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サイト名
レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
https://crd.ndl.go.jp/
田辺聖子の日記に、昭和20年6月の大阪大空襲の時、梅田新道にあった「第百生命ビル」が燃えていたという記述がある。当時は「第百生命ビル」はどこにあったか。また、現在のどこにあたるか知りたい。(大阪市立中央図書館)
以下の資料より、第百生命ビルの所在した当時の住所は「北区堂島浜通一丁目15-1」であることがわかりました。現在の大阪市北区堂島浜一丁目1番付近にあたります。
■ビルが所在していた住所が確認できた資料
(1) 『第百生命七十年史』 (第百生命保険相互会社社史編纂室/編 第百生命 1985)
「第1部 川崎家の事業展開と日華生命」のp.132に「[昭和]16年末には(略)当社の大阪における事務・営業の拠点は北区堂島浜通1丁目15番地の1所在の旧福徳生命ビルに結集されることになった。」とあります。
また、p.857-891「年表」に、社名の変遷等について記述があります。昭和20年前後は以下のとおりです。
・昭和16(1941) 11.18 [日華生命・福徳生命・国華徴兵]3社合併認可。社名を「第百生命徴兵保険株式会社」と改称
・昭和16(1941) 12.- 旧福徳生命大阪本社を大阪分室と改称
・昭和20(1945) 10.1 社名を「第百生命保険株式会社」と改称
(2) 『大阪商工名録 昭和15年版』 (大阪商工会議所/[編] 大阪商工会議所 1940)
p.505に「福徳生命保険」の名前で「北区堂島浜通一丁目15-1」とあります。
(3) 国立国会図書館デジタルコレクション『京阪神復興名鑑』 (毎日新聞社資料部 文星館 1946) (図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/8322615/1/42 (2023.1.28確認)
p.72(コマ番号42)に「第百ビル(第百生命館) 北区堂島濱通一ノ一五」とあります。
■該当の建物が確認できた地図資料
(4) 『昭和前期日本商工地図集成 第2期 大阪・京都・兵庫・奈良・和歌山・滋賀・三重』 (地図資料編纂会/編集 柏書房 1987.6)
p.5 昭和7年12月東京交通社発行「大日本職業別明細図 信用案内第三〇七号 大阪市」の地図左側に北区堂島浜通一丁目が掲載されており、梅田新道沿いに「福徳生命保険会社」の表記があります。
(5) 『京阪神便覧 [1] 大阪市区分地図篇』 (昭文社編集部/編集 昭文社 1960)
「第八図 北区」の地図下部に堂島浜通一丁目15が掲載されており、「第百生命」と記載があります。
(6) 『大阪市全商工住宅案内図帳・大阪市精密住宅地図 北区 昭和36~51年』 (住宅協会出版部 1961-1976)
昭和36年版のp.32に堂島浜通一丁目15が掲載されており、そこには「第百生命ビル」と記載があります。
(7) 国会図書館デジタルコレクション『全地番入大阪市区別地図地名総覧. 1965』 (大阪人文社 1965) (図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9888116/1/52 (2023.1.28確認)
「④ 北区」の3枚目(コマ番号52)、地図下部に堂島浜通1-15の地番があり、「第百生命」と記載があります。
■「堂島浜通一丁目15」の地番が確認できた昭和20年前後の地図資料
(8) 『地番入大阪市図:第2回訂正増補 -五千分一-』 (大阪市/地形図 和楽路屋 1933.5)
「29 梅田」の右ページ最下部に「堂島浜通一丁目15」の地番が確認できます。なお、建物名等はありません。
(9) 国立国会図書館デジタルコレクション『地番入大阪市図:五千分一』(大阪市 編 和楽路屋 昭和6) (図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/8311418/1/85 (2023.1.28確認)
「29 梅田」(コマ番号85)の右ページ最下部に「堂島浜通一丁目15」の地番が確認できます。なお、建物名等はありません。
■「堂島浜通1丁目15」の現在の場所がわかる資料
(10) 『大阪の町名 -その歴史- 上巻』 (大阪市市民局/編集 大阪市市民局 1990.3)
「北区」のp.31「堂島浜通一~二丁目」の項に「昭和53年2月1日の住居表示の実施にともない、堂島浜通一~二丁目は堂島浜一~二丁目・堂島一丁目・西天満二丁目の各一部となった。」とあります。
p.69-70に新旧の町名が記載された地図があります。
(11) 『大阪市精密住宅地図 北区 昭和53,55,58,61年』 (吉田地図/[編] 吉田地図 1978-1986)
北区の昭和53、55、58、61年の住宅地図を合冊製本した資料です。
住居表示が実施された直後に発行された昭和53年版に、新旧の地名が併記されています。p.29-30に旧堂島浜通一丁目が掲載されており、当該地は堂島浜一丁目1-5附近になります。
回答プロセス:1.当館所蔵検索にて、著者“田辺聖子”、フリーワード“日記”だけなく『田辺聖子十八歳の日の記録』(当館書誌ID:0015127652)にて、当該の記述を確認。p.70に当該の記述を確認、「梅田新道はものすごい。まだ炎々と燃えさかっている。(略)第百生命は全滅だ。」とあり。
2.当館所蔵検索にて、フリーワード”第百生命”で検索。資料(1)が見つかる。年表の記述より、当時会社の統廃合や改称が頻繁に行われていたことがわかる。
3.「国立国会図書館デジタルコレクション」でキーワード“第百生命”で検索するが、1945年以前では有用情報は見つからず。
4.当館が所蔵する昭和20年前後の電話帳、商工名鑑を確認。資料(2)が見つかる。
5.「国立国会図書館デジタルコレクション」でキーワード“第百生命”で検索し、昭和20年前後の電話帳や商工名鑑を確認。資料(3)が見つかる。
6.当館が所蔵する昭和20年前後の商工地図を確認。資料(4)の堂島浜通1丁目に「福徳生命保険会社」の表記があることを確認。
7.当館が所蔵する一番古い大阪市北区の住宅地図を確認。(資料(6))
8.昭和20年前後の地番入り地図を確認。(資料(5)(8)(9))
9.「国立国会図書館デジタルコレクション」にて、昭和20年前後の地番入り地図を確認。(資料(7))
9.大阪の地名の変遷に関する資料を確認。(資料(10))
10.住居表示実施時の住宅地図を確認。(資料(11))
参考資料:当館書誌ID 第百生命七十年史 第百生命保険相互会社社史編纂室/編 第百生命 1985 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪商工名録 昭和15年版 大阪商工会議所/[編] 大阪商工会議所 1940 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 地番入大阪市図:第2回訂正増補 -五千分一- 大阪市/地形図 和楽路屋 1933.5 資料(8),
参考資料:当館書誌ID 昭和前期日本商工地図集成 第2期 大阪・京都・兵庫・奈良・和歌山・滋賀・三重 地図資料編纂会/編集 柏書房 1987.6 9784760103393 資料(4),
参考資料:当館書誌ID 大阪市全商工住宅案内図帳・大阪市精密住宅地図 北区 昭和36~51年 住宅協会出版部 1961-1976 資料(6),
参考資料:当館書誌ID 地番入大阪市図 -五千分一- 大阪市/著 和楽路屋 1931.3 資料(9),
参考資料:当館書誌ID 大阪の町名 -その歴史- 上巻 大阪市市民局/編集 大阪市市民局 1990.3 資料(10),
参考資料:当館書誌ID 大阪市精密住宅地図 北区 昭和53,55,58,61年 吉田地図/[編] 吉田地図 1978-1986 資料(11),
参考資料:当館書誌ID 京阪神便覧 [1] 大阪市区分地図篇 昭文社編集部/編集 昭文社 1960 資料(5),
参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション『京阪神復興名鑑』 毎日新聞社資料部 文星館 1946 (図書館・個人送信限定) https://dl.ndl.go.jp/pid/8322615/1/42 (2023.1.28確認) 資料(3),
参考資料:国会図書館デジタルコレクション『全地番入大阪市区別地図地名総覧. 1965』 大阪人文社 1965 (図書館・個人送信限定) https://dl.ndl.go.jp/pid/9888116/1/52 (2023.1.28確認) 資料(7),
(2023/01/29 00:30)
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江戸の大名屋敷や大坂の蔵屋敷は、大名の領地替えの際には移動するのか。たとえば、尼崎藩主が青山氏から(櫻井)松平氏へと替わった場合、青山氏は尼崎藩江戸藩邸及び蔵屋敷を(櫻井)松平氏へ引き渡すのか。(尼崎市立歴史博物館 地域研究史料室 “あまがさきアーカイブズ”)
江戸の大名屋敷は、大名が江戸に居住するために幕府が与えた宅地です。大名屋敷の移転、再配置はたびたびありましたが、転封など所領の変更が主たる契機ではないと考えられます(事例として確認できるのは、明暦大火後の江戸の復興にともなう都市改造など)。
大坂の蔵屋敷の場合、蔵屋敷の設置や廃絶・移転の理由は、各大名の都合によるものであり、こちらも必ずしも転封が契機ではなく様々でした。
ちなみに、大坂の蔵屋敷は、西日本の大名が主に設置していたことが知られています。蔵屋敷では各大名が廻送した蔵米・諸産物の販売などが行われました。近年の研究により、幕府が大坂を西日本支配の拠点としたことから、政治的にも重要な意味をもっていたことが明らかにされています。
また、大坂蔵屋敷は、町人地に建設されるため、屋敷地には町人の名義を借りる必要がありました。この名義人を名代といいます。名代が藩の蔵元や掛屋を兼ねるケースもありました。
回答プロセス:◆大名屋敷について
・『国史大辞典』の「大名屋敷」の項目を参照。大名の移封との関係を直接に示した記述はなし。
・[参考] 羽生冬佳・渡辺貴介、十代田朗「江戸における大名屋敷の立地特性と都市及び庶民生活への影響に関する研究」(『都市計画論文集』36、2001)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/journalcpij/36/0/36_223/_pdf/-char/ja
◆大坂蔵屋敷について
・『国史大辞典』の「蔵屋敷」の項目。
・『新修大阪市史』第3巻、史料編第7巻「蔵屋敷」の項目参照。
・豆谷浩之「大坂蔵屋敷の所有と移転に関するノート」(『大阪歴史博物館研究紀要』13、2015)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/omhbull/13/0/13_0061/_pdf/-char/ja
・同 「大坂における大名屋敷研究資料としての古地図」(『大阪歴史博物館研究紀要』4、2005)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/omhbull/4/0/4_23/_pdf/-char/ja
・渡邊忠司「大坂三郷町続き在領における蔵屋敷の設置について-下福島村下野壬生藩蔵屋敷の場合-」(『大阪の歴史』51、大阪市史編纂所、1998)
※当館で所蔵していない蔵屋敷関連文献
塚田孝『近世の都市社会史-大坂を中心に-』(青木書店、1996)
◆尼崎藩蔵屋敷について
・『図説尼崎の歴史』上巻(近世編)
http://www.archives.city.amagasaki.hyogo.jp/chronicles/visual/03kinsei/kinsei3-c1.html
蔵屋敷の所在地がわかるのみで、移転等について詳細はよくわからない。
・『新修大阪市史』第3巻に、尼崎藩蔵屋敷への言及がある。
参考資料:国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 第8巻 (すーたお). 吉川弘文館, 1987., 4642005080(当館請求記号203/コ-8)
参考資料:国史大辞典編集委員会 編. 国史大辞典 第4巻 (きーく). 吉川弘文館, 1984., 4642005048(当館請求記号203/コ-4)
