『新修大阪市史 第3巻』(新修大阪市史編纂委員会 大阪市 1989)
「第五章 近世前期の文化 第六節 大坂三郷と平野郷の構成と町屋と農家の家構 (二)渡辺家」の項のうち、p.1090-1091に「渡辺家は、源頼光の四天王の一人渡辺綱の後裔とも伝えられ、広大な主屋を中心に、門長屋や土蔵その他、多くの付属建物を巡らした豪壮な屋敷構」とあり、建物の説明が続きます。また「図89 渡辺家の間取図と復元図」に間取図が記載されています。
(2) 『大阪府の民家 2』(大阪府教育委員会 1967)
「渡辺マサヱ家住宅(2)」p.8-9に渡辺家の状況と復元について記載があります。また、p.78に「第二図(上)渡辺マサエ家住宅現状平面図」と「(下)同前住宅復元平面図」が掲載されています。巻頭写真ページには「一、渡辺マサエ家住宅 外観」「二、同 クチノマと、ダイドコ境」「三、同座敷部分の痕跡」「四、同ナンド内部の痕跡」と題して、外観や内装の写真が掲載されています。
(3) 『近畿の民家』(林野全孝 相模書房 1980)
「第三章 主要四間取り型民家遺構の概説 第一節 大阪平野の農家遺構の解説 一 特殊遺構 ①渡辺家住宅(府重文)」の項のp.59-61に建物の解説が掲載されています。
(4) 『わが町昔さが誌』(三善貞司 コミュニティ企画 1989)
「最古の屋敷・渡邊家」のp.70-p.71に「室町後期頃に、渡邊九良左衛門尉源忠綱という豪族が建てたものだと伝えられています。」と記載され、その歴史と伝承について述べられています。
(5) 国立国会図書館デジタルコレクション『ヒストリア : journal of Osaka Historical Association (238);2013・6』 (大阪歴史学会 編 大阪歴史学会 2013-06) (インターネット公開(許諾))
https://dl.ndl.go.jp/pid/12529254/1/35
p.64-p.69(コマ番号35-37) 地村邦夫 「渡邊邸 失われた大阪市内最古の民家」に、渡辺邸の文化財指定とその解除の経緯、解体に際する全面調査の内容などが記載されています。
(6) 『朝日新聞』2012年10月10日 朝刊 大阪府・2地方 32ページ「大阪市最古の民家、解体 江戸時代に建設、淀川の「渡辺邸」相続税払えず /大阪府」
「渡辺邸」解体作業が始まった時期の記事です。解体の経緯や地元の反応などが報道されています。
(7) 大阪市立図書館:市史編纂所だより
https://www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?page_id=1150 (2024.3.18確認)
第43号(2014年9月)のp.2-3「渡邊邸の古文書~残された地域の記憶~」に平成 24 年(2012)10 月に文化財指定を解除の上に渡邊邸が解体された顛末について記述があります。
回答プロセス:1.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)にて、キーワード“渡邉邸(渡辺邸)”で検索するがヒットなし。
2.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( https://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/index.html )にて、キーワード“渡邉邸(渡辺邸)”で検索するがヒットなし。
3.「CiNii Research」にて、キーワード“渡辺邸”で検索、資料(7)が見つかる。
4.資料(7)の参考文献より、資料(2)を確認。
5.当館の郷土資料コーナーを確認。資料(4)が見つかる。
6.当館蔵書検索システムにて、対象を郷土資料とし、キーワード“民家”で検索、資料(3)が見つかる。
7.『新修大阪市史 第10巻』の索引にて、“渡辺”の欄を確認、「渡辺家」の項目があったので、該当資料を確認したところ、資料(1)に関連記述が見つかる。
8.各種新聞記事データベースを“渡辺邸”をキーワードに検索し、資料(6)の記事が見つかる。
参考資料:当館書誌ID 新修大阪市史 第3巻 新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1989 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪府の民家 2(大阪府文化財調査報告書 16) 大阪府教育委員会/編 大阪府教育委員会 1967.3 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 近畿の民家 -畿内を中心とする四間取り民家の研究- 林野 全孝/著 相模書房 1980.11 資料(3),
参考資料:当館書誌ID わが町昔さが誌 三善 貞司/著 コミュニティ企画 1989 資料(4),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] ヒストリア 2013年6月 / 238号 大阪歴史学会/編集 大阪歴史学会 2013.06 資料(5),
参考資料:『朝日新聞』2012年10月10日 朝刊 大阪府・2地方 32ページ「大阪府最古の古民家、解体、淀川の「渡辺邸 相続税払えず/大阪府」 資料(6),
