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サイト名
レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
https://crd.ndl.go.jp/
明治時代の大阪の豪商の番付表で、五代友厚が載っているものを見たい。(大阪市立中央図書館)
番付表にあたる「長者鑑」で五代友厚が載っていることを確認できた資料を以下にご紹介します。
『浪花古新持丸長者鑑 初篇』(庄司 仙吉/編 庄司仙吉,1883)
明治16年の長者番付表です。枠外に「別 靭ニ 五代友厚」とあります。
『都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1』(渋谷 隆一/編 日本図書センター, 1991.2)
p.2-3に上記『浪花古新持丸長者鑑 初篇』が収録されています。
『大坂持丸長者鑑 :明治18年改正』(前田 喜治郎/編 綿[屋]喜[兵衛],1884)
「東の方」上段に「同(前頭) 同(大坂)五十萬圓 五代友厚」とあります。
なお、『浪花古新持丸長者鑑 初篇』、『大坂持丸長者鑑 :明治18年改正』は大阪市立図書館デジタルアーカイブでも画像がご覧いただけます。
・大阪市立図書館デジタルアーカイブ:浪花古新持丸長者鑑 初篇(館内限定公開画像)
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=24980010 (2020.4.13確認)
・大阪市立図書館デジタルアーカイブ:大坂持丸長者鑑 :明治18年改正(インターネット公開)
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=25220010 (2020.4.13確認)
早稲田大学図書館で公開されている以下の資料にも「五代友厚」が掲載されていましたのでご紹介します。
リンク先ページの「精細画像(PDF)」をクリックすると精細画像を閲覧することができます。
早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本新持丸長者鑑(明治13年1月)
http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_37/ (2017.12.16確認)
「西之方」上段に「関脇 同(大坂) 五代友厚」とあります。
早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本改正持丸長者鑑(明治12年11月)
http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_36/ (2017.12.16確認)
※画像に「明治十三年辰一月改」と記載されています。
「西之方」上段に「大関 大阪 五代友厚」とあります。
早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本持丸長者鑑(明治12年2月)
http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_34/ (2017.12.16確認)
「西之方」上段に「大関 大阪 五代友厚」とあります。
早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本持丸長者鑑(明治11年12月)
http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_33/ (2017.12.16確認)
「東之方」上段に「関脇 東京 五代友厚」とあります。
早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本持丸長者鑑(明治10年8月)
http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_30/ (2017.12.16確認)
「西之方」上段に「関脇 東京 五代友厚」とあります。
ご参考まで、「長者鑑」について商用データベース「JapanKnowledge」(日本国語大辞典)(2017.12.16確認)に説明がありますので以下にご紹介します。
・ちょうじゃ‐かがみ[チャウジャ‥] 【長者鑑】
「富豪の氏名を列記した長者番付風のもの。分限鑑(ぶげんかがみ)。長者経。
2020.4.13追記
参考資料にある大阪市立図書館デジタルアーカイブ画像を関連ファイルとして登録し、URLを修正しました。
回答プロセス:1.国立国会図書館サーチ(http://iss.ndl.go.jp/)(2017.12.16確認)をキーワード“長者”ד番付”ד明治”で検索。『都道府県別資産家地主総覧』という資料があることがわかったため、当館所蔵資料をタイトル“都道府県別資産家地主総覧”で検索し、資料1が見つかる。
2.当館所蔵資料を資料1に掲載されている資料名で検索し、資料2、3が見つかる。
3.当館所蔵資料をタイトル“持丸長者”で検索し、資料4、5が見つかる。
4.インターネット検索エンジンを“持丸長者”ד番付”で確認し、早稲田大学図書館サイト上で番付画像が公開されていることを確認。
5.プロセス3より、早稲田大学図書館(http://wine.wul.waseda.ac.jp/)(2017.12.16確認)の蔵書検索「WINE OPAC」の「キーワード検索」を“持丸長者”で検索をし、資料6、7、8、9、10が見つかる。
6.商用データベース「JapanKnowledge」(日本国語大辞典)(2017.12.16確認)(資料11)を“長者鑑”で検索し、意味を確認。
参考資料:当館書誌ID 都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1 渋谷 隆一/編 日本図書センター 1991.2 4-8205-5416-6 (資料1),
参考資料:当館書誌ID 浪花古新持丸長者鑑 初篇 庄司 仙吉/編輯 庄司仙吉 1883(明治16) (資料2),
参考資料:当館書誌ID 大坂持丸長者鑑 :明治18年改正 前田 喜治郎/編輯 綿[屋]喜[兵衛] 1884 (資料4),
参考資料:商用データベース「JapanKnowlege」(日本国語大辞典)(2017.12.16確認) (資料11),
参考資料:大阪市立図書館デジタルアーカイブ:浪花古新持丸長者鑑 初篇(館内限定公開画像)(2020.4.13確認) http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=24980010 (資料3),
参考資料:大阪市立図書館デジタルアーカイブ:大坂持丸長者鑑 :明治18年改正(インターネット公開)(2020.4.13確認) http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=25220010 (資料5),
参考資料:早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本新持丸長者鑑(2017.12.16確認) http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_37/ (資料6),
参考資料:早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本改正持丸長者鑑(2017.12.16確認) http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_36/ (資料7),
参考資料:早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本持丸長者鑑(2017.12.16確認) http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_34/ (資料8),
参考資料:早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本持丸長者鑑(2017.12.16確認) http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_33/ (資料9),
参考資料:早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本持丸長者鑑(2017.12.16確認) http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_30/ (資料10),
(2023/05/17 00:30)
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1955年4月に初当選の豊中市初の女性市議会議員および豊中市初の女性議長である第73代議長の当選時・就任時の新聞記事はあるか。また、大阪府内初の女性市議会議員当選の時期についても知りたい。(豊中市立図書館)
下記の資料を案内した。
回答プロセス:まず、1955年の豊中市議会議員選挙の日程を調べる。
『豊中市議会史 別冊年表』(豊中市議会事務局)で昭和30年(1955)を確認すると、4月30日に「市長選挙・市議会議員選挙」の記載があり。
当館所蔵の朝日新聞記事データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」で同年5月1日~5日の大阪版地方面の記事を確認すると、5月2日に豊中市議会議員選挙の結果があり。トップ当選は当該女性議員。ただし豊中市議会の女性議員当選には言及なし。同じ記事の中に、「池田市会紅一点 森田さん再選」の記載があり、池田市議会の女性前職の当選には言及されている。5月3日の大阪版地方面には「高槻・豊中・池田 三市会の動きをみる」として、豊中市議会の状況分析があるが、女性議員には言及なし。
Googleで池田市の女性議員の氏名を検索すると、池田市の「わがまち歴史散歩 市史編纂だより119」(生涯学習推進課発行、2015.6.1) https://www.city.ikeda.osaka.jp/material/files/group/29/wagamati-111-120.pdf (URL:2023.4.27確認)がヒット。1951年4月の戦後2回目の池田市議会議員選挙で、1955年に再選された上記記事の前職について、女性議員として初めて市議会に登場とあり。
1951年4月の豊中市議会選挙の日程は『豊中市議会史 別冊年表』によると4月23日。同年4月の朝日新聞大阪版地方面を調べると、4月25日に第2回統一地方選の結果があり、「婦人議員は大阪、池田、守口、富田林にわずかに一名ずつと枚方に二名の計六名」と記載されている。
第1回統一地方選の日程は『豊中市議会史 別冊年表』によると昭和22年(1947)4月30日。同年5月の朝日新聞大阪版地方面の記事は発見できず、また当館所蔵の毎日新聞記事データベース「毎索」にも同年の大阪府内の選挙に関する記事は発見できなかった。