参考資料:大阪市史編纂所, 大阪市史料調査会編集 , 大阪市史編纂所 , 大阪市史料調査会. 新修大阪市史 史料編第7巻. 大阪市, 2012., (当館請求記号219/6.4S/オ-7)
参考資料:新修大阪市史編纂委員会 編 , 大阪市. 新修大阪市史 第3巻. 大阪市, 1989., (当館請求記号219/6.4S/オ-3)
参考資料:大阪歴史博物館/編集. 大阪歴史博物館研究紀要 13. 大阪歴史博物館, 2015-02., ISSN 13478443,
参考資料:大阪市文化財協会/編集. 大阪歴史博物館研究紀要 4. 大阪市文化財協会, 2005-10., ISSN 13478443,
参考資料:尼崎市立地域研究史料館 編 , 尼崎市立地域研究史料館. 図説尼崎の歴史 上巻. 尼崎市, 2007., (当館請求記号219/A/ア)
参考資料:大阪市史編纂所 編 , 大阪市史編纂所. 大阪の歴史 (51). 大阪市史料調査会, 1998-05., ISSN 03886808,
参考資料:塚田孝 著 , 塚田, 孝, 1954-. 近世の都市社会史 : 大坂を中心に. 青木書店, 1996. (Aoki library. 日本の歴史 ; 近世), 425096020X(当館所蔵なし)
(2023/01/18 09:32)
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江戸時代、住吉村安立町にあった難波屋という茶屋と、その庭にあった笠松について書かれた資料はないか。(大阪市立中央図書館)
茶屋「難波屋」と、その店の名物だった「笠松」について、関連する記述のあった資料をご紹介します。
◆江戸時代の地誌類
『摂津名所図会』等の江戸時代の資料に、大阪の名所として紹介されています。
(1) 大阪市立図書館デジタルアーカイブ『摂津名所図会 1』
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=17880010 (2022.9.6確認)
59コマ目(画像管理番号144006)に「安立町難波屋名松」の図、60コマ目(画像管理番号144007)に「難波屋笠松」の解説があります。
(2) 『図典「摂津名所図会」を読む -大阪名所むかし案内-』(本渡 章/著 創元社 2020.6)
「資料編 図典「摂津名所図会」」のp.180に「安立町 難波屋の名松〔巻之一/画・丹羽桃渓〕」の図と解説が掲載されています。
(3) 『日本名所風俗図会 10 大阪の巻』(角川書店 1980.6)
『摂津名所図会』の翻刻文が収録されています。p.37、39が「難波屋笠松」に関する部分です。
(4) 大阪市立図書館デジタルアーカイブ『住吉名勝図会 巻之4』
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=l0022001 (2022.9.6確認)
22コマ目(画像管理番号125394)に「なにわやの松」の図があります。
(5) 『住吉名勝図会』(国書刊行会 1987.1)
寛政6(1794)年刊の復刻です。「巻之四」のp.230-231に「なにわやの松」の図と解説が掲載されています。
(6) 国立国会図書館デジタルコレクション『浪速叢書. 第1』 (浪速叢書刊行会 大正15) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1020289/1/107 (2022.12.25確認)
『摂陽奇観』巻之三のp.54(コマ番号107)に住吉の名所の数え歌が掲載されており、「七ツなにはやかさまつに。千代をあいおふあまやどり」とあります。
(7) 国立国会図書館デジタルコレクション『浪速叢書. 第3』 (船越政一郎 編 浪速叢書刊行会 昭和2) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1226386/1/177 (2022.12.25確認)
『摂陽奇観』巻之二十六のp.10(コマ番号177)に「三月 住吉難波屋の松大キサ改ム」とあり、難波屋と庭の松について記述があります。
(8) 国立国会図書館デジタルコレクション『浪速叢書. 第8』 (船越政一郎 編 浪速叢書刊行会 昭和3) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1243124/1/38 (2022.12.25確認)
『摂津名所図会大成』巻之七のp.56(コマ番号38)とp.58(コマ番号39)に「難波屋笠松」に関する記述があります。
(9) 『浮世絵は愉しい : 沢井コレクション百選』(沢井 鈴一/著 あるむ 1999.12)
図版4「浪花名所図会・安立町難波屋のまつ」が掲載され、p.127-128に解説が記載されています。
(10) 『花の下影 -幕末浪花のくいだおれ-』(清文堂出版 1986)
解説p.8によると、『花の下影』は幕末期大坂の飲食店を多数紹介した画帖です。p.65に「108 難波屋笠松」が掲載されています。
◆近代以降の図書・雑誌
(11) 国立国会図書館デジタルコレクション『東成郡誌』 (大阪府東成郡 編 大阪府東成郡 大正11) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/978621/1/907 (2022.12.25確認)
「第廿四編 安立町 第五章 名所」のp.1715-1716(コマ番号907-908)「浪花屋の笠松」の項に浪花屋と笠松について記述があります。曲亭馬琴の随筆紀行『羇旅漫録』から、「難波屋の松」を見に訪れた部分が引用されています。
(12) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪府全志. 巻之3』 (井上正雄 著 大阪府全志発行所 大正11) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/965800/1/79 (2022.12.25確認)
「第一章 摂津国 第二節 東成郡 第三項 安立町」のp.103(コマ番号79)に「笠松」について記述があります。
(13) 国立国会図書館デジタルコレクション『南大阪編入記念誌』 (蒲原隆次 著 南大阪編入記念誌発行会 大正14) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/909410/1/191 (2022.12.25確認)
「第三編 東成之部 第五章 安立町」の図版(コマ番号191)に「安立町笠松」の写真があります。またp.337(コマ番号194)「同章 第六節 神社仏閣名勝古跡」に難波屋の笠松について記述があります。
(14) 国立国会図書館デジタルコレクション『住吉細見記』 (梅原忠治郎 著 松田尚友堂 1927) (図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1184786/1/58 (2022.12.25確認)
「安立町附近」のp.80(コマ番号58)に難波屋の笠松について記述があります。
(15) 『上方 -郷土研究- 第115〜120号』 (上方郷土研究会/編 創元社 1940.7-12)
120号(昭和15年12月)の表紙画が「住吉難波屋の笠松」で、「三世 長谷川貞信」の版画です。
p.5-11鯛天源三郎「大阪府下の名松を訪ねて」という記事に、p.5-6に難波屋と笠松に関する記述があります。また、p.11に「住吉難波屋の笠松(文化十年版行)」図があり、図に松の寸法等が記載されています。
また、口絵図版「江戸時代の大阪の名松」に「難波松・堺安立町なにはやの庭にあり」という絵が掲載されていますが、こちらは「「絵本名木難波津」所収 画工長谷川光信」のものです。
(16) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪弁 第3輯』(大阪ことばの会 編 清文堂書店 1949)(図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2455387/1/63 (2022.12.26確認)
p.120-132(コマ番号63-69)に「難波屋(なにわや)の笠松とその付近にあった名所」の項目があり、松が枯れた際に「惜しむ会」が開かれたことにも触れられています。
(17) 『大阪市今昔写真集 東南部版 天王寺区・阿倍野区・東成区・生野区・住吉区・東住吉区・平野区』 (石浜 紅子/監修 樹林舎 2009.12)
p.89に「阪堺線沿いの笠松(住之江区 昭和10年頃)」の写真が掲載されています。「住吉大社の南、川を渡った辺りに見事な枝ぶりを誇っていた松の巨木。住吉名物「難波屋笠松」と呼ばれ、周りで俳句の会などが催されることもあった。地元の人だけでなく、電車の窓から眺めて心癒された人も多かった。」と解説があります。
◆インターネットサイト
(18) 大阪府立図書館 おおさかeコレクション 錦絵にみる大阪の風景「安立町難波屋の松の図」
http://e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod=0000000007-00010127 (2022.9.6確認)
広重(初代)画「浪花名所図会 安立町難波屋の松の図 」の作品解説に難波屋や笠松について触れられています。
(19) 大阪あそ歩:「岸の辺の道・安立を越えて」
https://www.osaka-asobo.jp/course107.html (2022.9.6確認)
大阪のまち歩きプロジェクト「大阪あそ歩」のサイトです。ページ左側のメニュー「当コースのまち歩きマップ」より、イラストマップを閲覧できます。「⑥難波屋の笠松跡」に笠松について記述があります。
(20) 大阪府営5公園ポータル いこいこ! おおさかの公園:「住吉公園歴史探訪」第14号
https://www.toshi-kouen.jp/article.php/sumiyoshi_news20220326_2 (2022.1.7確認)
難波屋の笠松について、わかりやすくまとめられており、写真や図絵も豊富に掲載されています。
回答プロセス:1.当館所蔵検索にて、フリーワード“難波 屋笠松”で検索、ヒットなし。フリーワード“難波屋”で検索、資料(9)が見つかる。
2.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( http://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/ ) “難波屋”もしくは“難波屋 笠松”で検索、資料(15)(18)が見つかる。
3.プロセス2にて、『摂津名所図会』にも記述があることが分かったので、当館所蔵検索にて、フリーワード“摂津名所図会”で検索、資料(2)(3)を確認
4.「大阪市立図書館デジタルアーカイブ」をフリーワード“摂津名勝図会”で検索、資料(1)を確認
5.質問者事前調査事項の堺市立図書館ホームページ「郷土資料展「堺と住吉」」に「諸国名所百景」「住吉名勝図会」等の資料名の記載があったため、当館所蔵検索フリーワード“諸国名所百景”、“住吉名勝図会”で検索、資料(5)が見つかる。
6.「大阪市立図書館デジタルアーカイブ」にて、フリーワード“住吉名勝図会”で検索、資料(4)が見つかる。
7.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)を“難波屋”で検索、資料(14)が見つかる。
8.「Google」を“難波屋笠松”で検索、資料(19)(20)が見つかる。
9.「Googleブックス」を“難波屋笠松”で検索、資料(10)(12)が見つかる。
10.『浪速叢書 第 16』(総索引)を確認。「〔雑〕植物」の項p.501に「難波屋の松」があり、資料(6)(7)(8)が見つかる。
11.「国立国会図書館デジタルコレクション」を“安立町”で検索、資料(13)が見つかる。
12.『住吉区史』を確認、有用情報なし。
13.『東成郡誌』(資料(11))を確認。
14.「国立国会図書館サーチ」をフリーワード”難波屋 笠松”で検索、資料(16)が見つかる。
15.住吉区を含む昔の大阪の写真集を確認、資料(17)が見つかる。
事前調査事項:(1)『文化遺産オンライン』
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/81386
(2)『大阪市 コラム5 小町茶屋(こまちぢゃや)・難波屋笠松(なにわやかさまつ)跡』
https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009427.html
(3)『堺市立図書館 郷土資料展「堺と住吉」』