参考資料:大阪市立図書館:市史編纂所だより https://www.oml.city.osaka.lg.jp/index.php?page_id=1150 (2024.3.18確認) 資料(7),
(2024/06/07 00:30)
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レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
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大阪市浪速区幸町にある安政の地震津波碑の碑文全文を知りたい。(大阪市立中央図書館)
安政の地震津波とは、嘉永7年(安政元年・1854年)11月4・5日に大阪を襲った紀伊半島沖に震源をもつ推定マグニチュード8.4の大地震と、それに伴って起きた大津波のことです。
その状況を記録し、後世の人のために戒めを伝える目的で安政2年7月に、被害の甚大だった浪速区幸町五丁目大正橋の東詰に石碑が建立されました。
そこには、大地震が起きた場合には必ず津波が襲うものと心得るべきだと教訓が書かれています。
・小田康徳「大阪における安政の地震津波碑と震災の記憶について」『ヒストリア』第148号(p.91~95)
碑文の原文全文が掲載されています。
ただし、「この文章はこの石碑から直に写したものではなく、浪速区幸町三丁目居住増井健蔵氏所収の木版刷にもとづくもので、若干の異同がある。」と記述されています。
・『大正大阪風土記』訂正(大阪教育部共同研究会/編 大正大阪風土記刊行会,1927)
「津波の碑」の項(p.327~328)にも碑文の原文の掲載がありますが、石碑の背面と右面の碑文のみです。
また、『ヒストリア』掲載のものと、句読点やかな使いに若干の異同がありますが、こちらが石碑から直に写したものかどうかは明らかにされていません。
・浪速区役所ホームページ http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html (2011.3.23確認)
「区のスポット・名所・旧跡」として「安政大津波記念」の碑が取り上げられています。
そこでは、碑に隣接して設置された記念碑に碑文の原文と共に現代語訳が記されているとした上で、現代語文を紹介しています。
2011年8月、大阪市史編纂所より、碑文に関する参考資料として以下のものが最適という情報をいただきました。
・『水都大坂を襲った津波 : 石碑は次の南海地震津波を警告している。』( 長尾 武/著・発行 改訂版 2007)
p.14~16に碑文の全文が記載されています。
参考資料:小田康徳「大阪における安政の地震津波碑と震災の記憶について」『ヒストリア』第148号 大阪歴史学会 1995.9,
参考資料:『大正大阪風土記』訂正 大阪市教育部共同研究会編 大正大阪風土記刊行会 1927,
参考資料:浪速区役所ホームページ>区内の官公署、主な施設、名所旧跡等>名所・旧跡等>区のスポット・名所・旧跡>碑>「安政大津波」の碑
http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html (2011.3.23確認),
参考資料:『水都大坂を襲った津波: 石碑は次の南海地震津波を警告している。』 長尾 武著・発行 改訂版 2007.2,
寄与者:大阪市史編纂所
備考:大阪市立図書館webギャラリー「大阪の災害 ~江戸・明治期にかけて~」http://www.oml.city.osaka.jp/image/themes/theme569.html (2011.3.23確認)、
小展示「幕末の大坂を襲った大地震と大津波」(平成16年12月 大阪府立中之島図書館作成)
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/63_jisin.html (2011.3.23確認)もご参照ください。
(2012/04/17 14:41)
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大阪上本町の近鉄百貨店辺りにあった「梅屋敷」についての資料はないか?(大阪市立中央図書館)
「東都亀戸の梅屋敷を模して、文化年間に造ったもの~生玉馬場の東(現在の上本町六・七丁目辺)にあり、園中に梅を植え、樹下に席を設け~秋には菊観で賑わった~。~日露開戦の一二年後には、山口銀行主の山口吉郎右衛門氏本邸となり、大正期には忘れさられてしまった。」
(「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号 2008より)
『浪華の賑ひ』 (鶏鳴舎暁晴/編輯 ; 松川 半山/画図 中外書房,1975|安政2年版の複製)26丁に”梅屋敷”についての記述がある。
その他は以下のとおり。
・『浪速叢書 第7 摂津名所図会大成 其1』 (船越 政一郎/編 暁 鐘成/著 名著出版,1978)p277~278
・『大阪府全志 巻之2』(井上 正雄/著 清文堂,1985|大正11年刊の復刻)p764