議会関連(314)地方自治(318)の書架を調べるが、『戦後の選挙総覧」(ぎょうせい)p5-6に第一回統一地方選挙の記載はあるものの、女性議員の当否については言及がない。女性史(367.2)の書架を調べたところ、『日本女性史事典 トピックス 1868-2015』(日外アソシエーツ)p103に、第1回統一地方選挙の結果について、「地方議員では東京で都議2人・区議16人、神奈川で市議5人、兵庫で市議4人」との記載と、町村議会でのおおまかな当選者数等の記載があり、大阪府内では女性市議の当選者がなかったことが推察される。
次いで第73代議長の就任時期を調べる。
『豊中市議会史 資料編』(豊中市議会事務局)p1252-1253に初代~第51代議長の就任・退任年月日があり。在任時期はまちまちであるが、おおむね1年前後の在任が多い。質問を受けた2021年時点の議長は第83代であるため、2011年前後の新聞記事を探したところ、2011年5月23日の朝日新聞・読売新聞に、第73代議長就任に関する記事があり。
(2023/05/02 15:35)
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小学校3年生に、昭和30年頃の小学生の生活について説明するため、当時の写真が載っている資料を探している。豊中市内または大阪府北部のものを希望。(豊中市立図書館)
下記の資料を案内した。
回答プロセス:地域資料の書架を探したところ、下記の資料に豊中市及び大阪府北部の子どもの写真が載っていた。いずれも貸出可。
『豊中市の昭和 写真アルバム』(樹林舎)フォトコラム「戦後の子どもたち」等に昭和30年代の豊中市内の児童の写真あり。
『保存版ふるさと豊中 市制80周年記念決定版写真集!!』(郷土出版社)「暮らしの折々に」に昭和30年代の生活の写真あり。
『豊中・吹田今昔写真帖 保存版』(郷土出版社)「特集 子どもたちの日々」に昭和30年代の子どもの写真あり。
あわせて所蔵資料をキーワード「昭和 写真 こども」で検索したところ、豊中および大阪北部に限ったものではないが、下記の資料がヒットしたため、これらもご案内した。
『なつかしの昭和の子どもたち』(国書刊行会)昭和のこどもの遊びをテーマとした写真集。
『写真家が捉えた昭和のこども』(クレヴィス)昭和11年~51年までの子どもの写真集。
『昭和の暮らしで写真回想法 1 子どもと遊び』(農山漁村文化協会)昭和20〜50年代にかけて撮影された子どもの日常の写真集。
『市民が写した昭和の子どもたち 元気な子どものアルバムから』(伊丹市立博物館)兵庫南部だが、昭和30年代の写真もいくつかあり。
なお、下記の資料には、昭和30年代の大阪府北部の子どもの写真はあまり載っていなかった。
『写真集 明治大正昭和 豊中 ふるさとの想い出』(国書刊行会)子どもの写真はあるが、明治・大正が多い。
『目で見る豊中・吹田の100年』(郷土出版社)昭和30年代の写真はあるがおおむね風景写真、戦後の子どもの生活は昭和20年代の写真が多い。
『写真ものがたり昭和の暮らし 6 子どもたち』(農山漁村文化協会)地方の子どもの写真がテーマ。撮影者・提供者に近畿在住者なし。
参考資料:『豊中市の昭和 写真アルバム』 樹林舎,
参考資料:『保存版ふるさと豊中 市制80周年記念決定版写真集!!』 能登 宏之/監修 郷土出版社,
参考資料:『豊中・吹田今昔写真帖 保存版』 郷土出版社,
(2023/04/28 12:34)
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北大阪急行の千里中央駅は良いデザインだと聞いたことがあるが、そのことについてわかる本はあるか。(豊中市立図書館)
下記の資料を案内した。
回答プロセス:686(鉄道)523(建築)の書架を探し、また所蔵資料をキーワード「千里中央駅」で検索。
『大阪名所図解』(140B)p107「北大阪急行千里中央駅」に、駅建設の経緯と、駅の魅力は空間構成(ホームと地下1階の商店街が吹き抜けでひとつになっている)等の記載があり。
『生きた建築大阪 2』(140B)p130-131「北大阪急行千里中央駅付近」には、地下鉄御堂筋線梅田駅や心斎橋駅にも負けない大きな吹き抜けの空間で、デザインが直線的であること、吹き抜け上部に店舗が並び駅を使わなくても利用できること等の記載があり。
なお、下記の資料には、千里中央についての記載はあるが、駅のデザインについての記載はなかった。
『新・大阪モダン建築 戦後復興からEXPO'70の都市へ』(青幻舎)p100-101に千里ニュータウンについての記載はあり。
『大阪環状線・北大阪急行・御堂筋線 街と駅の1世紀』(アルファベータブックス)p50-51に千里中央駅の歴史等についての記載や写真はあるが、デザインには言及していない。
『北大阪急行25年史』(北大阪急行電鉄株式会社)p91-92「千里中央駅開設」に、開業当初の写真や、万国博会期中は千里中央駅の営業はなかったものの、地下1階の商店街は営業していたため、工事は開催日までに完成させていた等の記載はあり。デザインには言及なし。
『北大阪急行50年史 1967-2017』(北大阪急行電鉄)p42-43「会場千の廃止」には上記とは別の開業当初の写真があり、またp88-89「千里中央駅リニューアルー変わりゆく駅の背景」には1989年~90年のリニューアルについての記載や写真があるが、駅のデザインについての記載はなし。
『えきたの アート編 駅を楽しむ』(創元社)第5章「建築美の駅」p124-125に、シャンデリアのある地下鉄駅として、大阪市交通局御堂筋線梅田駅~心斎橋駅の項があるが、千里中央駅には言及なし。
このほか確認した資料は下記。
『関西感動の駅トラベル 駅舎めぐり旅』(メイツ出版)
『昭和の終着駅 関西篇』(交通新聞社)
『日本の鉄道 鉄道趣味初心者からマニア・コレクターまで 「知」のナビ事典』(日外アソシエーツ)
参考資料:『大阪名所図解』 綱本 武雄/画 140B,
参考資料:『生きた建築大阪 2』 橋爪 紳也/監修 140B,
(2023/04/28 12:34)
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大阪のわらべ歌「おんごく」の歌詞とメロディを知りたい。(吹田市立中央図書館)
歌詞、譜面、音源が収録されている以下の資料を提供した。
(1)『大阪ことば事典 新版』(牧村史陽/編 講談社 2004.11)p147~p150 3種の歌詞を掲載。
(2)『日本のわらべうた 歳事・季節歌編』(尾原昭夫/編著 文元社 2009.4)p54 歌詞、p305 譜面を掲載。
(3)『日本民謡事典 3 関西・中国・四国・九州』(竹内勉/編著 朝倉書店 2018.5)p515~p516 歌詞を掲載。
(4)『大阪伝承地誌集成』(三善貞司/編著 清文堂出版 2008.5)p113~p114 歌詞を掲載。
(5)『わらべうた 日本の伝承童謡』(町田嘉章/[ほか]編 岩波書店 1962.1)p212~p214 歌詞、譜面を掲載。
(6)『大阪府の民謡』(大阪府教育委員会 1990)CD第3巻 「おんごく:大阪市南区順慶町」、「おんごく:大阪市南区笠屋町」の2曲の音源を所収。リーフレットp78~p79 2種の歌詞を掲載。
(7)『日本わらべ歌全集 16 大阪のわらべ歌』(右田伊佐雄/著 柳原書店 1980.4)p268~p273 歌詞、譜面を掲載。
(8)『大阪の民謡』(右田伊佐雄/著 柳原書店 1978.10)p43~p49 歌詞、譜面を掲載。
回答プロセス:利用者から以下の情報を聞き取った。
・タイトルは「おんごく」。漢字はわからない。
・子ども達が連なって踊るわらべ歌だったと思う。
・大阪で25年くらい前に聞いたことがある。
大阪で聞いたことがあるわらべ歌ということから、地域資料の事典である(1)を確認。「おんごく」の項目に「七夕やウラ盆の夕暮に、船場あたりのいとはん達が十人、十五人の一団となって、たがいに相手のうしろ帯を持って列を組みながら、唄い歩いたもの。もと遠国(おんごく)ではやったものというところから出た語といわれる。」とある。
歌詞は歌い出しが「おんごくなはゝ、なはゝやおんごく、なさよいよい」のほか、時代や地域により途中の歌い回しが異なるものを3種掲載。利用者に該当箇所を見てもらうと「歌詞の内容に覚えがある」とのことだった。
国立国会図書館リサーチ・ナビの目次データベース(最終確認 2022.9.13)をキーワード「おんごく」で検索し、(2)(3)(4)(5)を確認した。
当館の検索機でキーワード「おんごく」で録音資料を検索し、(6)を確認した。
(4)の典拠資料に掲載されていた(7)を確認した。
(7)の奥付、著者略歴の著作に掲載されていた(8)を確認した。
参考資料:牧村史陽 編 , 牧村, 史陽, 1898-. 大阪ことば事典 新版. 講談社, 2004.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007554709-00, 406212386X
参考資料:尾原昭夫 編著 , 尾原, 昭夫, 1932-. 日本のわらべうた 歳事・季節歌編. 文元社, 2009.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000010178587-00, 9784861454011
参考資料:竹内勉 編著 , 竹内, 勉, 1937-2015. 日本民謡事典 3. 朝倉書店, 2018.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I028948115-00, 9784254500288
参考資料:三善貞司 編著 , 三善, 貞司, 1931-. 大阪伝承地誌集成. 清文堂出版, 2008.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009402731-00, 9784792406479
参考資料:町田嘉章, 浅野建二編 , 浅野, 建二 , 町田, 嘉章. わらべうた : 日本の伝承童謡. 岩波書店, 1962. (岩波文庫, 黄-120,黄(30)-237-1,6481-6483)
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000096-I003698080-00, 4003023714
参考資料:大阪府の民謡 昭和62・63年度府内民謡緊急調査より. 大阪府教育委員会, 1990.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000009468649-00,
参考資料:日本わらべ歌全集 16. 柳原書店, 1980.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001474984-00,
参考資料:右田伊佐雄 著 , 右田, 伊佐雄, 1928-1992. 大阪の民謡. 柳原書店, 1978.