https://www.lib-sakai.jp/column/080809kyoudo/sakaitosumiyoshi.htm
参考資料:当館書誌ID 上方 -郷土研究- 第115〜120号 上方郷土研究会/編 創元社 1940.7-12 資料(15),
参考資料:当館書誌ID 図典「摂津名所図会」を読む -大阪名所むかし案内- 本渡 章/著 創元社 2020.6 978-4-422-25090-8 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 日本名所風俗図会 10 大阪の巻 角川書店 1980.6 資料(3),
参考資料:当館書誌ID 住吉名勝図会 国書刊行会 1987.1 資料(5),
参考資料:当館書誌ID 浮世絵は愉しい -沢井コレクション百選- 沢井 鈴一/著 あるむ 1999.12 9784901095037 資料(9),
参考資料:当館書誌ID 花の下影 -幕末浪花のくいだおれ- 清文堂出版 1986 9784792422158 資料(10),
参考資料:当館書誌ID 大阪市今昔写真集 東南部版 天王寺区・阿倍野区・東成区・生野区・住吉区・東住吉区・平野区 石浜 紅子/監修 大阪教科書(発売) 2009.12 978-4-902731-29-3 資料(17),
参考資料:当館書誌ID 浪速叢書 第1 船越 政一郎/編 名著出版 1977 資料(6),
参考資料:当館書誌ID 浪速叢書 第3 船越 政一郎/編 名著出版 1978 資料(7),
参考資料:当館書誌ID 浪速叢書 第8 船越 政一郎/編 名著出版 1978 資料(8),
参考資料:当館書誌ID 東成郡誌 下巻 東成郡役所/編 名著出版 1972 資料(11),
参考資料:当館書誌ID 大阪府全志 巻之3 井上 正雄/著 清文堂 1985 9784792402723 資料(12),
参考資料:当館書誌ID 住吉細見記 梅原 忠治郎/著 松田尚友堂 1927 資料(14),
参考資料:当館書誌ID 南大阪編入記念誌 蒲原 隆次/著 南大阪編入記念誌発行会 1925(大正14) 資料(13),
参考資料:当館書誌ID 大阪弁 第3輯 大阪ことばの会/編 清文堂書店 1949 資料(16),
参考資料:大阪市立図書館デジタルアーカイブ『摂津名所図会』巻の1 http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=17880010 (2022.9.6確認) 資料(1),
参考資料:大阪市立図書館デジタルアーカイブ『住吉名勝図会』巻之4 http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=l0022001 (2022.9.6確認) 資料(4),
参考資料:住吉大社から安立へ!紀州街道を歩く 大阪あそ歩 https://www.osaka-asobo.jp/course_station/288.pdf (2022.9.6確認) 資料(19),
参考資料:大阪府立図書館 おおさかeコレクション 「錦絵にみる大阪の風景 安立町難波屋の松の図」 http://e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod=0000000007-00010127 (2022.9.6確認) 資料(18),
参考資料:「住吉公園歴史探訪」第14号 https://www.toshi-kouen.jp/article.php/sumiyoshi_news20220326_2 (2023.1.7確認) 資料(20),
(2023/01/08 00:30)
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1939年1月18日付かその前後2日の下記の新聞に、「和歌山県県勢歌」の作詞・作曲者の氏名、歌詞および楽譜が掲載されているか。 ・大阪朝日新聞(和歌山版) ・大阪毎日新聞(同) ・紀伊新報 ・和歌山新報 ・和歌山日日新聞(和歌山県立図書館)
『大阪朝日新聞 和歌山版』1939年1月18日に「伸びる郷土を讃へ 九十萬人の大合唱 縣勢歌の作曲成る」の見出しで記事がある。
「(前略)斯界の権威和歌山師範学校教諭鈴木富三氏に作曲を依頼した(中略)歌詞は山名貫児氏、三溝信雄氏合作のもので
一、黒潮めぐる南海の
浦に濵木綿咲くところ(後略:歌詞が5番まで掲載)(凸版はその譜)」
また、楽譜が2行掲載されており、そこにも「山名貫児 三溝信雄合作 鈴木富三作曲」の記載がある。
なお、『和歌山日日新聞』〔1939年1月20日〕(※受入印の日付/新聞日付破損)には「やり直しの運命 紀州禮讃の「縣勢歌」 作曲した鈴木教諭の無断發表が祟る」の見出しで歌詞、曲譜の一部を変更する記事が掲載されている。(記事の上部が切断されているため、■にしている)
「(前略)厳正審査を行ひ■■作三篇の入選を決定したが■■歌として發表するに適當な■■がなかつたので松村縣統計■■らが中心となり山名、三溝■■学校教諭に依頼して應募作■■参考に創作中の所出来■■たので作曲を斯界の権威、■■学校教諭鈴木富三氏に依頼して作曲の完成を見たので近くレコードに吹き込みラヂオでも放送して一般に發表する段取りとなつていたところ、鈴木教諭は十七日何らの手續きをとらず獨断で發表したので縣統計協會の計画 齟齬を来たし(中略)縣統計協會では鈴木教諭作曲の『黒潮めぐる南海の・・・・・・』を縣勢歌として認めぬ旨を縣政記者團に言明して改めて歌詞、曲譜をやり(以降綴じ目の為判読できず)」
(2023/01/05 09:56)
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【尹奉吉(ユンボンギル)の金沢への連行について】 尹奉吉は大阪から金沢へ連行されて処刑されるまでの間、仕事をしていたか。していたとすればどのような仕事か。 収容されていた場所、処刑された場所も知りたい。(金沢市図書館)
『4月29日(エンペラーズ・バースデー)の尹奉吉』(118420231)p.16~20に大阪から金沢へ連行され、処刑されるまでの様子が記載されているが、金沢には一晩だけ滞在していたことが分かる。そのため、仕事をしていた可能性は低いと考えられる。また、収容されていたのは、金沢衛伊拘禁所の営倉(軍人用の牢獄)、処刑されたのは三小牛山にある金沢陸軍作業場の中の谷間を利用して立てられた刑場と記載あり。
『尹奉吉暗葬の地・金沢から』(111560482)p.143~150に、上海からの日本移送と金沢で処刑されるまでの様子が新聞記事の内容とあわせて記載あり。p.151には資料として「死刑執行始末書」あり。
『評伝尹奉吉』(113044097)p.235~238にも上海から大阪へ護送され、金沢で処刑されるまでの様子の記載あり。
(2023/01/05 00:30)
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市立中央郷土関連:トップ5
サイト名
レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
https://crd.ndl.go.jp/
田辺聖子の日記に、昭和20年6月の大阪大空襲の時、梅田新道にあった「第百生命ビル」が燃えていたという記述がある。当時は「第百生命ビル」はどこにあったか。また、現在のどこにあたるか知りたい。(大阪市立中央図書館)
以下の資料より、第百生命ビルの所在した当時の住所は「北区堂島浜通一丁目15-1」であることがわかりました。現在の大阪市北区堂島浜一丁目1番付近にあたります。
■ビルが所在していた住所が確認できた資料
(1) 『第百生命七十年史』 (第百生命保険相互会社社史編纂室/編 第百生命 1985)
「第1部 川崎家の事業展開と日華生命」のp.132に「[昭和]16年末には(略)当社の大阪における事務・営業の拠点は北区堂島浜通1丁目15番地の1所在の旧福徳生命ビルに結集されることになった。」とあります。
また、p.857-891「年表」に、社名の変遷等について記述があります。昭和20年前後は以下のとおりです。
・昭和16(1941) 11.18 [日華生命・福徳生命・国華徴兵]3社合併認可。社名を「第百生命徴兵保険株式会社」と改称
・昭和16(1941) 12.- 旧福徳生命大阪本社を大阪分室と改称
・昭和20(1945) 10.1 社名を「第百生命保険株式会社」と改称
(2) 『大阪商工名録 昭和15年版』 (大阪商工会議所/[編] 大阪商工会議所 1940)
p.505に「福徳生命保険」の名前で「北区堂島浜通一丁目15-1」とあります。
(3) 国立国会図書館デジタルコレクション『京阪神復興名鑑』 (毎日新聞社資料部 文星館 1946) (図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/8322615/1/42 (2023.1.28確認)
p.72(コマ番号42)に「第百ビル(第百生命館) 北区堂島濱通一ノ一五」とあります。
■該当の建物が確認できた地図資料
(4) 『昭和前期日本商工地図集成 第2期 大阪・京都・兵庫・奈良・和歌山・滋賀・三重』 (地図資料編纂会/編集 柏書房 1987.6)
p.5 昭和7年12月東京交通社発行「大日本職業別明細図 信用案内第三〇七号 大阪市」の地図左側に北区堂島浜通一丁目が掲載されており、梅田新道沿いに「福徳生命保険会社」の表記があります。
(5) 『京阪神便覧 [1] 大阪市区分地図篇』 (昭文社編集部/編集 昭文社 1960)
「第八図 北区」の地図下部に堂島浜通一丁目15が掲載されており、「第百生命」と記載があります。
(6) 『大阪市全商工住宅案内図帳・大阪市精密住宅地図 北区 昭和36~51年』 (住宅協会出版部 1961-1976)
昭和36年版のp.32に堂島浜通一丁目15が掲載されており、そこには「第百生命ビル」と記載があります。
(7) 国会図書館デジタルコレクション『全地番入大阪市区別地図地名総覧. 1965』 (大阪人文社 1965) (図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/9888116/1/52 (2023.1.28確認)
「④ 北区」の3枚目(コマ番号52)、地図下部に堂島浜通1-15の地番があり、「第百生命」と記載があります。
■「堂島浜通一丁目15」の地番が確認できた昭和20年前後の地図資料
(8) 『地番入大阪市図:第2回訂正増補 -五千分一-』 (大阪市/地形図 和楽路屋 1933.5)
「29 梅田」の右ページ最下部に「堂島浜通一丁目15」の地番が確認できます。なお、建物名等はありません。
(9) 国立国会図書館デジタルコレクション『地番入大阪市図:五千分一』(大阪市 編 和楽路屋 昭和6) (図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/8311418/1/85 (2023.1.28確認)
「29 梅田」(コマ番号85)の右ページ最下部に「堂島浜通一丁目15」の地番が確認できます。なお、建物名等はありません。
■「堂島浜通1丁目15」の現在の場所がわかる資料
(10) 『大阪の町名 -その歴史- 上巻』 (大阪市市民局/編集 大阪市市民局 1990.3)
「北区」のp.31「堂島浜通一~二丁目」の項に「昭和53年2月1日の住居表示の実施にともない、堂島浜通一~二丁目は堂島浜一~二丁目・堂島一丁目・西天満二丁目の各一部となった。」とあります。
p.69-70に新旧の町名が記載された地図があります。
(11) 『大阪市精密住宅地図 北区 昭和53,55,58,61年』 (吉田地図/[編] 吉田地図 1978-1986)
北区の昭和53、55、58、61年の住宅地図を合冊製本した資料です。
住居表示が実施された直後に発行された昭和53年版に、新旧の地名が併記されています。p.29-30に旧堂島浜通一丁目が掲載されており、当該地は堂島浜一丁目1-5附近になります。
回答プロセス:1.当館所蔵検索にて、著者“田辺聖子”、フリーワード“日記”だけなく『田辺聖子十八歳の日の記録』(当館書誌ID:0015127652)にて、当該の記述を確認。p.70に当該の記述を確認、「梅田新道はものすごい。まだ炎々と燃えさかっている。(略)第百生命は全滅だ。」とあり。
2.当館所蔵検索にて、フリーワード”第百生命”で検索。資料(1)が見つかる。年表の記述より、当時会社の統廃合や改称が頻繁に行われていたことがわかる。
3.「国立国会図書館デジタルコレクション」でキーワード“第百生命”で検索するが、1945年以前では有用情報は見つからず。