・『上方』 26 表紙 193302 /『上方』 30 「三十年前の大阪東部」寺川信 p33-34、35 193306
※ 『上方 郷土研究 3(上) 自第二十五号(昭和八年一月)至第三十号(昭和八年六月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969)所収
・『天王寺区史』 (川端 直正/編 天王寺区創立三十周年記念事業委員会,1955.10) p84、406
・徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号 1980.9(p82-87)
・『京阪名所案内』 (白土 幸力/編輯 博盛堂,1904) p13
・『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟』 (大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻)p79-80
・『大阪新繁昌記』 (島本 篤平/著 島本篤平,1894.10)p18-19
・『大阪案内』 (日本電報通信社大阪支局,1909)p205
・『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』(国書刊行会,1985.11)
大阪の梅園(p.34.35) 図版・解説あり。
『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])には「梅屋敷」の絵が収録されており、
大阪市立図書館 画像データベースで画像を提供しているほか、大阪市立図書館Webギャラリー「なにわ花めぐり 」でも同画像を紹介。
”梅屋敷”の位置と広さについては、次の資料による。
『新修大阪市史 第10巻』 (新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市,1996.3) 歴史地図 図5 天保期の大坂三郷
『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[地図] 』 (吉江集画堂地籍地図編輯部/編纂 吉江集画堂,1911)
『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[土地台帳] 』 ([吉江集画堂地籍地図編輯部/編] 吉江集画堂,1911)
国立国会図書館ホームページの「写真の中の明治・大正 関西編」 梅屋敷には、
『旅の家つと23号』(大阪市立図書館所蔵なし)掲載の梅屋敷の写真が紹介されており、関連する近代デジタルライブラリーへのリンクあり。
大阪府立図書館に『梅屋敷の記』(黒沢翁満 1846)が所蔵されており、「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」で画像が公開されている。
また、「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号(2008(平成20)年3月31日)本文もホームページ紀要のページで公開されている。
また、大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」では、 『浪花百景』(芳瀧画)・『浪華百景之内』(貞信(初代)画)の画像を見ることができる。
回答プロセス:『大阪史蹟辞典』(三善 貞司/編 清文堂出版,1986.7)には記載なし。
大阪市史編纂所に助言を得る。
2010.3追加調査
1.大阪府立中之島図書館 ホームページで調査
大阪文献データベースhttp://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2010.3.24確認)を調査
事項から検索 “梅屋敷”
『上方』 26 表紙 193302 /『上方』 30 「三十年前の大阪東部」寺川信 p33-34、35 193306
※ 『上方 郷土研究 3(上) 自第二十五号(昭和八年一月)至第三十号(昭和八年六月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969)所収
『上方』 31 p62-63 193307 新梅屋敷が中心
※『上方 郷土研究 3(下) 自第三十一号(昭和八年七月)至第三十六号(昭和八年十二月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969) 所収
『天王寺区史』 (川端 直正/編 天王寺区創立三十周年記念事業委員会,1955.10) p84、406
『梅屋敷の記』 黒沢翁満 1846 大阪市立図書館所蔵なし
文献名から検索 “梅屋敷”
徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号 1980.9(p82-87)
『梅屋敷の記』 黒沢翁満 1846 大阪市立図書館所蔵なし
『梅屋敷の記』(黒沢翁満 1846)は、「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」で画像公開を確認。