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001396638-00,
(2023/04/23 11:20)
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市立中央郷土関連:トップ5
サイト名
レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
https://crd.ndl.go.jp/
明治時代の大阪の豪商の番付表で、五代友厚が載っているものを見たい。(大阪市立中央図書館)
番付表にあたる「長者鑑」で五代友厚が載っていることを確認できた資料を以下にご紹介します。
『浪花古新持丸長者鑑 初篇』(庄司 仙吉/編 庄司仙吉,1883)
明治16年の長者番付表です。枠外に「別 靭ニ 五代友厚」とあります。
『都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1』(渋谷 隆一/編 日本図書センター, 1991.2)
p.2-3に上記『浪花古新持丸長者鑑 初篇』が収録されています。
『大坂持丸長者鑑 :明治18年改正』(前田 喜治郎/編 綿[屋]喜[兵衛],1884)
「東の方」上段に「同(前頭) 同(大坂)五十萬圓 五代友厚」とあります。
なお、『浪花古新持丸長者鑑 初篇』、『大坂持丸長者鑑 :明治18年改正』は大阪市立図書館デジタルアーカイブでも画像がご覧いただけます。
・大阪市立図書館デジタルアーカイブ:浪花古新持丸長者鑑 初篇(館内限定公開画像)
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=24980010 (2020.4.13確認)
・大阪市立図書館デジタルアーカイブ:大坂持丸長者鑑 :明治18年改正(インターネット公開)
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=25220010 (2020.4.13確認)
早稲田大学図書館で公開されている以下の資料にも「五代友厚」が掲載されていましたのでご紹介します。
リンク先ページの「精細画像(PDF)」をクリックすると精細画像を閲覧することができます。
早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本新持丸長者鑑(明治13年1月)
http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_37/ (2017.12.16確認)
「西之方」上段に「関脇 同(大坂) 五代友厚」とあります。
早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本改正持丸長者鑑(明治12年11月)
http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_36/ (2017.12.16確認)
※画像に「明治十三年辰一月改」と記載されています。
「西之方」上段に「大関 大阪 五代友厚」とあります。
早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本持丸長者鑑(明治12年2月)
http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_34/ (2017.12.16確認)
「西之方」上段に「大関 大阪 五代友厚」とあります。
早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本持丸長者鑑(明治11年12月)
http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_33/ (2017.12.16確認)
「東之方」上段に「関脇 東京 五代友厚」とあります。
早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本持丸長者鑑(明治10年8月)
http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_30/ (2017.12.16確認)
「西之方」上段に「関脇 東京 五代友厚」とあります。
ご参考まで、「長者鑑」について商用データベース「JapanKnowledge」(日本国語大辞典)(2017.12.16確認)に説明がありますので以下にご紹介します。
・ちょうじゃ‐かがみ[チャウジャ‥] 【長者鑑】
「富豪の氏名を列記した長者番付風のもの。分限鑑(ぶげんかがみ)。長者経。
2020.4.13追記
参考資料にある大阪市立図書館デジタルアーカイブ画像を関連ファイルとして登録し、URLを修正しました。
回答プロセス:1.国立国会図書館サーチ(http://iss.ndl.go.jp/)(2017.12.16確認)をキーワード“長者”ד番付”ד明治”で検索。『都道府県別資産家地主総覧』という資料があることがわかったため、当館所蔵資料をタイトル“都道府県別資産家地主総覧”で検索し、資料1が見つかる。
2.当館所蔵資料を資料1に掲載されている資料名で検索し、資料2、3が見つかる。
3.当館所蔵資料をタイトル“持丸長者”で検索し、資料4、5が見つかる。
4.インターネット検索エンジンを“持丸長者”ד番付”で確認し、早稲田大学図書館サイト上で番付画像が公開されていることを確認。
5.プロセス3より、早稲田大学図書館(http://wine.wul.waseda.ac.jp/)(2017.12.16確認)の蔵書検索「WINE OPAC」の「キーワード検索」を“持丸長者”で検索をし、資料6、7、8、9、10が見つかる。
6.商用データベース「JapanKnowledge」(日本国語大辞典)(2017.12.16確認)(資料11)を“長者鑑”で検索し、意味を確認。
参考資料:当館書誌ID 都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1 渋谷 隆一/編 日本図書センター 1991.2 4-8205-5416-6 (資料1),
参考資料:当館書誌ID 浪花古新持丸長者鑑 初篇 庄司 仙吉/編輯 庄司仙吉 1883(明治16) (資料2),
参考資料:当館書誌ID 大坂持丸長者鑑 :明治18年改正 前田 喜治郎/編輯 綿[屋]喜[兵衛] 1884 (資料4),
参考資料:商用データベース「JapanKnowlege」(日本国語大辞典)(2017.12.16確認) (資料11),
参考資料:大阪市立図書館デジタルアーカイブ:浪花古新持丸長者鑑 初篇(館内限定公開画像)(2020.4.13確認) http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=24980010 (資料3),
参考資料:大阪市立図書館デジタルアーカイブ:大坂持丸長者鑑 :明治18年改正(インターネット公開)(2020.4.13確認) http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=25220010 (資料5),
参考資料:早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本新持丸長者鑑(2017.12.16確認) http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_37/ (資料6),
参考資料:早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本改正持丸長者鑑(2017.12.16確認) http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_36/ (資料7),
参考資料:早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本持丸長者鑑(2017.12.16確認) http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_34/ (資料8),
参考資料:早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本持丸長者鑑(2017.12.16確認) http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_33/ (資料9),
参考資料:早稲田大学図書館:蔵書検索WINE:大日本持丸長者鑑(2017.12.16確認) http://cork.wul.waseda.ac.jp/kosho/wo06/wo06_3145_30/ (資料10),
(2023/05/17 00:30)
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「公害」という言葉が最初に使われた法令や条例を知りたい。大阪は公害の先進地でその規制も最初に行われたと聞きます。つきましては、法令や条例で最初に「公害」という言葉が使われたのは、いつどの法令や条例で使用されたか知りたい。(大阪市立中央図書館)
お尋ねの件について、「すでに調査された内容」にある明治29年以前で、確認した資料を以下にご紹介します。
なお、メールでのお調べものは大阪に関連するもののみお受けしているため、当館での確認資料は大阪の条例等に関するものとなります。予めご了承ください。
(1)『環境問題資料集成 9 地方自治体の環境政策・まちづくり』(日本科学者会議/編 旬報社 2003.6)
「第1章 地方自治体における公害対策前史 解説」のp.3「1 公害概念の形成」に「公害という言葉が使われるようになったのは明治に入ってからであり、最初に使われたのは1881(明治14)年に公布された大阪府達甲222号、大阪・堺市街商工業取締法である。」とあります。
また同ページ「2 大阪煤煙問題(1)明治初年から明治後期までの公害規制」に「1877(明治10)年、大阪府では「鋼折・鍛冶・湯屋三業取締規則」(中略)が制定されている。同規則には、公害という言葉は使われていない。しかし、実質的には地方自治体による公害に関するわが国最初の規則である。」とあります。