4.当館が所蔵する昭和20年前後の電話帳、商工名鑑を確認。資料(2)が見つかる。
5.「国立国会図書館デジタルコレクション」でキーワード“第百生命”で検索し、昭和20年前後の電話帳や商工名鑑を確認。資料(3)が見つかる。
6.当館が所蔵する昭和20年前後の商工地図を確認。資料(4)の堂島浜通1丁目に「福徳生命保険会社」の表記があることを確認。
7.当館が所蔵する一番古い大阪市北区の住宅地図を確認。(資料(6))
8.昭和20年前後の地番入り地図を確認。(資料(5)(8)(9))
9.「国立国会図書館デジタルコレクション」にて、昭和20年前後の地番入り地図を確認。(資料(7))
9.大阪の地名の変遷に関する資料を確認。(資料(10))
10.住居表示実施時の住宅地図を確認。(資料(11))
参考資料:当館書誌ID 第百生命七十年史 第百生命保険相互会社社史編纂室/編 第百生命 1985 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪商工名録 昭和15年版 大阪商工会議所/[編] 大阪商工会議所 1940 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 地番入大阪市図:第2回訂正増補 -五千分一- 大阪市/地形図 和楽路屋 1933.5 資料(8),
参考資料:当館書誌ID 昭和前期日本商工地図集成 第2期 大阪・京都・兵庫・奈良・和歌山・滋賀・三重 地図資料編纂会/編集 柏書房 1987.6 9784760103393 資料(4),
参考資料:当館書誌ID 大阪市全商工住宅案内図帳・大阪市精密住宅地図 北区 昭和36~51年 住宅協会出版部 1961-1976 資料(6),
参考資料:当館書誌ID 地番入大阪市図 -五千分一- 大阪市/著 和楽路屋 1931.3 資料(9),
参考資料:当館書誌ID 大阪の町名 -その歴史- 上巻 大阪市市民局/編集 大阪市市民局 1990.3 資料(10),
参考資料:当館書誌ID 大阪市精密住宅地図 北区 昭和53,55,58,61年 吉田地図/[編] 吉田地図 1978-1986 資料(11),
参考資料:当館書誌ID 京阪神便覧 [1] 大阪市区分地図篇 昭文社編集部/編集 昭文社 1960 資料(5),
参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション『京阪神復興名鑑』 毎日新聞社資料部 文星館 1946 (図書館・個人送信限定) https://dl.ndl.go.jp/pid/8322615/1/42 (2023.1.28確認) 資料(3),
参考資料:国会図書館デジタルコレクション『全地番入大阪市区別地図地名総覧. 1965』 大阪人文社 1965 (図書館・個人送信限定) https://dl.ndl.go.jp/pid/9888116/1/52 (2023.1.28確認) 資料(7),
(2023/01/29 00:30)
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天王寺かぶら(蕪、蕪菁)について知りたい。(大阪市立中央図書館)
天王寺かぶら(蕪)は大阪の伝統野菜です。
『日本国語大辞典』(資料(1))には「カブの栽培品種。大阪付近で古くから栽培された。葉は一般に切れ込みが浅く琵琶(びわ)形で、根は白色、扁球形。大きいものは二キログラムに達する。早熟で、生食や漬物に適する。」とあります。
天王寺かぶらの特長や歴史、産地などついて書かれた資料を以下のとおり紹介します。
(1) 『日本国語大辞典 :第2版 第9巻 ちゆうひ-とん』(小学館 2001)
p.840に「てんのうじ‐かぶ【天王寺蕪】」の項にがあります。
(2) 『天王寺村誌』 (大阪府東成郡天王寺村/編纂 新和出版社 1976)
「第五篇 行政 第十章 産業 第二節 農業」のp.515-518「乙、特産物」の項、p.515-517に「天王寺蕪菁」について記述があります。「本村独特の産物たり、其の味の美にして其の形麗はしき他に其の比を見ず。大きさ直径三、四寸或は夫れ以上に越ゆるものあり。」とあり、またその来歴についても記述されています。
(3) 『なにわ大阪の伝統野菜』(なにわ特産物食文化研究会/編著 農山漁村文化協会 2002)
「第二章 なにわ大阪伝統野菜の数々」のp.48-53「カブ(蕪、カブラ)」の項に天王寺蕪について記述があり、「切れ葉と丸葉のタイプがあり、根身は純白で扁平」「天王寺六萬体の三分屋・六萬堂(村上氏)が江戸時代中頃、天王寺蕪の粕漬を売り出し、諸国にその名が知られるようになりました。」とあります。また復興栽培が試みられていることも書かれています。
(4) 『大阪食文化大全』(西日本出版社 2010)
「第七章 なにわの伝統野菜」のp.245-247「一、天王寺蕪」の項、p.245に「天王寺蕪は、およそ五百年以上の歴史を持つ日本最古の和種蕪だといわれている。」、p.247に「天王寺蕪の味わいの特長は他の蕪にはない甘さと緻密な肉質。(略)甘みが強くて下記のように緻密な肉質であることから天王寺周辺の神社では、天王寺蕪を風呂吹きにして食べる習慣があった。」とあります。
(5) 『私たちの阿倍野 -もうちょっと知っとく?-』(難波 りんご/著 新風書房 2000)
p.18-19「天王寺かぶらが野沢菜になった!」の項に、天王寺蕪についてわかりやすくまとめられています。「大阪夏の陣の時、大塔宮という皇族の家来で農夫になった人の子孫が、村人といっしょに戦いの中、野菜の種が入った大切な種蔵を火災や盗難から守り続け、そのほうびに四天王寺近付の土地を与えられました。この土地を耕し蕪の種をまいて育てたところ、とてもおいしい蕪ができたので、四天王寺の僧たちの食料に納めていました。年々蕪を作る村人も増え、たくさんとれるようになると、市場にも出すようになり、天王寺蕪とよばれるようになりました。」とあります。また、信州の僧が天王寺かぶらを持ち帰ったことがきっかけで野沢菜が生まれたとあります。
(6) 『大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 通巻111号 おおさかの伝統野菜』(大阪春秋社 2003)
p.56-63 難波りんご、高橋俊太郎「なにわ伝統野菜の今をたずねて」に、天王寺かぶらの復興栽培や天王寺蕪を使った漬物など売る店舗について書かれています。
(7) 『なにわ大阪食べものがたり』(上野 修三/著 創元社 2007)
「なにわ野菜 秋」のp.200-201に「天王寺蕪菜」の項があり、その味やおすすめの調理法について記述があります。肉質が硬くて扁平であること、漬物に最適であることが書かれています。
天王寺かぶらを題材にした子ども向けに作られた本も刊行されています。
(8)『わては天王寺蕪でっせ -安倍清明没後千年を記念して-』(志村 敏子/文・編集 タウン新聞社 2005)
p.16 天王寺蕪の会代表 猿田博 「なにわの伝統野菜復活の兆し」に、明治末期以降、絶滅に瀕していたが、現在、有志で「天王寺蕪の会」が結成され、天王寺かぶらの復活・普及に取り組んでいることが書かれています。
またp.21「天王寺蕪(てんのうじかぶら)」の項に天王寺蕪の歴史などについてわかりやすくまとめられています。
(9) 『大阪なにわ伝統野菜のお・は・な・し』(志村 敏子/作 内外出版 2008)
それぞれの伝統野菜が自分たちのよいところを自慢するという形式で、伝統野菜の特徴が語られています。
天王寺かぶらについては、p.34に「わては、天王寺かぶらと言いまして、昔、天王寺村でつくられてた、かぶらでんねん。“香りがようて、歯ごたえがようて、おいしい”と、三拍子揃うてたさかい人気もんでしたんや。」とあります。
回答プロセス:1.商用データベース「JapanKnowledge」をキーワード“天王寺蕪”で検索、(資料1)が見つかる。
2.当館所蔵資料『天王寺村誌』(資料(2))の関連する記述を確認。
3.当館所蔵検索 フリーワード“伝統野菜”で検索、資料(3)-(9)が見つかる。
参考資料:当館書誌ID 日本国語大辞典 :第2版 第9巻 ちゆうひ-とん 小学館国語辞典編集部/編集 小学館 2001.9 9784095210094 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 天王寺村誌 大阪府東成郡天王寺村/編纂 新和出版社 1976 資料(2),
参考資料:当館書誌ID なにわ大阪の伝統野菜 なにわ特産物食文化研究会/編著 農山漁村文化協会 2002.3 9784540012457 資料(3),
参考資料:当館書誌ID 大阪食文化大全 笹井 良隆/編著 西日本出版社 2010.11 978-4-901908-54-2 資料(4),
参考資料:当館書誌ID 私たちの阿倍野 -もうちょっと知っとく?- 難波 りんご/著 新風書房 2000.8 9784882694533 資料(5),
参考資料:当館書誌ID 大阪春秋 -大阪の歴史と文化と産業と- 通巻111号 おおさかの伝統野菜 大阪春秋社 2003.6 資料(6),
参考資料:当館書誌ID なにわ大阪食べものがたり 上野 修三/著 創元社 2007.9 978-4-422-74030-0 資料(7),
参考資料:当館書誌ID わては天王寺蕪でっせ -安倍清明没後千年を記念して- 志村 敏子/文・編集 タウン新聞社 2005.9 資料(8),
参考資料:当館書誌ID 大阪なにわ伝統野菜のお・は・な・し 志村 敏子/作 内外出版 2008.1 978-4-931410-18-3 資料(9),
(2023/01/29 00:30)
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江戸時代、住吉村安立町にあった難波屋という茶屋と、その庭にあった笠松について書かれた資料はないか。(大阪市立中央図書館)
茶屋「難波屋」と、その店の名物だった「笠松」について、関連する記述のあった資料をご紹介します。
◆江戸時代の地誌類
『摂津名所図会』等の江戸時代の資料に、大阪の名所として紹介されています。
(1) 大阪市立図書館デジタルアーカイブ『摂津名所図会 1』
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=17880010 (2022.9.6確認)
59コマ目(画像管理番号144006)に「安立町難波屋名松」の図、60コマ目(画像管理番号144007)に「難波屋笠松」の解説があります。
(2) 『図典「摂津名所図会」を読む -大阪名所むかし案内-』(本渡 章/著 創元社 2020.6)
「資料編 図典「摂津名所図会」」のp.180に「安立町 難波屋の名松〔巻之一/画・丹羽桃渓〕」の図と解説が掲載されています。
(3) 『日本名所風俗図会 10 大阪の巻』(角川書店 1980.6)
『摂津名所図会』の翻刻文が収録されています。p.37、39が「難波屋笠松」に関する部分です。
(4) 大阪市立図書館デジタルアーカイブ『住吉名勝図会 巻之4』
http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=l0022001 (2022.9.6確認)
22コマ目(画像管理番号125394)に「なにわやの松」の図があります。
(5) 『住吉名勝図会』(国書刊行会 1987.1)
寛政6(1794)年刊の復刻です。「巻之四」のp.230-231に「なにわやの松」の図と解説が掲載されています。
(6) 国立国会図書館デジタルコレクション『浪速叢書. 第1』 (浪速叢書刊行会 大正15) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1020289/1/107 (2022.12.25確認)
『摂陽奇観』巻之三のp.54(コマ番号107)に住吉の名所の数え歌が掲載されており、「七ツなにはやかさまつに。千代をあいおふあまやどり」とあります。
(7) 国立国会図書館デジタルコレクション『浪速叢書. 第3』 (船越政一郎 編 浪速叢書刊行会 昭和2) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1226386/1/177 (2022.12.25確認)
『摂陽奇観』巻之二十六のp.10(コマ番号177)に「三月 住吉難波屋の松大キサ改ム」とあり、難波屋と庭の松について記述があります。