「錦絵にみる大阪の風景」 http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認)では、
名所名 梅屋敷で二つの画像を見ることができる。
2.国立国会図書館写真の中の明治・大正 関西編 梅屋敷http://www.ndl.go.jp/scenery/kansai/data/79/index.html (2010.3.24確認)を調査
『旅の家つと23号』(大阪市立図書館所蔵なし)掲載の梅屋敷の写真が紹介されており、代デジタルライブラリーの関連する下記タイトルへのリンクあり。
『京阪名所案内』 (白土 幸力/編輯 博盛堂,1904) p13
『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟』 (大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻)p79-80
『大阪新繁昌記』 (島本 篤平/著 島本篤平,1894.10)p18-19
『大阪案内』 (日本電報通信社大阪支局,1909)p205
貴重書画像データベースで紹介されている『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])も含め、当館所蔵あり。
3.CiNii - NII論文情報ナビゲータhttp://ci.nii.ac.jp/ (2010.3.25確認)を調査
キーワード“梅屋敷”で検索。
小笠原 弘之 , 山田 瑞穂 , 佐藤 敏江 [他] 「翻刻『梅屋敷の記--一名 このはな』 翻刻『松島紀行』」 『大阪府立図書館紀要』 (37),2008/3 が見つかる。
大阪府立図書館紀要ページで本文公開を確認。
2010.10追加
『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』(国書刊行会,1985.11)
大阪の梅園(p.34.35) 図版・解説あり。
事前調査事項:『葎居後集 1~3巻』(黒沢翁満著 河内屋和助 安政5.6(1858))
参考資料:『浪華の賑ひ』 鶏鳴舎暁晴/編輯 ; 松川 半山/画図 中外書房,1975,
参考資料:『浪速叢書 第7 摂津名所図会大成 其1』 船越 政一郎/編 暁 鐘成/著 名著出版,1978 浪速叢書刊行会 1927年刊の復刻,
参考資料:『大阪府全志 巻之2』 井上 正雄/著 清文堂,1985 ISBN 4-7924-0271-9大正11年刊の復刻,
参考資料:『新修大阪市史 第10巻』 新修大阪市史編纂委員会/編集
大阪市,1996.3,
参考資料:『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[地図] 』 吉江集画堂地籍地図編輯部/編纂 吉江集画堂,1911,
参考資料:『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[土地台帳] 』 [吉江集画堂地籍地図編輯部/編] 吉江集画堂,1911,
参考資料:大阪市立図書館Webギャラリー「なにわ花めぐり 」http://www.oml.city.osaka.jp/image/themes/theme829.html (2010.3.25確認),
参考資料:「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」http://rarebooks.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認),
参考資料:「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号 2008(平成20)年3月31日 http://www.library.pref.osaka.jp/lib/kiyo.html (2010.3.25確認),
参考資料:『上方 郷土研究 3(下) 自第三十一号(昭和八年七月)至第三十六号(昭和八年十二月)』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969 ,
参考資料:徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号1980.9(p82-87) <当館書誌ID:0000253458>,
参考資料:『京阪名所案内』 白土 幸力/編輯 博盛堂,1904,
参考資料:『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟 』 大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻,
参考資料:『大阪新繁昌記』 島本 篤平/著 島本篤平,1894.10,
参考資料:『大阪案内』 日本電報通信社大阪支局,1909,
参考資料:大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」 http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認),
参考資料:国立国会図書館写真の中の明治・大正 関西編 梅屋敷http://www.ndl.go.jp/scenery/kansai/data/79/index.html (2010.3.24確認),