(2)国立国会図書館デジタルコレクション『類聚大阪府布達全書. [第1編] 第3巻』 (古屋宗作 編 竜雲舎[ほか] 明18-19)(インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788317/85 (2023.3.21確認)
p.67-68(コマ番号85-86)に上記資料(1)に紹介のある「明治十四年十月十九日甲第二百廿二号達 大阪堺市街商工業取締法」が掲載されています。
p.68(コマ番号86)に「其三 自他ノ公害ヲ予防スル法」と記載があります。
(3)『都市公害の形成 -近代大阪の成長と生活環境-(Sekaishiso seminar)』(小田 康徳/著 世界思想社 1987.10)
「第1章 大阪における公害問題の掲載 1 初期の公害規制法令」のp.18に明治十三年九月二十九日 天第一四六号の引用があり、「(前略)実施検査の上公害なしと認むれバ(後略)」として「公害」の文言があります。
また、p.19には「なお、この布達文の中に「公害」の文字が使用されているが、これは時期的に極めて早い使用例であり、「公益に害あり」というような意味であったと思われる」と解説があります。
(4)『大坂日報』明治十三年十月二日 第千三百九十号
上記資料(3)で紹介している「天第百四十六号」が「大阪府録事」の項に掲載されています。
回答プロセス:1.「e-Gov」法令検索をキーワード"公害"で全文対象検索。295件ヒットするも、最古は大正10年。
2.「条例Webアーカイブデータベース」をキーワード"公害"で検索。15715件ヒットするも、最古は昭和1年。
3.「日本法令索引〔明治前期編〕」をキーワード"公害"で検索するも、ヒットなし。
4.「日本法令索引」をキーワード"公害"で検索。948件ヒットするも、最古は昭和23年。
5.「レファレンス協同データベース」をキーワード”製造場取締規則”で検索、登録番号1000129749(資料5)の回答を確認。(資料1)(資料3)が見つかる。
6.商用データベース「毎索」で、明治13年9月29日 天第146号 を確認。(資料4)が見つかる。
7.「国立国会図書館デジタルコレクション」をキーワード“大阪・堺市街商工業取締法”で検索。(資料2)が見つかる。
事前調査事項:明治29年1896年2月1日大阪府令21号製造場取締規則3条 「製造場ハ其建造物ヨリ周囲他人ノ住家等ニ対シ相応ノ距離ヲ有シ公害ナシト認ルモノニアラサレハ許可セサルヘシ但規模狭小若クハ構造完全ニシテ公害ナシト認ルモノハ其距離ヲ有セサルモ特ニ許可スルコトアルヘシ」です。それより古い資料があるかどうか知りたいのです。
参考資料:当館書誌ID 環境問題資料集成 9 地方自治体の環境政策・まちづくり 日本科学者会議/編 旬報社 2003.6 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 都市公害の形成 -近代大阪の成長と生活環境-(Sekaishiso seminar) 小田 康徳/著 世界思想社 1987.10 9784790703211 資料(3),
参考資料:『大坂日報』明治十三年十月二日 第千三百九十号「大阪府録事 天第百四十六号」 資料(4),
参考資料:国立国会図書館レファレンス協同データベース 「1896年(明治29年)2月1日の制定の「府令・製造場取締規則」について記載している文献をさがしている。」 https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000129749 (2023.3.21確認) 資料(5),
参考資料:国立国会デジタルコレクション『類聚大阪府布達全書. [第1編] 第3巻』 古屋宗作 編 竜雲舎[ほか] 明18-19 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/788317 (2023.3.21確認) 資料(2),
(2023/03/31 22:10)
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1999年の大阪府の出生率について、市町村別にわかる資料はないか。(大阪市立中央図書館)
以下の資料に府下全市町村の「出生数」および「大阪府の出生率」が記載されています。個々の自治体の「出生率」は別途計算が必要です。
(1) 『大阪府統計年鑑 平成12年度』 (大阪府企画調整部統計課/編集 大阪府統計協会 2001.3)
p.20「人口動態」の項に「平成11年の本府における出生数は8万8385人、出生率(人口千対)は、10.2(全国9.4)となっている」とあります。
(2) 『大阪府統計年鑑 平成13年度』(大阪府企画調整部統計課/編集 大阪府統計協会 2002.3)
p.26-27「第3表 市区町村別各年10月1日現在人口」に、大阪府下の各市町村の平成11年人口が掲載されています。
p.52「第20表 市町村、月別出生数」に、平成11年の大阪府下の各市町村の出生数が掲載されています。
上記資料は大阪府ホームページでも公開されています。
(3) 大阪府:平成12年度大阪府統計年鑑(平成13年3月刊行)
https://www.pref.osaka.lg.jp/toukei/nenkan/tn2000index.html (2021.9.5確認)
PDFファイル「第3章 人口 」のp.20「人口動態」の項
(4) 大阪府:平成13年度大阪府統計年鑑(平成14年3月刊行)
https://www.pref.osaka.lg.jp/toukei/nenkan/tn2001index.html (2021.9.5確認)
PDFファイル「第3章 人口」のp.26-27「第3表 市区町村別各年10月1日現在人口」、p.52「第20表 市町村、月別出生数」
回答プロセス:1.当館所蔵検索をタイトル“大阪府 統計”、出版年“1999-2003”で検索。資料(1)(2)が見つかり、該当の記述を確認する。
2.大阪府ホームページより大阪府統計年鑑の当該年度が公開されていることを確認。(資料(3)(4))
参考資料:当館書誌ID 大阪府統計年鑑 平成12年度 大阪府企画調整部統計課/編集 大阪府統計協会 2001.3 (資料1),
参考資料:当館書誌ID 大阪府統計年鑑 平成13年度 大阪府企画調整部統計課/編集 大阪府統計協会 2002.3 (資料2),
参考資料:大阪府:平成12年度大阪府統計年鑑(平成13年3月刊行) https://www.pref.osaka.lg.jp/toukei/nenkan/tn2000index.html (資料3),
参考資料:大阪府:平成13年度大阪府統計年鑑(平成14年3月刊行) https://www.pref.osaka.lg.jp/toukei/nenkan/tn2001index.html (資料4),
(2023/03/31 22:08)
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住吉新地について知りたい。(大阪市立中央図書館)
戦前の一時期、住吉公園周辺に「住吉新地」と呼ばれる花街が存在していました。その歴史は『近代大阪と堀江・新町』(資料2)などの中で詳述されています。
p.146に「大正時代に入って新世界と住吉公園の二つの地区には、「酌人営業取締規則」の酌人鑑察を受けて、芸妓もどきの営業をする雇仲居が横行し、大阪府はそうした現状を追認する形で、(表向きは)公園内の音曲は望ましくないと、大正十一年、「芸妓酌人取締り規則」を改正、改めて校園南側・浜口町一帯(一万坪)を芸妓居住地(二業地)として指定、大正年末には、芸妓扱席十五軒、料理屋(貸席)百六十八軒、芸妓八百人を抱えるまでに賑います」と記述されています。
その後新地には、昭和九年六月に都市計画による道路建設のためとして、菖蒲園への移転命令がだされました。しかし、同年に大阪を直撃した第一次室戸台風の影響により、移転もままならなかった店も多く、また太平洋戦争末期には花街の営業は完全に停止されました。戦後は一旦復活しましたが、昭和三十三年の売春防止法の施行を境として、賑わいを減じて住宅地へと変化していきました。
『墨江村誌』(資料3)p.367-368には「東成郡住吉村所属の住吉公園、及本村近接村西成郡粉浜村、玉出町附近には従来より三百軒余の料亭の設置があって、日頃遊客が絶えることがなかった。さてこの遊客の間に出入する通称「ヤトナ」なる女性の出入が頻繁になればなる丈、其処に風儀上の問題が台頭する。それで当局に於いても之が取締の必要を認めて、大正十一年八月本村大字浜口の住吉公園に隣接せる一部の地区を割して所謂「芸妓指定地」となし、又「ヤトナ」を廃して新に「芸妓」なる名称を与え、且その居住地を制限することゝなつた」と記述されています。
『住吉区誌』(資料4)p.244にも住吉新地の沿革が記述されています。
『大阪春秋』142号収録記事「夏のおはらい住吉祭」には、住吉大社で現在開催されている祭りや、夏越祓神事と住吉新地との関係が紹介されています。(資料1)
『交通史研究』61巻収録論文「近代大都市の郊外行楽地と私鉄:大阪住吉を中心に」では、住吉新地の成立と南海電鉄の住吉周辺の開発の関係について論じられています。(資料5)
回答プロセス:1.当館所蔵検索にてフリーワード“住吉新地”で検索、ヒットなし。
2.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( http://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/ )にて“住吉新地”で検索、『大阪春秋』142号収録の記事を確認。(資料1)
3.(資料1)の著者名で当館所蔵検索し、ヒットした資料を確認。(資料2)
4.住之江区の地誌『墨江村誌』『住吉区誌』を確認。(資料3)(資料4)
5.「CiNii Research」にてフリーワード“住吉新地”で検索し、ヒットした資料を確認。(資料5)
参考資料:当館書誌ID 近代大阪と堀江・新町 水知 悠之介/著 新風書房(発売) 2011.10 978-4-88269-739-8 p.132-152 (資料2),
参考資料:当館書誌ID 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業を発信する- 第142号 特集すみよし〜住吉大社1800年 新風書房 2011.4 978-4-88269-724-4 p.29-35「夏のおはらい住吉祭」、p.52-57「住吉大社に花を添えた住吉新地」 (資料1),