(8) 国立国会図書館デジタルコレクション『浪速叢書. 第8』 (船越政一郎 編 浪速叢書刊行会 昭和3) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1243124/1/38 (2022.12.25確認)
『摂津名所図会大成』巻之七のp.56(コマ番号38)とp.58(コマ番号39)に「難波屋笠松」に関する記述があります。
(9) 『浮世絵は愉しい : 沢井コレクション百選』(沢井 鈴一/著 あるむ 1999.12)
図版4「浪花名所図会・安立町難波屋のまつ」が掲載され、p.127-128に解説が記載されています。
(10) 『花の下影 -幕末浪花のくいだおれ-』(清文堂出版 1986)
解説p.8によると、『花の下影』は幕末期大坂の飲食店を多数紹介した画帖です。p.65に「108 難波屋笠松」が掲載されています。
◆近代以降の図書・雑誌
(11) 国立国会図書館デジタルコレクション『東成郡誌』 (大阪府東成郡 編 大阪府東成郡 大正11) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/978621/1/907 (2022.12.25確認)
「第廿四編 安立町 第五章 名所」のp.1715-1716(コマ番号907-908)「浪花屋の笠松」の項に浪花屋と笠松について記述があります。曲亭馬琴の随筆紀行『羇旅漫録』から、「難波屋の松」を見に訪れた部分が引用されています。
(12) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪府全志. 巻之3』 (井上正雄 著 大阪府全志発行所 大正11) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/965800/1/79 (2022.12.25確認)
「第一章 摂津国 第二節 東成郡 第三項 安立町」のp.103(コマ番号79)に「笠松」について記述があります。
(13) 国立国会図書館デジタルコレクション『南大阪編入記念誌』 (蒲原隆次 著 南大阪編入記念誌発行会 大正14) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/909410/1/191 (2022.12.25確認)
「第三編 東成之部 第五章 安立町」の図版(コマ番号191)に「安立町笠松」の写真があります。またp.337(コマ番号194)「同章 第六節 神社仏閣名勝古跡」に難波屋の笠松について記述があります。
(14) 国立国会図書館デジタルコレクション『住吉細見記』 (梅原忠治郎 著 松田尚友堂 1927) (図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/1184786/1/58 (2022.12.25確認)
「安立町附近」のp.80(コマ番号58)に難波屋の笠松について記述があります。
(15) 『上方 -郷土研究- 第115〜120号』 (上方郷土研究会/編 創元社 1940.7-12)
120号(昭和15年12月)の表紙画が「住吉難波屋の笠松」で、「三世 長谷川貞信」の版画です。
p.5-11鯛天源三郎「大阪府下の名松を訪ねて」という記事に、p.5-6に難波屋と笠松に関する記述があります。また、p.11に「住吉難波屋の笠松(文化十年版行)」図があり、図に松の寸法等が記載されています。
また、口絵図版「江戸時代の大阪の名松」に「難波松・堺安立町なにはやの庭にあり」という絵が掲載されていますが、こちらは「「絵本名木難波津」所収 画工長谷川光信」のものです。
(16) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪弁 第3輯』(大阪ことばの会 編 清文堂書店 1949)(図書館・個人送信限定)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2455387/1/63 (2022.12.26確認)
p.120-132(コマ番号63-69)に「難波屋(なにわや)の笠松とその付近にあった名所」の項目があり、松が枯れた際に「惜しむ会」が開かれたことにも触れられています。
(17) 『大阪市今昔写真集 東南部版 天王寺区・阿倍野区・東成区・生野区・住吉区・東住吉区・平野区』 (石浜 紅子/監修 樹林舎 2009.12)
p.89に「阪堺線沿いの笠松(住之江区 昭和10年頃)」の写真が掲載されています。「住吉大社の南、川を渡った辺りに見事な枝ぶりを誇っていた松の巨木。住吉名物「難波屋笠松」と呼ばれ、周りで俳句の会などが催されることもあった。地元の人だけでなく、電車の窓から眺めて心癒された人も多かった。」と解説があります。
◆インターネットサイト
(18) 大阪府立図書館 おおさかeコレクション 錦絵にみる大阪の風景「安立町難波屋の松の図」
http://e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod=0000000007-00010127 (2022.9.6確認)
広重(初代)画「浪花名所図会 安立町難波屋の松の図 」の作品解説に難波屋や笠松について触れられています。
(19) 大阪あそ歩:「岸の辺の道・安立を越えて」
https://www.osaka-asobo.jp/course107.html (2022.9.6確認)
大阪のまち歩きプロジェクト「大阪あそ歩」のサイトです。ページ左側のメニュー「当コースのまち歩きマップ」より、イラストマップを閲覧できます。「⑥難波屋の笠松跡」に笠松について記述があります。
(20) 大阪府営5公園ポータル いこいこ! おおさかの公園:「住吉公園歴史探訪」第14号
https://www.toshi-kouen.jp/article.php/sumiyoshi_news20220326_2 (2022.1.7確認)
難波屋の笠松について、わかりやすくまとめられており、写真や図絵も豊富に掲載されています。
回答プロセス:1.当館所蔵検索にて、フリーワード“難波 屋笠松”で検索、ヒットなし。フリーワード“難波屋”で検索、資料(9)が見つかる。
2.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( http://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/ ) “難波屋”もしくは“難波屋 笠松”で検索、資料(15)(18)が見つかる。
3.プロセス2にて、『摂津名所図会』にも記述があることが分かったので、当館所蔵検索にて、フリーワード“摂津名所図会”で検索、資料(2)(3)を確認
4.「大阪市立図書館デジタルアーカイブ」をフリーワード“摂津名勝図会”で検索、資料(1)を確認
5.質問者事前調査事項の堺市立図書館ホームページ「郷土資料展「堺と住吉」」に「諸国名所百景」「住吉名勝図会」等の資料名の記載があったため、当館所蔵検索フリーワード“諸国名所百景”、“住吉名勝図会”で検索、資料(5)が見つかる。
6.「大阪市立図書館デジタルアーカイブ」にて、フリーワード“住吉名勝図会”で検索、資料(4)が見つかる。
7.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)を“難波屋”で検索、資料(14)が見つかる。
8.「Google」を“難波屋笠松”で検索、資料(19)(20)が見つかる。
9.「Googleブックス」を“難波屋笠松”で検索、資料(10)(12)が見つかる。
10.『浪速叢書 第 16』(総索引)を確認。「〔雑〕植物」の項p.501に「難波屋の松」があり、資料(6)(7)(8)が見つかる。
11.「国立国会図書館デジタルコレクション」を“安立町”で検索、資料(13)が見つかる。
12.『住吉区史』を確認、有用情報なし。
13.『東成郡誌』(資料(11))を確認。
14.「国立国会図書館サーチ」をフリーワード”難波屋 笠松”で検索、資料(16)が見つかる。
15.住吉区を含む昔の大阪の写真集を確認、資料(17)が見つかる。
事前調査事項:(1)『文化遺産オンライン』
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/81386
(2)『大阪市 コラム5 小町茶屋(こまちぢゃや)・難波屋笠松(なにわやかさまつ)跡』
https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009427.html
(3)『堺市立図書館 郷土資料展「堺と住吉」』
https://www.lib-sakai.jp/column/080809kyoudo/sakaitosumiyoshi.htm
参考資料:当館書誌ID 上方 -郷土研究- 第115〜120号 上方郷土研究会/編 創元社 1940.7-12 資料(15),
参考資料:当館書誌ID 図典「摂津名所図会」を読む -大阪名所むかし案内- 本渡 章/著 創元社 2020.6 978-4-422-25090-8 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 日本名所風俗図会 10 大阪の巻 角川書店 1980.6 資料(3),
参考資料:当館書誌ID 住吉名勝図会 国書刊行会 1987.1 資料(5),
参考資料:当館書誌ID 浮世絵は愉しい -沢井コレクション百選- 沢井 鈴一/著 あるむ 1999.12 9784901095037 資料(9),
参考資料:当館書誌ID 花の下影 -幕末浪花のくいだおれ- 清文堂出版 1986 9784792422158 資料(10),
参考資料:当館書誌ID 大阪市今昔写真集 東南部版 天王寺区・阿倍野区・東成区・生野区・住吉区・東住吉区・平野区 石浜 紅子/監修 大阪教科書(発売) 2009.12 978-4-902731-29-3 資料(17),
参考資料:当館書誌ID 浪速叢書 第1 船越 政一郎/編 名著出版 1977 資料(6),
参考資料:当館書誌ID 浪速叢書 第3 船越 政一郎/編 名著出版 1978 資料(7),
参考資料:当館書誌ID 浪速叢書 第8 船越 政一郎/編 名著出版 1978 資料(8),
参考資料:当館書誌ID 東成郡誌 下巻 東成郡役所/編 名著出版 1972 資料(11),
参考資料:当館書誌ID 大阪府全志 巻之3 井上 正雄/著 清文堂 1985 9784792402723 資料(12),
参考資料:当館書誌ID 住吉細見記 梅原 忠治郎/著 松田尚友堂 1927 資料(14),
参考資料:当館書誌ID 南大阪編入記念誌 蒲原 隆次/著 南大阪編入記念誌発行会 1925(大正14) 資料(13),
参考資料:当館書誌ID 大阪弁 第3輯 大阪ことばの会/編 清文堂書店 1949 資料(16),
参考資料:大阪市立図書館デジタルアーカイブ『摂津名所図会』巻の1 http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=17880010 (2022.9.6確認) 資料(1),
参考資料:大阪市立図書館デジタルアーカイブ『住吉名勝図会』巻之4 http://image.oml.city.osaka.lg.jp/archive/detail?cls=ancient&pkey=l0022001 (2022.9.6確認) 資料(4),
参考資料:住吉大社から安立へ!紀州街道を歩く 大阪あそ歩 https://www.osaka-asobo.jp/course_station/288.pdf (2022.9.6確認) 資料(19),
参考資料:大阪府立図書館 おおさかeコレクション 「錦絵にみる大阪の風景 安立町難波屋の松の図」 http://e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod=0000000007-00010127 (2022.9.6確認) 資料(18),
参考資料:「住吉公園歴史探訪」第14号 https://www.toshi-kouen.jp/article.php/sumiyoshi_news20220326_2 (2023.1.7確認) 資料(20),
(2023/01/08 00:30)
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大阪の花街に、戦後間もない時期にどのくらいの芸妓がいたかがわかる資料を探している。(大阪市立中央図書館)
下記の資料に、昭和30年頃の大阪の芸妓の人数について記述がありました。
(1) 『国勢調査報告 昭和30年 3 全国編 その2』 (総理府統計局/編 総理府統計局 1959.8)