参考資料:『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』国書刊行会/編 国書刊行会,1985.11,
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.3.24確認)
備考:大阪市立図書館Webギャラリー「大阪名所めぐり」http://www.oml.city.osaka.jp/cgi-bin/img_src/disp_themes.cgi (2011.2.4確認)もご参照ください。
2010年3月18日から4月1日まで大阪市立図書館サイトトップ( http://www.oml.city.osaka.jp/ )で、
「梅屋敷」 (『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])をご紹介しました。
「古文書や大阪関係の地図を検索する」 http://www.oml.city.osaka.jp/cgi-bin/img_src/s_all.cgi (2010.12.17確認)で、書名 図名“写真浪花百景”で検索し、17ページをご参照ください。
山口吉郎兵衛(4代)やまぐち-きちろべえ(1883-1951) 明治-昭和時代の銀行家。
明治31年大阪第百四十八国立銀行を山口銀行(三和銀行の前身)に改組し,社長となる。陶磁器の収集家,茶道家としても知られる。大阪出身。号は滴翠。(『日本人名大辞典』(平凡社)山口吉郎兵衛(4代)の項目より抜粋)
(2011/04/23 16:54)
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石川静水という人物について知りたい。大阪で化粧業界紙の発行をしていた人らしい。(大阪市立中央図書館)
石川静水は、石川清三郎のこと。大阪化粧品商報主筆。
雑誌『あまカラ 33号』(甘辛社,1954.5)「哥沢初稽古」(p.38)に、石川静水について記述がある。
それによると、金物問屋に生まれ、隣家の南木芳太郎(なんきよしたろう:明治15(1882)年-昭和20(1945)年 昭和期の郷土史家。上方郷土研究会を創立し、大阪の近世・近代史を研究)と御津幼稚園からの竹馬の友であった。
また、石川静水の執筆したものとして下記を紹介。
1)『上方』101 「百人随筆集その2 芳チャンと上方」193905 (p.24-25)
南木芳太郎についての記事で、島之内の新屋敷を遊び場としていた事等が綴られている。
2)『上方』50 「新屋敷」193502 (p.35-38)
3)『上方』68 「宗右衛門町に涼みがあった時代」193608 (p.10-11、46-47)
4)『上方』81 「見世物と流行歌」193709 (p.57)
城崎文芸館(兵庫県) http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/bungaku/bungekan/bungai.html (2010.5.10確認)には、静水撰の画帖「城崎八景」所蔵があり、あわせて紹介する。
回答プロセス:1.人物関連の参考図書を調査
下記に記載なし。
『大阪人物辞典』(清文堂出版,2000.11)
『『大阪春秋』総目次・索引集 創刊号~第100号』(大阪春秋社,2002.9) 人名の項目なし
『上方 郷土研究 別巻』(新和出版社,1971) 町人学者・俳句・新聞・出版の各項目 該当なし
『新修大阪市史 第10巻』(大阪市,1996.3) 索引 該当なし
『明治大正昭和大阪人名録 上巻』( 日本図書センター,1989.10)
『大阪人物誌 正編 』(臨川書店,1974)、『大阪人物誌 続編』(臨川書店,1974)
『日本書画骨董大辞典 増訂版』(成文館書店,1935.8)
『日本紳士録 24版』(交詢社,1919.12)
2.大阪の化粧品業界の資料を調査
当館所蔵を、キーワード“大阪×出版×化粧品”で検索。
『日本の書店百年』 (青英舎,1991.7)の内容確認するが、記述なし。
3.大阪府立中之島図書館大阪文献データベース http://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2010.5.10確認)
“石川静水”で検索。事項から検索 0件、文献名から検索すると、下記の4件の記事があり。
1)上方 101 百人随筆集その2 芳チャンと上方/石川静水 p24-25 193905
2)上方 50 新屋敷/石川静水 p35-38 193502
3)上方 68 宗右衛門町に涼みがあった時代/石川静水 p10-11、46-47 193608
4)上方 81 見世物と流行歌/石川静水 p57 193709
4.インターネットで調査
国立国会図書館 蔵書検索・申込システム http://opac.ndl.go.jp/ (2010.5.10確認)、
近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/index.html (2010.5.10確認)では情報なし。
Googleで、“石川静水”検索、城崎文芸館が同氏撰の画帖を所蔵していることが判明。