参考資料:当館書誌ID 墨江村誌 [大阪市墨江教育会/編] 大阪市墨江教育会 1929.6 (資料3),
参考資料:当館書誌ID 住吉区誌 -分区十周年記念- 住吉区役所/編集 住吉区分区十周年記念事業委員会 1953 (資料4),
参考資料:鈴木勇一郎「近代大都市の郊外行楽地と私鉄 : 大阪住吉を中心に」『交通史研究』 61(0), 71-85, 2006 https://doi.org/10.20712/kotsushi.61.0_71 (2021.8.30確認)(資料5),
(2023/03/31 22:08)
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大阪球場について知りたい。(大阪市立中央図書館)
大阪球場は現在の大阪市浪速区難波中2丁目にある、複合商業施設「なんばパークス」の場所にありました。「大阪スタジ(ヂ)アム」とも呼ばれていました。
『浪速区史』(資料2)p.294「大阪球場」(蔵前町1、四六三)の項には、「終戦後野球熱の昂揚によって、大阪市内にプロ野球場の開設を要望する声が市民の間に頗(すこぶ)る高く府市当局としても…実現を希求していた。」とあります。
一方、南海ホークス側も、『歓声とともに半世紀 -大阪スタヂアム興業の足跡-』(資料1)p.25によると、昭和23(1948)年の優勝チームでありながら「大阪のチームだが市内に公式戦のできる球場がなく、(他球団の)甲子園や西宮球場を使っている」ため、大阪市内のホームグラウンドの設立を望んでいました。
『浪速区史』(資料2)p.294-295によると「南海電気鉄道株式会社はもと大阪地方専売局の焼跡を関係官庁より払下をうけ、昭和二十四年…大阪スタヂアム株式会社を設立、二十五年一月十六日起工、同年九月十六日もっとも施設の完備した近代的球場として開場するに至った。」とあります。
建設の経緯や開場の様子については、『歓声とともに半世紀 -大阪スタヂアム興業の足跡-』(資料1)p.34-37や『南海ホークスがあったころ -野球ファンとパ・リーグの文化史-』(資料3)p.67-75に詳しい記述があります。
当初、開場は昭和25(1950)年9月12日でしたが、台風接近の荒天のため記念式典のみ開かれ、初試合として予定されていた南海ホークスの紅白戦は順延、トラブルだらけの開場でした。
観客席は内野外野で3万5千人を収容、内野観客席には日本の球場では初めての「ボックス席」を設置していました。翌昭和26(1951)年には関西の球場初の夜間照明設備が設置され、ナイターも開催されました。
『歓声とともに半世紀 -大阪スタヂアム興業の足跡-』(資料1)p.41-47によると、都心という絶好の地の利を生かして、スタンド下部が5階建てのテナントビルとして利用されました。「大阪ビリヤード会館」やインドアゴルフ場、貸ホール、土井勝料理教室や関西美容理容専門学校、日本電気技術専門学校、囲碁センター、ビアホールなどもありました。
ナイター設備があることから、グランドの利用も活発で、パ・リーグのみならずセ・リーグの試合が組まれるケースも多く、さらに歌謡ショー、オペラ、運動会など様々なイベントの開催場として、大阪球場はその名を高めていきました。
そして大阪球場開場から38年後、昭和63(1988)年、南海ホークスは50年という球団の歴史に幕を閉じました。南海ホークスから福岡ダイエーホークスへの譲渡については『歓声とともに半世紀 -大阪スタヂアム興業の足跡-』(資料1)p.59に「南海ホークス大阪球場を去る」と題した記述があります。「…10月15日には、大阪球場で最後の公式戦である対近鉄戦が行われ、南海ホークス最後の雄姿を見ようとする多くのファンを集めた。」
南海ホークスは福岡ダイエーホークスとなり、平成5(1993)年からは福岡ドームを本拠地としました。
その後の大阪球場については、『歓声とともに半世紀 -大阪スタヂアム興業の足跡-』(資料1)p.63-79、『南海ホークスがあったころ -野球ファンとパ・リーグの文化史-』(資料3)p.121-123、およびp.316-326に記述があります。
それによると2年後の平成2(1990)年のシーズンまでは、福岡ダイエーホークスがビジターとして大阪球場に来て近鉄バファローズと試合をするなど、球場として存続しましたが、その後、球場は住宅展示場や仮設テントによるミュージカル上演などに使用されます。平成10(1998)年10月に「さよなら大阪球場!野球フェスタ98」が開催された後、スタンドの取り壊しが始まりました。
『懐かしの球場 関西編』(資料4)p.188-205には昭和63(1988)年から平成14(2002)年のスタジアム取り壊しまでの変遷を写真で追うことができます。
『南海ホークスがあったころ -野球ファンとパ・リーグの文化史-』(資料3)p.395-396によると「大阪球場跡地は、複合商業施設「なんばパークス」となった。(中略)なんばパークスの九階には「南海ホークスメモリアルギャラリー」が設置された。また、二階部分には、ホームベースとピッチャーズプレートをかたどった銘板が埋め込まれ」かつて大阪球場があった位置を教えてくれています。
回答プロセス:1.浪速区の大型施設なので『浪速区史』(資料1)を確認。索引に大阪スタジアムがありp102とp294に記述があることがわかる。なお、索引は「大阪スタジアム」であるが、p294には「大阪球場」の項があり、大阪球場イコール大阪スタジアムであることがわかる。
2.当館所蔵検索で、フリーワード“大阪球場”で検索。(資料2)(資料3)(資料4)を確認。
参考資料:当館書誌ID 南海ホークスがあったころ -野球ファンとパ・リーグの文化史-(河出文庫 な26-1) 永井 良和/著 河出書房新社 2010.5 978-4-309-41018-0 (資料3),
参考資料:当館書誌ID 歓声とともに半世紀 -大阪スタヂアム興業の足跡- 大阪スタヂアム興業株式会社社史編纂委員会/編集 大阪スタヂアム興業 1998.9 (資料1),
参考資料:当館書誌ID 浪速区史 川端 直正/編集 浪速区創設三十周年記念事業委員会 1957 (資料2),
参考資料:当館書誌ID 懐かしの球場 関西編 産経新聞社/写真 日本工業新聞社(発売) 2014.6 978-4-8191-1243-7 (資料4),
(2023/03/31 22:07)
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編纂所が調査に関わったもの
サイト名
レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
https://crd.ndl.go.jp/
大阪市浪速区幸町にある安政の地震津波碑の碑文全文を知りたい。(大阪市立中央図書館)
安政の地震津波とは、嘉永7年(安政元年・1854年)11月4・5日に大阪を襲った紀伊半島沖に震源をもつ推定マグニチュード8.4の大地震と、それに伴って起きた大津波のことです。
その状況を記録し、後世の人のために戒めを伝える目的で安政2年7月に、被害の甚大だった浪速区幸町五丁目大正橋の東詰に石碑が建立されました。
そこには、大地震が起きた場合には必ず津波が襲うものと心得るべきだと教訓が書かれています。
・小田康徳「大阪における安政の地震津波碑と震災の記憶について」『ヒストリア』第148号(p.91~95)
碑文の原文全文が掲載されています。
ただし、「この文章はこの石碑から直に写したものではなく、浪速区幸町三丁目居住増井健蔵氏所収の木版刷にもとづくもので、若干の異同がある。」と記述されています。
・『大正大阪風土記』訂正(大阪教育部共同研究会/編 大正大阪風土記刊行会,1927)
「津波の碑」の項(p.327~328)にも碑文の原文の掲載がありますが、石碑の背面と右面の碑文のみです。
また、『ヒストリア』掲載のものと、句読点やかな使いに若干の異同がありますが、こちらが石碑から直に写したものかどうかは明らかにされていません。
・浪速区役所ホームページ http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html (2011.3.23確認)
「区のスポット・名所・旧跡」として「安政大津波記念」の碑が取り上げられています。
そこでは、碑に隣接して設置された記念碑に碑文の原文と共に現代語訳が記されているとした上で、現代語文を紹介しています。
2011年8月、大阪市史編纂所より、碑文に関する参考資料として以下のものが最適という情報をいただきました。
・『水都大坂を襲った津波 : 石碑は次の南海地震津波を警告している。』( 長尾 武/著・発行 改訂版 2007)
p.14~16に碑文の全文が記載されています。
参考資料:小田康徳「大阪における安政の地震津波碑と震災の記憶について」『ヒストリア』第148号 大阪歴史学会 1995.9 ,
参考資料:『大正大阪風土記』訂正 大阪市教育部共同研究会編 大正大阪風土記刊行会 1927,
参考資料:浪速区役所ホームページ>区内の官公署、主な施設、名所旧跡等>名所・旧跡等>区のスポット・名所・旧跡>碑>「安政大津波」の碑
http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html (2011.3.23確認),
参考資料:『水都大坂を襲った津波: 石碑は次の南海地震津波を警告している。』 長尾 武著・発行 改訂版 2007.2,
寄与者:大阪市史編纂所
備考:大阪市立図書館webギャラリー「大阪の災害 ~江戸・明治期にかけて~」http://www.oml.city.osaka.jp/image/themes/theme569.html (2011.3.23確認)、
小展示「幕末の大坂を襲った大地震と大津波」(平成16年12月 大阪府立中之島図書館作成)
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/63_jisin.html (2011.3.23確認)もご参照ください。
(2012/04/17 14:41)
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大阪上本町の近鉄百貨店辺りにあった「梅屋敷」についての資料はないか?(大阪市立中央図書館)
「東都亀戸の梅屋敷を模して、文化年間に造ったもの~生玉馬場の東(現在の上本町六・七丁目辺)にあり、園中に梅を植え、樹下に席を設け~秋には菊観で賑わった~。~日露開戦の一二年後には、山口銀行主の山口吉郎右衛門氏本邸となり、大正期には忘れさられてしまった。」