「第8表職業(小分類)および男女別15歳以上の就業者数-全国・支部・郡部・都道府県・六大都市」に「Ⅸ サービス就業従事者 (38)その他サービス職業従事者数 243芸妓、ダンサー、接客婦」の項があり、p.310に大阪府の統計が、p.359に大阪市の数値が掲載されています。
(2) 『大阪市統計書 第41回(昭和28年版) 』 (大阪市役所/編 大阪市役所 1954)
p.30-31「19.職業小分類別就業人口(満14歳以上)」の表に「9 サービス職業 (3)その他のサービス従業者 265 芸妓、ダンサー及び接客婦」の項があり、数値が掲載されています。
(3) 『モダン都市の系譜 -地図から読み解く社会と空間-』 (水内 俊雄/著 ナカニシヤ出版 2008.5)
「第Ⅲ部 戦災と復興」のp.229-238「特論 8A 花街から赤線へ」のp.230に「表8A-1 三都の花街」が掲載されており、「花街の名称」「創設年代」「現在の位置」の項とともに、「備考、昭和30年前後の状況」の項があり、芸者、芸妓の人数も記載されています。
回答プロセス:1.「国立国会図書館リサーチ・ナビ」にて、キーワード“芸妓 戦後 統計”“芸者 戦後 人数”等で検索、ヒットせず。
2「Googleブックス」にて、キーワード“芸者 統計 昭和”で検索、『昭和50年国勢調査に用いる産業分類・職業分類の解説』(総理府統計局 1976)が見つかり、サービス職業従事者の中に「芸者、ダンサー」という項目があることがわかる。
3.当館が所蔵する戦後の『国勢調査報告』を確認、資料(1)が見つかる。
4.当館所蔵の資料(1)と同時代の『大阪府統計年鑑』、『大阪市統計書』を確認。資料(2)がみつかる。
5.当館蔵書検索にて、検索対象を郷土資料とし、フリーワード“花街 戦後”“遊廓 戦後”“芸者 戦後”“芸妓 戦後”などで検索するが、有用資料見つからず。
6.「CiNii Research」にて、キーワード“大阪 芸妓 戦後”“大阪 芸者 戦後”で検索、有用資料見つからず。
7.「Googleブックス」にて、キーワード“大阪 芸妓 戦後 人数”で検索、資料(3)が見つかる。
参考資料:当館書誌ID 国勢調査報告 昭和30年 3 全国編 その2 総理府統計局/編 総理府統計局 1959.8 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪市統計書 第41回(昭和28年版) 大阪市役所/編 大阪市役所 1954 資料(2),
参考資料:当館書誌ID モダン都市の系譜 -地図から読み解く社会と空間- 水内 俊雄/著 ナカニシヤ出版 2008.5 978-4-7795-0263-7 資料(3),
(2022/12/29 00:30)
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初代の大阪市長である、田村太兵衛の出身地、生い立ち学歴や市長になる経緯などが書かれた資料を探している。(大阪市立中央図書館)
『日本人名大辞典』(講談社)の「田村太兵衛」の項には、「嘉永(かえい)3年8月4日生まれ。大阪心斎橋筋の呉服商をつぐ。(中略)[明治]31年初代大阪市長に選出され、市庁舎の建設、上下水道の拡張、市立高等商業の設立を推進した。(中略)号は友松。」とあります。(資料(1))
田村太兵衛氏について記載のある資料を以下にご紹介します。
なお、学歴についてふれられている資料は確認できませんでした。
■辞典・事典類の主な資料
(1) 『講談社日本人名大辞典』 (上田 正昭/[ほか]監修 講談社 2001.12)
p.1202に「田村太兵衛」の項があります。
ただし、生没年が「1850−1927」、「昭和2年9月16日死去。78歳。」とありますが、ほかの人物辞典では没年は大正12(1923)年となっており、また比較的没年と近い時期に刊行されている資料(9)においても「大正十二年七月八日」に亡くなったと記述があります。
(2) 『明治時代史大辞典 2 さ~な』 (宮地 正人/編 吉川弘文館 2012.7)
p.623-624に「田村太兵衛」の項があります。
(3) 『大阪人物辞典』 (三善 貞司/編 清文堂出版 2000.11)
p.712に「田村太兵衛」の項があります。
ただし、「天保一二年(一八四一)生まれ」、「大正一二年(一九二三)七月七三歳で他界」とあり、計算が合わず、また生年を1841年としているのは、確認したうちではこの資料のみで、あとはすべて1850年生まれとなっていました。
(4) 『大阪人物誌 続編』 (石田 誠太郎/著 臨川書店 1974)
p.206に「田村太兵衛」の項があります。
(5) 国立国会図書館デジタルコレクション『大阪人物小観:公人私人.上篇』(吉本義秋, 鵜崎熊吉 著 吉本義秋 明36.11) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/777510/1/41 (2022.12.26確認)
p.55-57(コマ番号41-42)に「殿様式の前市長 田村太兵衛」の項があります。
※「国立国会図書館デジタルコレクション」にて、キーワード「田村太兵衛」で検索すると、この資料以外にも多数の資料がヒットします。
(6) 『茶道人物辞典』 (原田 伴彦/編 柏書房 1981.9)
p.125に「田村太兵衛」の項があります。「大阪博物場長となって趣味の美術工芸品を集めた。(中略)友松」とあります。
■市史、区史、地誌などの資料
(7) 『新修大阪市史 第6巻 近代 2』 (新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1994.12)
「第一章「大大阪」への胎動 第一節 市制特例の廃止 2 特例廃止後の市制」のp.11-13「初代市長の選出」、p.13-14「助役の選出」、p.14-15「田村市長の辞任」の項に、田村太兵衛氏が市長となる選挙や辞任までの経緯について詳細な記述があります。p.12には写真が掲載されています。
(8) 国立国会図書館デジタルコレクション『南区志』 (新和出版社 1977) (図書館・個人送信限定) <当館書誌ID:0000260318>
https://dl.ndl.go.jp/pid/9573092/1/327 (2021.6.13確認)
大阪市南区役所1928年刊の復刻版です。
「附 区内著名物故者小伝」のp.552-554(コマ番号327-328)に「元大阪市南区心斎橋筋二丁目百十番屋敷 従六位 田村太兵衛 嘉永三年八月四日生」の項があります。
(9) 国立国会図書館デジタルコレクション『東区史 第5巻(人物篇)』(大阪市東区法円坂町外百五十七箇町区会 編 大阪市東区 昭和14) (図書館・個人送信限定) <清文堂出版復刻版 当館書誌ID:0000243048>
https://dl.ndl.go.jp/pid/1687510/1/623 (2022.12.26確認)
「第十一章 先覚者」のp.828-829(コマ番号623)に「田村太兵衛」の項があり、略歴と写真が掲載されています。
(10) 『大阪近代史話 :増補改訂』(「大阪の歴史」研究会/編 東方出版 1998.3)
「第二章 姿をととのえる大阪-明治期の大阪②-」のp.67-68「27 泥試合の初代大阪市長選」に、初代市長選に関する記述があります。
(11) 『百年の大阪 第3巻 明治時代 続』(大阪読売新聞社/編 浪速社 1967)
p.80-85「よみがえる自治-僅差だった初代市長選-」に、初代市長選に関する記述があります。
(12) 『近畿百年 -維新前後-』(朝日新聞大阪社会部/編 中央出版社 1967)
p.126-130「最初の大阪市長選」に、初代市長選に関する記述があります。
(13)『大阪市公文書館研究紀要』 1997年 9号 (大阪市公文書調査研究会/編集 大阪市公文書館 1997)
p.66-79堀田曉生「初代市長田村太兵衛の選出について」に、市長選の経緯が詳しく紹介されています。
資料(8)に記述のあった「従六位」については以下の『官報』で確認できました。
(14)国立国会図書館デジタルコレクション『官報. 1923年07月13日』(第3286号 大蔵省印刷局[編] 日本マイクロ写真 大正12年) (インターネット公開)
https://dl.ndl.go.jp/pid/2955409/1/3 (2021.6.13確認)
p.313(コマ番号3)「叙任及辞令」の一覧に「大正十二年七月十一日 叙従六位 田村太兵衛」とあります。
回答プロセス:1.商用データベース「JapanKnowledge」をキーワード“田村太兵衛”で検索、資料(1)が見つかる。
2.郷土関係の人物事典を確認、資料(3)(4)が見つかる。
3.商用データベース「日外レファレンス・コレクション(人物レファレンス事典plus)」をキーワード“田村太兵衛”で検索、資料(2)(6)が見つかる。
4.当館所蔵検索にてフリーワード“田村太兵衛”で検索、資料(13)が見つかる。
5. 「レファレンス協同データベース」にて、キーワード“田村太兵衛”で検索、当館登録事例「大阪市の初代市長、田村太兵衛の略伝」( https://crd.ndl.go.jp/reference/detail?page=ref_view&id=1000109356 )がヒット、資料(9)(11)が見つかる。
6.当館データベース「大阪関係資料目次検索」(外部非公開)をキーワード“田村太兵衛”で検索、資料(7)が見つかる。
7.大阪府立中之島図書館「おおさかポータル」( http://www.library.pref.osaka.jp/site/osakaportal/ )をキーワード“田村太兵衛”で検索、資料(10)(12)が見つかる。
8.「国立国会図書館サーチ」をキーワード“田村太兵衛”で検索、資料(5)が見つかる。
9.資料(2)の参考文献を確認、資料(8)が見つかる。
10.「国立国会図書館デジタルコレクション」で『官報』大正12年7月11日の田村太兵衛の叙位に関する記述を確認。(資料(14))
参考資料:当館書誌ID 大阪近代史話 :増補改訂 「大阪の歴史」研究会/編 東方出版 1998.3 9784885915055 資料(10),
参考資料:当館書誌ID 東区史 第5巻 人物篇 大阪市東区役所/[編] 清文堂出版 1982 資料(9),
参考資料:当館書誌ID 百年の大阪 第3巻 明治時代 続 大阪読売新聞社/編 浪速社 1967 資料(11),
参考資料:当館書誌ID 近畿百年 -維新前後- 朝日新聞大阪社会部/編 中央出版社 1967 資料(12),
参考資料:当館書誌ID 明治時代史大辞典 2 さ~な 宮地 正人/編 吉川弘文館 2012.7 978-4-642-01462-5 資料(2),
参考資料:当館書誌ID 大阪人物辞典 三善 貞司/編 清文堂出版 2000.11 9784792404994 資料(3),
参考資料:当館書誌ID 茶道人物辞典 原田 伴彦/編 柏書房 1981.9 資料(6),
参考資料:当館書誌ID 新修大阪市史 第6巻 近代 2 新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市 1994.12 資料(7),
参考資料:当館書誌ID [雑誌巻号] 大阪市公文書館研究紀要 1997年 / 9号 大阪市公文書調査研究会/編集 大阪市公文書館 1997 資料(13),
参考資料:当館書誌ID 南区志 大阪市南区長堀橋筋一丁目外九十一ヶ町区/編纂 新和出版 1977 資料(8),
参考資料:当館書誌ID 講談社日本人名大辞典 上田 正昭/[ほか]監修 講談社 2001.12 9784062108003 資料(1),
参考資料:当館書誌ID 大阪人物誌 続編 石田 誠太郎/著 思文閣(発売) 1974 資料(4),
参考資料:『官報. 1923年07月13日』大蔵省印刷局[編] 日本マイクロ写真 大正12年(インターネット公開) https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2955409 (2022.12.26確認) 資料(14),
参考資料:国立国会図書館デジタルコレクション『大阪人物小観:公人私人.上篇』(吉本義秋, 鵜崎熊吉 著 吉本義秋 明36.11)(インターネット公開) https://dl.ndl.go.jp/pid/777510/1/41 (2022.12.26確認) 資料(5),
(2022/12/29 00:30)
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編纂所が調査に関わったもの
サイト名
レファレンス協同データベース