5.当館提供商用データベースで調査
下記全て“石川静水”が該当なし
e-レファレンス/ツール(日外 人物・出版情報)
聞蔵Ⅱビジュアル(朝日新聞 一部記事写真閲覧可)
The SankeiArchives(産経新聞記事)
日経テレコン21(日経四紙記事)
毎日Newsパック(毎日新聞記事)
ヨミダス文書館(読売新聞記事)
6.大阪市史編纂所に照会
化粧品商報社の編集をしていた人物である。
肥田晧三氏の講演会(「中井浩水著作目録(二) 大阪芸能懇話会 平成16年6月27日)レジュメの中に、“静水”についての記載(雑誌『あまカラ33号』より抄出)があるとの情報を得た。
参考資料:『あまカラ 31~40号』(甘辛社,1954.3-12),
参考資料:『上方 郷土研究 10(上)』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』101所収,
参考資料:『上方 郷土研究 5』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』50 所収,
参考資料:『上方 郷土研究 6』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』68 所収,
参考資料:『上方 郷土研究 7』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』81 所収,
照会先:城崎文芸館 http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/bungaku/bungekan/bungai.html (2010.5.10確認)
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.5.10確認)
備考:大阪市立図書館多機能OMLISでは、2011年4月より商用データベース「毎日Newsパック」に代えて「毎索」(マイサク)(毎日新聞記事)を提供。
(2011/04/08 20:23)
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明治36年(1903)、第五回内国勧業博覧会開催時に、親子丼が販売提供されていたか知りたい。(大阪市立中央図書館)
『大阪三六五日事典』(東方出版,2002.2)「明治36年3月1日内国勧業博覧会開幕」の記事(p.46)に、“鳥菊”主人考案の十五銭の親子丼が、会場から誕生したとの記述あり。
あわせて下記の資料をご紹介した。
・『博覧会』(「実業世界太平洋」臨時増刊第1巻第五号)(博文館,1903)
山下雨花「余興と飲食物」の項目に下記の記述あり。(p.189 下段)
「鳥菊の鳥、~その鋤焼に親子丼の風味は、~」
・『博覧会土産 大阪及び附近の名所案内』(山下 雨之助/編 岡本偉業舘,1903)
「場内飲食店」の項目に、「鳥菊」あり。(p.29-30)建物の記述等あるが、親子丼の記述なし。
・『第五回内国勧業博覧会場内観覧案内』(山田 鎗之助/著 大阪製本印刷,1903)
鶏肉料理 内本満助(p.57)
・『第五回内国勧業博覧会場全図』(博文館,1903)
鶏肉料理 内本(図の中央あたりの上部)
・『第五回内国勧業博覧会案内記』(井上 熊次郎/編纂 考文社,1903)
鶏肉料理 内本満助(p.83)
・『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)
国立国会図書館近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認)
「博覧会ト飲食店」の項目に、鳥菊・内本満助の記述あるが、親子丼の記述はなし。(p.80.81)
回答プロセス:1.商用データベース「Japan Knowledge(ジャパンナレッジ)」(事典・辞書等) を調査
キーワード“親子丼”で検索、4件の項目が見つかるが詳しい由来はなし。
キーワード“親子丼”で全文検索、22件の項目のうち、由来については下記の項目にあり。
『日本大百科全書』(小学館)【丼物】
「親子丼は、東京・中央区の玉秀という鳥料理屋で明治初期に創作したもの。」
2.参考図書を調査
・『明治・大正家庭史年表 : 1868→1925 』(河出書房新社,2000.3)
明治36年3月1日、大阪で初めて“親子丼”が売り出されるとあり。(p.300)
・『衣食住語源辞典』(東京堂出版,1996.9)
1903年7月26日『大阪毎週新聞』に“親子丼”の文字が見える、とあり。(p.59)
※『大阪毎週新聞』は所蔵せず。
事物起源・料理の歴史に関する図書も調査するが、関連の記述は見つからない。
3.大阪府立中之島図書館大阪文献データベースhttp://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2011.3.7確認)を調査
キーワード“親子丼”で検索、下記の図書が見つかった。
・『大阪三六五日事典』(東方出版,2002.2)
「明治36年3月1日内国勧業博覧会開幕」の記事(p.46)に、“鳥菊”主人考案の十五銭の親子丼が、会場から誕生したとの記述あり。