(「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号 2008より)
『浪華の賑ひ』 (鶏鳴舎暁晴/編輯 ; 松川 半山/画図 中外書房,1975|安政2年版の複製)26丁に”梅屋敷”についての記述がある。
その他は以下のとおり。
・『浪速叢書 第7 摂津名所図会大成 其1』 (船越 政一郎/編 暁 鐘成/著 名著出版,1978)p277~278
・『大阪府全志 巻之2』(井上 正雄/著 清文堂,1985|大正11年刊の復刻)p764
・『上方』 26 表紙 193302 /『上方』 30 「三十年前の大阪東部」寺川信 p33-34、35 193306
※ 『上方 郷土研究 3(上) 自第二十五号(昭和八年一月)至第三十号(昭和八年六月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969)所収
・『天王寺区史』 (川端 直正/編 天王寺区創立三十周年記念事業委員会,1955.10) p84、406
・徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号 1980.9(p82-87)
・『京阪名所案内』 (白土 幸力/編輯 博盛堂,1904) p13
・『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟』 (大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻)p79-80
・『大阪新繁昌記』 (島本 篤平/著 島本篤平,1894.10)p18-19
・『大阪案内』 (日本電報通信社大阪支局,1909)p205
・『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』(国書刊行会,1985.11)
大阪の梅園(p.34.35) 図版・解説あり。
『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])には「梅屋敷」の絵が収録されており、
大阪市立図書館 画像データベースで画像を提供しているほか、大阪市立図書館Webギャラリー「なにわ花めぐり 」でも同画像を紹介。
”梅屋敷”の位置と広さについては、次の資料による。
『新修大阪市史 第10巻』 (新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市,1996.3) 歴史地図 図5 天保期の大坂三郷
『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[地図] 』 (吉江集画堂地籍地図編輯部/編纂 吉江集画堂,1911)
『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[土地台帳] 』 ([吉江集画堂地籍地図編輯部/編] 吉江集画堂,1911)
国立国会図書館ホームページの「写真の中の明治・大正 関西編」 梅屋敷には、
『旅の家つと23号』(大阪市立図書館所蔵なし)掲載の梅屋敷の写真が紹介されており、関連する近代デジタルライブラリーへのリンクあり。
大阪府立図書館に『梅屋敷の記』(黒沢翁満 1846)が所蔵されており、「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」で画像が公開されている。
また、「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号(2008(平成20)年3月31日)本文もホームページ紀要のページで公開されている。
また、大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」では、 『浪花百景』(芳瀧画)・『浪華百景之内』(貞信(初代)画)の画像を見ることができる。
回答プロセス:『大阪史蹟辞典』(三善 貞司/編 清文堂出版,1986.7)には記載なし。
大阪市史編纂所に助言を得る。
2010.3追加調査
1.大阪府立中之島図書館 ホームページで調査
大阪文献データベースhttp://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2010.3.24確認)を調査
事項から検索 “梅屋敷”
『上方』 26 表紙 193302 /『上方』 30 「三十年前の大阪東部」寺川信 p33-34、35 193306
※ 『上方 郷土研究 3(上) 自第二十五号(昭和八年一月)至第三十号(昭和八年六月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969)所収
『上方』 31 p62-63 193307 新梅屋敷が中心
※『上方 郷土研究 3(下) 自第三十一号(昭和八年七月)至第三十六号(昭和八年十二月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969) 所収
『天王寺区史』 (川端 直正/編 天王寺区創立三十周年記念事業委員会,1955.10) p84、406
『梅屋敷の記』 黒沢翁満 1846 大阪市立図書館所蔵なし
文献名から検索 “梅屋敷”
徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号 1980.9(p82-87)
『梅屋敷の記』 黒沢翁満 1846 大阪市立図書館所蔵なし
『梅屋敷の記』(黒沢翁満 1846)は、「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」で画像公開を確認。
「錦絵にみる大阪の風景」 http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認)では、
名所名 梅屋敷で二つの画像を見ることができる。
2.国立国会図書館写真の中の明治・大正 関西編 梅屋敷http://www.ndl.go.jp/scenery/kansai/data/79/index.html (2010.3.24確認)を調査
『旅の家つと23号』(大阪市立図書館所蔵なし)掲載の梅屋敷の写真が紹介されており、代デジタルライブラリーの関連する下記タイトルへのリンクあり。
『京阪名所案内』 (白土 幸力/編輯 博盛堂,1904) p13
『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟』 (大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻)p79-80
『大阪新繁昌記』 (島本 篤平/著 島本篤平,1894.10)p18-19
『大阪案内』 (日本電報通信社大阪支局,1909)p205
貴重書画像データベースで紹介されている『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])も含め、当館所蔵あり。
3.CiNii - NII論文情報ナビゲータhttp://ci.nii.ac.jp/ (2010.3.25確認)を調査
キーワード“梅屋敷”で検索。
小笠原 弘之 , 山田 瑞穂 , 佐藤 敏江 [他] 「翻刻『梅屋敷の記--一名 このはな』 翻刻『松島紀行』」 『大阪府立図書館紀要』 (37),2008/3 が見つかる。
大阪府立図書館紀要ページで本文公開を確認。
2010.10追加
『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』(国書刊行会,1985.11)
大阪の梅園(p.34.35) 図版・解説あり。
事前調査事項:『葎居後集 1~3巻』(黒沢翁満著 河内屋和助 安政5.6(1858))
参考資料:『浪華の賑ひ』 鶏鳴舎暁晴/編輯 ; 松川 半山/画図 中外書房,1975,
参考資料:『浪速叢書 第7 摂津名所図会大成 其1』 船越 政一郎/編 暁 鐘成/著 名著出版,1978 浪速叢書刊行会 1927年刊の復刻 ,
参考資料:『大阪府全志 巻之2』 井上 正雄/著 清文堂,1985 ISBN 4-7924-0271-9大正11年刊の復刻 ,
参考資料:『新修大阪市史 第10巻』 新修大阪市史編纂委員会/編集
大阪市,1996.3,
参考資料:『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[地図] 』 吉江集画堂地籍地図編輯部/編纂 吉江集画堂,1911,
参考資料:『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[土地台帳] 』 [吉江集画堂地籍地図編輯部/編] 吉江集画堂,1911,
参考資料:大阪市立図書館Webギャラリー「なにわ花めぐり 」http://www.oml.city.osaka.jp/image/themes/theme829.html (2010.3.25確認),
参考資料:「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」http://rarebooks.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認),
参考資料:「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号 2008(平成20)年3月31日 http://www.library.pref.osaka.jp/lib/kiyo.html (2010.3.25確認),
参考資料:『上方 郷土研究 3(下) 自第三十一号(昭和八年七月)至第三十六号(昭和八年十二月)』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969 ,
参考資料:徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号1980.9(p82-87) <当館書誌ID:0000253458>,
参考資料:『京阪名所案内』 白土 幸力/編輯 博盛堂,1904,
参考資料:『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟 』 大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻,