サイトの説明
レファレンス協同データベース検索APIによる検索結果です。
サイトURL
https://crd.ndl.go.jp/
大阪市浪速区幸町にある安政の地震津波碑の碑文全文を知りたい。(大阪市立中央図書館)
安政の地震津波とは、嘉永7年(安政元年・1854年)11月4・5日に大阪を襲った紀伊半島沖に震源をもつ推定マグニチュード8.4の大地震と、それに伴って起きた大津波のことです。
その状況を記録し、後世の人のために戒めを伝える目的で安政2年7月に、被害の甚大だった浪速区幸町五丁目大正橋の東詰に石碑が建立されました。
そこには、大地震が起きた場合には必ず津波が襲うものと心得るべきだと教訓が書かれています。
・小田康徳「大阪における安政の地震津波碑と震災の記憶について」『ヒストリア』第148号(p.91~95)
碑文の原文全文が掲載されています。
ただし、「この文章はこの石碑から直に写したものではなく、浪速区幸町三丁目居住増井健蔵氏所収の木版刷にもとづくもので、若干の異同がある。」と記述されています。
・『大正大阪風土記』訂正(大阪教育部共同研究会/編 大正大阪風土記刊行会,1927)
「津波の碑」の項(p.327~328)にも碑文の原文の掲載がありますが、石碑の背面と右面の碑文のみです。
また、『ヒストリア』掲載のものと、句読点やかな使いに若干の異同がありますが、こちらが石碑から直に写したものかどうかは明らかにされていません。
・浪速区役所ホームページ http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html (2011.3.23確認)
「区のスポット・名所・旧跡」として「安政大津波記念」の碑が取り上げられています。
そこでは、碑に隣接して設置された記念碑に碑文の原文と共に現代語訳が記されているとした上で、現代語文を紹介しています。
2011年8月、大阪市史編纂所より、碑文に関する参考資料として以下のものが最適という情報をいただきました。
・『水都大坂を襲った津波 : 石碑は次の南海地震津波を警告している。』( 長尾 武/著・発行 改訂版 2007)
p.14~16に碑文の全文が記載されています。
参考資料:小田康徳「大阪における安政の地震津波碑と震災の記憶について」『ヒストリア』第148号 大阪歴史学会 1995.9 ,
参考資料:『大正大阪風土記』訂正 大阪市教育部共同研究会編 大正大阪風土記刊行会 1927,
参考資料:浪速区役所ホームページ>区内の官公署、主な施設、名所旧跡等>名所・旧跡等>区のスポット・名所・旧跡>碑>「安政大津波」の碑
http://www.city.osaka.lg.jp/naniwa/page/0000000848.html (2011.3.23確認),
参考資料:『水都大坂を襲った津波: 石碑は次の南海地震津波を警告している。』 長尾 武著・発行 改訂版 2007.2,
寄与者:大阪市史編纂所
備考:大阪市立図書館webギャラリー「大阪の災害 ~江戸・明治期にかけて~」http://www.oml.city.osaka.jp/image/themes/theme569.html (2011.3.23確認)、
小展示「幕末の大坂を襲った大地震と大津波」(平成16年12月 大阪府立中之島図書館作成)
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/63_jisin.html (2011.3.23確認)もご参照ください。
(2012/04/17 14:41)
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大阪上本町の近鉄百貨店辺りにあった「梅屋敷」についての資料はないか?(大阪市立中央図書館)
「東都亀戸の梅屋敷を模して、文化年間に造ったもの~生玉馬場の東(現在の上本町六・七丁目辺)にあり、園中に梅を植え、樹下に席を設け~秋には菊観で賑わった~。~日露開戦の一二年後には、山口銀行主の山口吉郎右衛門氏本邸となり、大正期には忘れさられてしまった。」
(「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号 2008より)
『浪華の賑ひ』 (鶏鳴舎暁晴/編輯 ; 松川 半山/画図 中外書房,1975|安政2年版の複製)26丁に”梅屋敷”についての記述がある。
その他は以下のとおり。
・『浪速叢書 第7 摂津名所図会大成 其1』 (船越 政一郎/編 暁 鐘成/著 名著出版,1978)p277~278
・『大阪府全志 巻之2』(井上 正雄/著 清文堂,1985|大正11年刊の復刻)p764
・『上方』 26 表紙 193302 /『上方』 30 「三十年前の大阪東部」寺川信 p33-34、35 193306
※ 『上方 郷土研究 3(上) 自第二十五号(昭和八年一月)至第三十号(昭和八年六月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969)所収
・『天王寺区史』 (川端 直正/編 天王寺区創立三十周年記念事業委員会,1955.10) p84、406
・徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号 1980.9(p82-87)
・『京阪名所案内』 (白土 幸力/編輯 博盛堂,1904) p13
・『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟』 (大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻)p79-80
・『大阪新繁昌記』 (島本 篤平/著 島本篤平,1894.10)p18-19
・『大阪案内』 (日本電報通信社大阪支局,1909)p205
・『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』(国書刊行会,1985.11)
大阪の梅園(p.34.35) 図版・解説あり。
『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])には「梅屋敷」の絵が収録されており、
大阪市立図書館 画像データベースで画像を提供しているほか、大阪市立図書館Webギャラリー「なにわ花めぐり 」でも同画像を紹介。
”梅屋敷”の位置と広さについては、次の資料による。
『新修大阪市史 第10巻』 (新修大阪市史編纂委員会/編集 大阪市,1996.3) 歴史地図 図5 天保期の大坂三郷
『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[地図] 』 (吉江集画堂地籍地図編輯部/編纂 吉江集画堂,1911)
『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[土地台帳] 』 ([吉江集画堂地籍地図編輯部/編] 吉江集画堂,1911)
国立国会図書館ホームページの「写真の中の明治・大正 関西編」 梅屋敷には、
『旅の家つと23号』(大阪市立図書館所蔵なし)掲載の梅屋敷の写真が紹介されており、関連する近代デジタルライブラリーへのリンクあり。
大阪府立図書館に『梅屋敷の記』(黒沢翁満 1846)が所蔵されており、「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」で画像が公開されている。
また、「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号(2008(平成20)年3月31日)本文もホームページ紀要のページで公開されている。
また、大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」では、 『浪花百景』(芳瀧画)・『浪華百景之内』(貞信(初代)画)の画像を見ることができる。
回答プロセス:『大阪史蹟辞典』(三善 貞司/編 清文堂出版,1986.7)には記載なし。
大阪市史編纂所に助言を得る。
2010.3追加調査
1.大阪府立中之島図書館 ホームページで調査
大阪文献データベースhttp://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2010.3.24確認)を調査
事項から検索 “梅屋敷”
『上方』 26 表紙 193302 /『上方』 30 「三十年前の大阪東部」寺川信 p33-34、35 193306
※ 『上方 郷土研究 3(上) 自第二十五号(昭和八年一月)至第三十号(昭和八年六月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969)所収
『上方』 31 p62-63 193307 新梅屋敷が中心
※『上方 郷土研究 3(下) 自第三十一号(昭和八年七月)至第三十六号(昭和八年十二月)』(上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969) 所収
『天王寺区史』 (川端 直正/編 天王寺区創立三十周年記念事業委員会,1955.10) p84、406
『梅屋敷の記』 黒沢翁満 1846 大阪市立図書館所蔵なし
文献名から検索 “梅屋敷”
徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号 1980.9(p82-87)
『梅屋敷の記』 黒沢翁満 1846 大阪市立図書館所蔵なし
『梅屋敷の記』(黒沢翁満 1846)は、「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」で画像公開を確認。
「錦絵にみる大阪の風景」 http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認)では、
名所名 梅屋敷で二つの画像を見ることができる。
2.国立国会図書館写真の中の明治・大正 関西編 梅屋敷http://www.ndl.go.jp/scenery/kansai/data/79/index.html (2010.3.24確認)を調査
『旅の家つと23号』(大阪市立図書館所蔵なし)掲載の梅屋敷の写真が紹介されており、代デジタルライブラリーの関連する下記タイトルへのリンクあり。
『京阪名所案内』 (白土 幸力/編輯 博盛堂,1904) p13
『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟』 (大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻)p79-80
『大阪新繁昌記』 (島本 篤平/著 島本篤平,1894.10)p18-19
『大阪案内』 (日本電報通信社大阪支局,1909)p205
貴重書画像データベースで紹介されている『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])も含め、当館所蔵あり。
3.CiNii - NII論文情報ナビゲータhttp://ci.nii.ac.jp/ (2010.3.25確認)を調査
キーワード“梅屋敷”で検索。
小笠原 弘之 , 山田 瑞穂 , 佐藤 敏江 [他] 「翻刻『梅屋敷の記--一名 このはな』 翻刻『松島紀行』」 『大阪府立図書館紀要』 (37),2008/3 が見つかる。
大阪府立図書館紀要ページで本文公開を確認。
2010.10追加
『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』(国書刊行会,1985.11)
大阪の梅園(p.34.35) 図版・解説あり。
事前調査事項:『葎居後集 1~3巻』(黒沢翁満著 河内屋和助 安政5.6(1858))
参考資料:『浪華の賑ひ』 鶏鳴舎暁晴/編輯 ; 松川 半山/画図 中外書房,1975,
参考資料:『浪速叢書 第7 摂津名所図会大成 其1』 船越 政一郎/編 暁 鐘成/著 名著出版,1978 浪速叢書刊行会 1927年刊の復刻 ,
参考資料:『大阪府全志 巻之2』 井上 正雄/著 清文堂,1985 ISBN 4-7924-0271-9大正11年刊の復刻 ,
参考資料:『新修大阪市史 第10巻』 新修大阪市史編纂委員会/編集
大阪市,1996.3,
参考資料:『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[地図] 』 吉江集画堂地籍地図編輯部/編纂 吉江集画堂,1911,
参考資料:『大阪地籍地図 南区及接続町村之部[土地台帳] 』 [吉江集画堂地籍地図編輯部/編] 吉江集画堂,1911,