4.googleブックス http://books.google.com/ (2011.3.7確認)で調査
キーワード“親子丼”ד内国勧業博覧会”で検索、下記の図書が見つかった。
・『語源海』(東京書籍,2005.3)
料亭鳥菊の主人、内本松次郎の名あり。(p.171)
・『日本史「はじめて」事典』(PHP研究所,2009.3)
鳥菊の主人・内本松次郎の名あり。(p.97) ※利用者調査済
5.新聞データベースを調査
・商用データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」(朝日新聞 一部記事写真閲覧可)
「朝日新聞縮刷版」メニューで調査
大阪朝日新聞の1903年7月26日から8月2日まで内国勧業博覧会の記事を確認してみるが、“親子丼”の記事はなし。
“鳥菊”で検索すると、明治18年(1885)6月13日大阪朝刊4頁に広告「鳥菊 近火御見舞御礼」などが見つかる。
親子丼についてはなし。
“親子”ד丼”で検索すると、明治17年(1884)の神戸元町の「江戸幸」の広告に
「親子上丼」「親子並丼」「親子中丼」の名称あり。
・商用データベース「ヨミダス歴史館」(読売新聞記事)
関連の記述見つからず。
6.大阪市史編纂所にお尋ね
“第五回内国勧業博覧会”の出店記録は資料としてあるだろうが、“親子丼”を販売していた等の記録はないと思われ、見聞記や新聞記事等に記述が見つかる可能性を示唆された。
7.第五回内国勧業博覧会関係資料を調査
回答記載の資料に関連する記述を確認。
8.国立国会図書館 近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/index.html (2011.3.7確認)
第五回内国勧業博覧会関係で、当館の所蔵していないものを確認。
『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認)
「博覧会ト飲食店」の項目に、鳥菊・内本満助の記述あるが、親子丼の記述はなし。(p.80.81)
事前調査事項:『日本史「はじめて」事典』(PHP研究所,2009.3)に鳥菊の主人・内本松次郎の名あり。(p.97)
参考資料:『博覧会』博文館,1903,
参考資料:『博覧会土産 大阪及び附近の名所案内』山下 雨之助/編 岡本偉業舘,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会場内観覧案内』山田 鎗之助/著 大阪製本印刷,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会場全図』博文館,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会案内記』井上 熊次郎/編纂 考文社,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)
国立国会図書館近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認),
寄与者:大阪市史編纂所http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2011.3.7確認)
(2011/03/19 10:29)
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生島永太郎(いくしま えいたろう)について知りたい。明治の終わりから戦前ぐらいまでの大阪商人(久太郎町)。 甲南小学校の設立者の一人で、明治45年に大阪保誉院を作った人。父は生島嘉蔵(かぞう)。(大阪市立中央図書館)
生島永太郎は、明治7年11月生。生島家では、代々嘉蔵を襲名している模様。下記の資料をご紹介した。
1.『社団法人大阪保誉院記念帳』(大阪保誉院清算事務所,1935.7)
「起源及沿革」ほかに記載あり。生島永太郎(嘉蔵)の表記が多数。
2.『大阪府社会事業史』(大阪社会福祉協議会,1958)
生嶋永太郎を中心に組織された辰巳会によって廃兵の収容所として明治45年泉北郡三宝村に開設(p270)
3.『甲南学園50年史』 (甲南学園,1971.3) 『甲南学園の70年』 (甲南学園,1992)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり。
4.『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5
「大阪現代人名辞書 1」(復刻 初版:文明社 大正2年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月25日生まれ。長男永太郎(明治7年11月生)とあり。 (p69)
回答プロセス:1.当館所蔵を検索
“生島永太郎”では該当なし。
2.商用データベースで調査
商用データベース「ジャパンナレッジ」 該当なし
商用データベース「e-レファレンス/ツール」 生島嘉蔵(いくしまかぞう)はあり。
「文政4(1821)年~明治32(1899)年7月2日 江戸時代末期・明治期の商人、貿易商。貿易業に従事、唐反物を取り扱う。【掲載事典】◎「幕末維新人名事典」
永太郎の祖父にあたるのか?