参考資料:『大阪新繁昌記』 島本 篤平/著 島本篤平,1894.10,
参考資料:『大阪案内』 日本電報通信社大阪支局,1909,
参考資料:大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」 http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認),
参考資料:国立国会図書館写真の中の明治・大正 関西編 梅屋敷http://www.ndl.go.jp/scenery/kansai/data/79/index.html (2010.3.24確認),
参考資料:『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』国書刊行会/編 国書刊行会,1985.11,
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.3.24確認)
備考:大阪市立図書館Webギャラリー「大阪名所めぐり」http://www.oml.city.osaka.jp/cgi-bin/img_src/disp_themes.cgi (2011.2.4確認)もご参照ください。
2010年3月18日から4月1日まで大阪市立図書館サイトトップ( http://www.oml.city.osaka.jp/ )で、
「梅屋敷」 (『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])をご紹介しました。
「古文書や大阪関係の地図を検索する」 http://www.oml.city.osaka.jp/cgi-bin/img_src/s_all.cgi (2010.12.17確認)で、書名 図名“写真浪花百景”で検索し、17ページをご参照ください。
山口吉郎兵衛(4代)やまぐち-きちろべえ(1883-1951) 明治-昭和時代の銀行家。
明治31年大阪第百四十八国立銀行を山口銀行(三和銀行の前身)に改組し,社長となる。陶磁器の収集家,茶道家としても知られる。大阪出身。号は滴翠。(『日本人名大辞典』(平凡社)山口吉郎兵衛(4代)の項目より抜粋)
(2011/04/23 16:54)
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石川静水という人物について知りたい。大阪で化粧業界紙の発行をしていた人らしい。(大阪市立中央図書館)
石川静水は、石川清三郎のこと。大阪化粧品商報主筆。
雑誌『あまカラ 33号』(甘辛社,1954.5)「哥沢初稽古」(p.38)に、石川静水について記述がある。
それによると、金物問屋に生まれ、隣家の南木芳太郎(なんきよしたろう:明治15(1882)年-昭和20(1945)年 昭和期の郷土史家。上方郷土研究会を創立し、大阪の近世・近代史を研究)と御津幼稚園からの竹馬の友であった。
また、石川静水の執筆したものとして下記を紹介。
1)『上方』101 「百人随筆集その2 芳チャンと上方」193905 (p.24-25)
南木芳太郎についての記事で、島之内の新屋敷を遊び場としていた事等が綴られている。
2)『上方』50 「新屋敷」193502 (p.35-38)
3)『上方』68 「宗右衛門町に涼みがあった時代」193608 (p.10-11、46-47)
4)『上方』81 「見世物と流行歌」193709 (p.57)
城崎文芸館(兵庫県) http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/bungaku/bungekan/bungai.html (2010.5.10確認)には、静水撰の画帖「城崎八景」所蔵があり、あわせて紹介する。
回答プロセス:1.人物関連の参考図書を調査
下記に記載なし。
『大阪人物辞典』(清文堂出版,2000.11)
『『大阪春秋』総目次・索引集 創刊号~第100号』(大阪春秋社,2002.9) 人名の項目なし
『上方 郷土研究 別巻』(新和出版社,1971) 町人学者・俳句・新聞・出版の各項目 該当なし
『新修大阪市史 第10巻』(大阪市,1996.3) 索引 該当なし
『明治大正昭和大阪人名録 上巻』( 日本図書センター,1989.10)
『大阪人物誌 正編 』(臨川書店,1974)、『大阪人物誌 続編』(臨川書店,1974)
『日本書画骨董大辞典 増訂版』(成文館書店,1935.8)
『日本紳士録 24版』(交詢社,1919.12)
2.大阪の化粧品業界の資料を調査
当館所蔵を、キーワード“大阪×出版×化粧品”で検索。
『日本の書店百年』 (青英舎,1991.7)の内容確認するが、記述なし。
3.大阪府立中之島図書館大阪文献データベース http://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2010.5.10確認)
“石川静水”で検索。事項から検索 0件、文献名から検索すると、下記の4件の記事があり。
1)上方 101 百人随筆集その2 芳チャンと上方/石川静水 p24-25 193905
2)上方 50 新屋敷/石川静水 p35-38 193502
3)上方 68 宗右衛門町に涼みがあった時代/石川静水 p10-11、46-47 193608
4)上方 81 見世物と流行歌/石川静水 p57 193709
4.インターネットで調査
国立国会図書館 蔵書検索・申込システム http://opac.ndl.go.jp/ (2010.5.10確認)、
近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/index.html (2010.5.10確認)では情報なし。
Googleで、“石川静水”検索、城崎文芸館が同氏撰の画帖を所蔵していることが判明。
5.当館提供商用データベースで調査
下記全て“石川静水”が該当なし
e-レファレンス/ツール(日外 人物・出版情報)
聞蔵Ⅱビジュアル(朝日新聞 一部記事写真閲覧可)
The SankeiArchives(産経新聞記事)
日経テレコン21(日経四紙記事)
毎日Newsパック(毎日新聞記事)
ヨミダス文書館(読売新聞記事)
6.大阪市史編纂所に照会
化粧品商報社の編集をしていた人物である。
肥田晧三氏の講演会(「中井浩水著作目録(二) 大阪芸能懇話会 平成16年6月27日)レジュメの中に、“静水”についての記載(雑誌『あまカラ33号』より抄出)があるとの情報を得た。
参考資料:『あまカラ 31~40号』(甘辛社,1954.3-12),
参考資料:『上方 郷土研究 10(上)』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』101所収,
参考資料:『上方 郷土研究 5』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』50 所収,
参考資料:『上方 郷土研究 6』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』68 所収,
参考資料:『上方 郷土研究 7』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』81 所収
,
照会先:城崎文芸館 http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/bungaku/bungekan/bungai.html (2010.5.10確認)
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.5.10確認)
備考:大阪市立図書館多機能OMLISでは、2011年4月より商用データベース「毎日Newsパック」に代えて「毎索」(マイサク)(毎日新聞記事)を提供。
(2011/04/08 20:23)
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明治36年(1903)、第五回内国勧業博覧会開催時に、親子丼が販売提供されていたか知りたい。(大阪市立中央図書館)
『大阪三六五日事典』(東方出版,2002.2)「明治36年3月1日内国勧業博覧会開幕」の記事(p.46)に、“鳥菊”主人考案の十五銭の親子丼が、会場から誕生したとの記述あり。
あわせて下記の資料をご紹介した。
・『博覧会』(「実業世界太平洋」臨時増刊第1巻第五号)(博文館,1903)
山下雨花「余興と飲食物」の項目に下記の記述あり。(p.189 下段)
「鳥菊の鳥、~その鋤焼に親子丼の風味は、~」
・『博覧会土産 大阪及び附近の名所案内』(山下 雨之助/編 岡本偉業舘,1903)
「場内飲食店」の項目に、「鳥菊」あり。(p.29-30)建物の記述等あるが、親子丼の記述なし。
・『第五回内国勧業博覧会場内観覧案内』(山田 鎗之助/著 大阪製本印刷,1903)
鶏肉料理 内本満助(p.57)
・『第五回内国勧業博覧会場全図』(博文館,1903)
鶏肉料理 内本(図の中央あたりの上部)
・『第五回内国勧業博覧会案内記』(井上 熊次郎/編纂 考文社,1903)
鶏肉料理 内本満助(p.83)
・『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)
国立国会図書館近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認)
「博覧会ト飲食店」の項目に、鳥菊・内本満助の記述あるが、親子丼の記述はなし。(p.80.81)
回答プロセス:1.商用データベース「Japan Knowledge(ジャパンナレッジ)」(事典・辞書等) を調査
キーワード“親子丼”で検索、4件の項目が見つかるが詳しい由来はなし。
キーワード“親子丼”で全文検索、22件の項目のうち、由来については下記の項目にあり。
『日本大百科全書』(小学館)【丼物】
「親子丼は、東京・中央区の玉秀という鳥料理屋で明治初期に創作したもの。」
2.参考図書を調査
・『明治・大正家庭史年表 : 1868→1925 』(河出書房新社,2000.3)
明治36年3月1日、大阪で初めて“親子丼”が売り出されるとあり。(p.300)
・『衣食住語源辞典』(東京堂出版,1996.9)
1903年7月26日『大阪毎週新聞』に“親子丼”の文字が見える、とあり。(p.59)
※『大阪毎週新聞』は所蔵せず。
事物起源・料理の歴史に関する図書も調査するが、関連の記述は見つからない。
3.大阪府立中之島図書館大阪文献データベースhttp://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2011.3.7確認)を調査
キーワード“親子丼”で検索、下記の図書が見つかった。
・『大阪三六五日事典』(東方出版,2002.2)
「明治36年3月1日内国勧業博覧会開幕」の記事(p.46)に、“鳥菊”主人考案の十五銭の親子丼が、会場から誕生したとの記述あり。
4.googleブックス http://books.google.com/ (2011.3.7確認)で調査
キーワード“親子丼”ד内国勧業博覧会”で検索、下記の図書が見つかった。
・『語源海』(東京書籍,2005.3)
料亭鳥菊の主人、内本松次郎の名あり。(p.171)
・『日本史「はじめて」事典』(PHP研究所,2009.3)
鳥菊の主人・内本松次郎の名あり。(p.97) ※利用者調査済
5.新聞データベースを調査
・商用データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」(朝日新聞 一部記事写真閲覧可)
「朝日新聞縮刷版」メニューで調査
大阪朝日新聞の1903年7月26日から8月2日まで内国勧業博覧会の記事を確認してみるが、“親子丼”の記事はなし。
“鳥菊”で検索すると、明治18年(1885)6月13日大阪朝刊4頁に広告「鳥菊 近火御見舞御礼」などが見つかる。
親子丼についてはなし。
“親子”ד丼”で検索すると、明治17年(1884)の神戸元町の「江戸幸」の広告に
「親子上丼」「親子並丼」「親子中丼」の名称あり。
・商用データベース「ヨミダス歴史館」(読売新聞記事)
関連の記述見つからず。
6.大阪市史編纂所にお尋ね
“第五回内国勧業博覧会”の出店記録は資料としてあるだろうが、“親子丼”を販売していた等の記録はないと思われ、見聞記や新聞記事等に記述が見つかる可能性を示唆された。
7.第五回内国勧業博覧会関係資料を調査
回答記載の資料に関連する記述を確認。
8.国立国会図書館 近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/index.html (2011.3.7確認)
第五回内国勧業博覧会関係で、当館の所蔵していないものを確認。
『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認)
「博覧会ト飲食店」の項目に、鳥菊・内本満助の記述あるが、親子丼の記述はなし。(p.80.81)
事前調査事項:『日本史「はじめて」事典』(PHP研究所,2009.3)に鳥菊の主人・内本松次郎の名あり。(p.97)
参考資料:『博覧会』博文館,1903,
参考資料:『博覧会土産 大阪及び附近の名所案内』山下 雨之助/編 岡本偉業舘,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会場内観覧案内』山田 鎗之助/著 大阪製本印刷,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会場全図』博文館,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会案内記』井上 熊次郎/編纂 考文社,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)
国立国会図書館近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認),
寄与者:大阪市史編纂所http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2011.3.7確認)
(2011/03/19 10:29)
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生島永太郎(いくしま えいたろう)について知りたい。明治の終わりから戦前ぐらいまでの大阪商人(久太郎町)。 甲南小学校の設立者の一人で、明治45年に大阪保誉院を作った人。父は生島嘉蔵(かぞう)。(大阪市立中央図書館)
生島永太郎は、明治7年11月生。生島家では、代々嘉蔵を襲名している模様。下記の資料をご紹介した。
1.『社団法人大阪保誉院記念帳』(大阪保誉院清算事務所,1935.7)
「起源及沿革」ほかに記載あり。生島永太郎(嘉蔵)の表記が多数。
2.『大阪府社会事業史』(大阪社会福祉協議会,1958)
生嶋永太郎を中心に組織された辰巳会によって廃兵の収容所として明治45年泉北郡三宝村に開設(p270)
3.『甲南学園50年史』 (甲南学園,1971.3) 『甲南学園の70年』 (甲南学園,1992)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり。
4.『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5
「大阪現代人名辞書 1」(復刻 初版:文明社 大正2年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月25日生まれ。長男永太郎(明治7年11月生)とあり。 (p69)
回答プロセス:1.当館所蔵を検索
“生島永太郎”では該当なし。
2.商用データベースで調査
商用データベース「ジャパンナレッジ」 該当なし
商用データベース「e-レファレンス/ツール」 生島嘉蔵(いくしまかぞう)はあり。
「文政4(1821)年~明治32(1899)年7月2日 江戸時代末期・明治期の商人、貿易商。貿易業に従事、唐反物を取り扱う。【掲載事典】◎「幕末維新人名事典」
永太郎の祖父にあたるのか?
3.中之島図書館「大阪文献データベース」を調査
該当無し。
4.『新修大阪市史』索引になし。
5.大阪保誉院関連の資料を調査
『社団法人大阪保誉院記念帳』(大阪保誉院清算事務所,1935.7)に記載あり。
『大阪府社会事業史』(大阪社会福祉協議会,1958)
生嶋永太郎を中心に組織された辰巳会によって廃兵の収容所として明治45年泉北郡三宝村に開設(p270)
6.甲南学園関係資料を調査
『甲南学園50年史』 (甲南学園,1971.3)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり(p4)。
『甲南学園の70年』 (甲南学園,1992)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり(p18)
7.大阪関係の人物事典を調査
『都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1 復刻』渋谷 隆一/編 日本図書センター,1991.2
大阪市商工業者資産録(商業興信所編 1902(明治35)年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月生まれとあり。職業欄は空欄。
『明治大正昭和大阪人名録 上巻』 (日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 明治43年刊)の復刻)に、生島嘉蔵あり。住所と所得税・電話の掲載(p20)
『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5
「大阪現代人名辞書 1」(復刻 初版:文明社 大正2年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月25日生まれ。長男永太郎(明治7年11月生)とあり。 (p69)
『大阪人物辞典』 (三善 貞司/編 清文堂出版,2000.11)
生島嘉蔵 文政4(1821)年 (p62) 「幕末維新人名事典」掲載と同人物
『日本人物情報大系 32 企業家編 2』(皓星社,2000.3)
生島嘉蔵のみ。
下記には記載無し。
『明治大正昭和大阪人名録 中巻』 (日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 大正14年刊)の復刻
『明治大正昭和大阪人名録 下巻』(日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 昭和11年刊の復刻)
『大阪新人大観』(升谷 天惠/著 大阪新人大観編纂局,1925)
『大阪新人物誌』(夕刊大阪新聞社,1934.6)
『大阪の公人 : 付・連合区制の小史』 (山本 桃洲/著 大阪の公人刊行事務所,1916.4)
8.近代デジタルライブラリーで調査
『明治富豪譚』(大阪毎日新聞社 明治25.9)「生島嘉蔵乗車賃を二銭に限る」
『当世名士譚』(米倉領次郎,明25.10)「生島嘉蔵の質朴」
年代からして、永太郎の父のことか。
9.大阪市史編纂所におたずね
有用な情報なしとのこと。
参考資料:『社団法人大阪保誉院記念帳』大阪保誉院清算事務所,1935.7,
参考資料:『大阪府社会事業史』大阪社会福祉協議会,1958,
参考資料:『甲南学園50年史』 甲南学園50年史出版委員会/編 甲南学園,1971.3,
参考資料:『甲南学園の70年』 甲南学園史資料室委員会/編集 甲南学園,1992,
参考資料:『都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1 復刻』渋谷 隆一/編 日本図書センター,1991.2 ISBN 4-8205-5416-6,
参考資料:『明治大正昭和大阪人名録 上巻』 日本図書センター,1989.10 ISBN 4-8205-2058-X,
参考資料:『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5 「大阪現代人名辞書 1」文明社/編纂 復刻 初版:文明社 大正2年刊 ISBN 4-8205-9966-6 ,
参考資料:『大阪人物辞典』 三善 貞司/編 清文堂出版,2000.11 ISBN 4-7924-0499-1,
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.1.23確認)
備考:商用データベース「e-レファレンス/ツール」は、2010年6月から「e-レファレンス・ライブラリー」(日外 人物・出版情報) に変更。
(2010/12/13 19:38)
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