3.中之島図書館「大阪文献データベース」を調査
該当無し。
4.『新修大阪市史』索引になし。
5.大阪保誉院関連の資料を調査
『社団法人大阪保誉院記念帳』(大阪保誉院清算事務所,1935.7)に記載あり。
『大阪府社会事業史』(大阪社会福祉協議会,1958)
生嶋永太郎を中心に組織された辰巳会によって廃兵の収容所として明治45年泉北郡三宝村に開設(p270)
6.甲南学園関係資料を調査
『甲南学園50年史』 (甲南学園,1971.3)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり(p4)。
『甲南学園の70年』 (甲南学園,1992)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり(p18)
7.大阪関係の人物事典を調査
『都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1 復刻』渋谷 隆一/編 日本図書センター,1991.2
大阪市商工業者資産録(商業興信所編 1902(明治35)年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月生まれとあり。職業欄は空欄。
『明治大正昭和大阪人名録 上巻』 (日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 明治43年刊)の復刻)に、生島嘉蔵あり。住所と所得税・電話の掲載(p20)
『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5
「大阪現代人名辞書 1」(復刻 初版:文明社 大正2年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月25日生まれ。長男永太郎(明治7年11月生)とあり。 (p69)
『大阪人物辞典』 (三善 貞司/編 清文堂出版,2000.11)
生島嘉蔵 文政4(1821)年 (p62) 「幕末維新人名事典」掲載と同人物
『日本人物情報大系 32 企業家編 2』(皓星社,2000.3)
生島嘉蔵のみ。
下記には記載無し。
『明治大正昭和大阪人名録 中巻』 (日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 大正14年刊)の復刻
『明治大正昭和大阪人名録 下巻』(日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 昭和11年刊の復刻)
『大阪新人大観』(升谷 天惠/著 大阪新人大観編纂局,1925)
『大阪新人物誌』(夕刊大阪新聞社,1934.6)
『大阪の公人 : 付・連合区制の小史』 (山本 桃洲/著 大阪の公人刊行事務所,1916.4)
8.近代デジタルライブラリーで調査
『明治富豪譚』(大阪毎日新聞社 明治25.9)「生島嘉蔵乗車賃を二銭に限る」
『当世名士譚』(米倉領次郎,明25.10)「生島嘉蔵の質朴」
年代からして、永太郎の父のことか。
9.大阪市史編纂所におたずね
有用な情報なしとのこと。
参考資料:『社団法人大阪保誉院記念帳』大阪保誉院清算事務所,1935.7,
参考資料:『大阪府社会事業史』大阪社会福祉協議会,1958,
参考資料:『甲南学園50年史』 甲南学園50年史出版委員会/編 甲南学園,1971.3,
参考資料:『甲南学園の70年』 甲南学園史資料室委員会/編集 甲南学園,1992,
参考資料:『都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1 復刻』渋谷 隆一/編 日本図書センター,1991.2 ISBN 4-8205-5416-6,
参考資料:『明治大正昭和大阪人名録 上巻』 日本図書センター,1989.10 ISBN 4-8205-2058-X,
参考資料:『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5 「大阪現代人名辞書 1」文明社/編纂 復刻 初版:文明社 大正2年刊 ISBN 4-8205-9966-6 ,
参考資料:『大阪人物辞典』 三善 貞司/編 清文堂出版,2000.11 ISBN 4-7924-0499-1,
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.1.23確認)
備考:商用データベース「e-レファレンス/ツール」は、2010年6月から「e-レファレンス・ライブラリー」(日外 人物・出版情報) に変更。
(2010/12/13 19:38)
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