参考資料:大阪市立図書館Webギャラリー「なにわ花めぐり 」http://www.oml.city.osaka.jp/image/themes/theme829.html (2010.3.25確認),
参考資料:「大阪府立中之島図書館貴重書画像データベース」http://rarebooks.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認),
参考資料:「翻刻『梅屋敷の記- 一名 このはな』」『大阪府立図書館紀要』第37号 2008(平成20)年3月31日 http://www.library.pref.osaka.jp/lib/kiyo.html (2010.3.25確認),
参考資料:『上方 郷土研究 3(下) 自第三十一号(昭和八年七月)至第三十六号(昭和八年十二月)』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1969 ,
参考資料:徳永慶太郎「七十年前の上六」『大阪春秋 大阪の歴史と文化と産業と 阿倍野・住吉・天王寺 特集』25号 第8巻第3号1980.9(p82-87) <当館書誌ID:0000253458>,
参考資料:『京阪名所案内』 白土 幸力/編輯 博盛堂,1904,
参考資料:『大阪府誌 第5編 名勝旧蹟 』 大阪府/編纂 思文閣,1970 大阪府 明治36年刊の復刻,
参考資料:『大阪新繁昌記』 島本 篤平/著 島本篤平,1894.10,
参考資料:『大阪案内』 日本電報通信社大阪支局,1909,
参考資料:大阪府立中之島図書館「錦絵にみる大阪の風景」 http://fukeiga.library.pref.osaka.jp/ (2010.3.25確認),
参考資料:国立国会図書館写真の中の明治・大正 関西編 梅屋敷http://www.ndl.go.jp/scenery/kansai/data/79/index.html (2010.3.24確認),
参考資料:『目で見る明治時代 明治風俗画集成 2』国書刊行会/編 国書刊行会,1985.11,
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.3.24確認)
備考:大阪市立図書館Webギャラリー「大阪名所めぐり」http://www.oml.city.osaka.jp/cgi-bin/img_src/disp_themes.cgi (2011.2.4確認)もご参照ください。
2010年3月18日から4月1日まで大阪市立図書館サイトトップ( http://www.oml.city.osaka.jp/ )で、
「梅屋敷」 (『写真浪花百景 上編 中編』(長谷川 貞信/画 一荷堂 半水/著 綿屋喜兵衛,[1868頃(明治初年)])をご紹介しました。
「古文書や大阪関係の地図を検索する」 http://www.oml.city.osaka.jp/cgi-bin/img_src/s_all.cgi (2010.12.17確認)で、書名 図名“写真浪花百景”で検索し、17ページをご参照ください。
山口吉郎兵衛(4代)やまぐち-きちろべえ(1883-1951) 明治-昭和時代の銀行家。
明治31年大阪第百四十八国立銀行を山口銀行(三和銀行の前身)に改組し,社長となる。陶磁器の収集家,茶道家としても知られる。大阪出身。号は滴翠。(『日本人名大辞典』(平凡社)山口吉郎兵衛(4代)の項目より抜粋)
(2011/04/23 16:54)
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石川静水という人物について知りたい。大阪で化粧業界紙の発行をしていた人らしい。(大阪市立中央図書館)
石川静水は、石川清三郎のこと。大阪化粧品商報主筆。
雑誌『あまカラ 33号』(甘辛社,1954.5)「哥沢初稽古」(p.38)に、石川静水について記述がある。
それによると、金物問屋に生まれ、隣家の南木芳太郎(なんきよしたろう:明治15(1882)年-昭和20(1945)年 昭和期の郷土史家。上方郷土研究会を創立し、大阪の近世・近代史を研究)と御津幼稚園からの竹馬の友であった。
また、石川静水の執筆したものとして下記を紹介。
1)『上方』101 「百人随筆集その2 芳チャンと上方」193905 (p.24-25)
南木芳太郎についての記事で、島之内の新屋敷を遊び場としていた事等が綴られている。
2)『上方』50 「新屋敷」193502 (p.35-38)
3)『上方』68 「宗右衛門町に涼みがあった時代」193608 (p.10-11、46-47)
4)『上方』81 「見世物と流行歌」193709 (p.57)
城崎文芸館(兵庫県) http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/bungaku/bungekan/bungai.html (2010.5.10確認)には、静水撰の画帖「城崎八景」所蔵があり、あわせて紹介する。
回答プロセス:1.人物関連の参考図書を調査
下記に記載なし。
『大阪人物辞典』(清文堂出版,2000.11)
『『大阪春秋』総目次・索引集 創刊号~第100号』(大阪春秋社,2002.9) 人名の項目なし
『上方 郷土研究 別巻』(新和出版社,1971) 町人学者・俳句・新聞・出版の各項目 該当なし
『新修大阪市史 第10巻』(大阪市,1996.3) 索引 該当なし
『明治大正昭和大阪人名録 上巻』( 日本図書センター,1989.10)
『大阪人物誌 正編 』(臨川書店,1974)、『大阪人物誌 続編』(臨川書店,1974)
『日本書画骨董大辞典 増訂版』(成文館書店,1935.8)
『日本紳士録 24版』(交詢社,1919.12)
2.大阪の化粧品業界の資料を調査
当館所蔵を、キーワード“大阪×出版×化粧品”で検索。
『日本の書店百年』 (青英舎,1991.7)の内容確認するが、記述なし。
3.大阪府立中之島図書館大阪文献データベース http://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2010.5.10確認)
“石川静水”で検索。事項から検索 0件、文献名から検索すると、下記の4件の記事があり。
1)上方 101 百人随筆集その2 芳チャンと上方/石川静水 p24-25 193905
2)上方 50 新屋敷/石川静水 p35-38 193502
3)上方 68 宗右衛門町に涼みがあった時代/石川静水 p10-11、46-47 193608
4)上方 81 見世物と流行歌/石川静水 p57 193709
4.インターネットで調査
国立国会図書館 蔵書検索・申込システム http://opac.ndl.go.jp/ (2010.5.10確認)、
近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/index.html (2010.5.10確認)では情報なし。
Googleで、“石川静水”検索、城崎文芸館が同氏撰の画帖を所蔵していることが判明。
5.当館提供商用データベースで調査
下記全て“石川静水”が該当なし
e-レファレンス/ツール(日外 人物・出版情報)
聞蔵Ⅱビジュアル(朝日新聞 一部記事写真閲覧可)
The SankeiArchives(産経新聞記事)
日経テレコン21(日経四紙記事)
毎日Newsパック(毎日新聞記事)
ヨミダス文書館(読売新聞記事)
6.大阪市史編纂所に照会
化粧品商報社の編集をしていた人物である。
肥田晧三氏の講演会(「中井浩水著作目録(二) 大阪芸能懇話会 平成16年6月27日)レジュメの中に、“静水”についての記載(雑誌『あまカラ33号』より抄出)があるとの情報を得た。
参考資料:『あまカラ 31~40号』(甘辛社,1954.3-12),
参考資料:『上方 郷土研究 10(上)』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』101所収,
参考資料:『上方 郷土研究 5』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』50 所収,
参考資料:『上方 郷土研究 6』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』68 所収,
参考資料:『上方 郷土研究 7』上方郷土研究会/編集 新和出版社,1970 『上方』81 所収
,
照会先:城崎文芸館 http://www.kinosaki-spa.gr.jp/infomation/bungaku/bungekan/bungai.html (2010.5.10確認)
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.5.10確認)
備考:大阪市立図書館多機能OMLISでは、2011年4月より商用データベース「毎日Newsパック」に代えて「毎索」(マイサク)(毎日新聞記事)を提供。
(2011/04/08 20:23)
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明治36年(1903)、第五回内国勧業博覧会開催時に、親子丼が販売提供されていたか知りたい。(大阪市立中央図書館)
『大阪三六五日事典』(東方出版,2002.2)「明治36年3月1日内国勧業博覧会開幕」の記事(p.46)に、“鳥菊”主人考案の十五銭の親子丼が、会場から誕生したとの記述あり。
あわせて下記の資料をご紹介した。
・『博覧会』(「実業世界太平洋」臨時増刊第1巻第五号)(博文館,1903)
山下雨花「余興と飲食物」の項目に下記の記述あり。(p.189 下段)
「鳥菊の鳥、~その鋤焼に親子丼の風味は、~」
・『博覧会土産 大阪及び附近の名所案内』(山下 雨之助/編 岡本偉業舘,1903)
「場内飲食店」の項目に、「鳥菊」あり。(p.29-30)建物の記述等あるが、親子丼の記述なし。
・『第五回内国勧業博覧会場内観覧案内』(山田 鎗之助/著 大阪製本印刷,1903)
鶏肉料理 内本満助(p.57)
・『第五回内国勧業博覧会場全図』(博文館,1903)
鶏肉料理 内本(図の中央あたりの上部)
・『第五回内国勧業博覧会案内記』(井上 熊次郎/編纂 考文社,1903)
鶏肉料理 内本満助(p.83)
・『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)
国立国会図書館近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認)
「博覧会ト飲食店」の項目に、鳥菊・内本満助の記述あるが、親子丼の記述はなし。(p.80.81)
回答プロセス:1.商用データベース「Japan Knowledge(ジャパンナレッジ)」(事典・辞書等) を調査
キーワード“親子丼”で検索、4件の項目が見つかるが詳しい由来はなし。
キーワード“親子丼”で全文検索、22件の項目のうち、由来については下記の項目にあり。
『日本大百科全書』(小学館)【丼物】
「親子丼は、東京・中央区の玉秀という鳥料理屋で明治初期に創作したもの。」
2.参考図書を調査
・『明治・大正家庭史年表 : 1868→1925 』(河出書房新社,2000.3)
明治36年3月1日、大阪で初めて“親子丼”が売り出されるとあり。(p.300)
・『衣食住語源辞典』(東京堂出版,1996.9)
1903年7月26日『大阪毎週新聞』に“親子丼”の文字が見える、とあり。(p.59)
※『大阪毎週新聞』は所蔵せず。
事物起源・料理の歴史に関する図書も調査するが、関連の記述は見つからない。
3.大阪府立中之島図書館大阪文献データベースhttp://refdb.library.pref.osaka.jp/cdb0100.asp (2011.3.7確認)を調査
キーワード“親子丼”で検索、下記の図書が見つかった。
・『大阪三六五日事典』(東方出版,2002.2)
「明治36年3月1日内国勧業博覧会開幕」の記事(p.46)に、“鳥菊”主人考案の十五銭の親子丼が、会場から誕生したとの記述あり。
4.googleブックス http://books.google.com/ (2011.3.7確認)で調査
キーワード“親子丼”ד内国勧業博覧会”で検索、下記の図書が見つかった。
・『語源海』(東京書籍,2005.3)
料亭鳥菊の主人、内本松次郎の名あり。(p.171)
・『日本史「はじめて」事典』(PHP研究所,2009.3)
鳥菊の主人・内本松次郎の名あり。(p.97) ※利用者調査済
5.新聞データベースを調査
・商用データベース「聞蔵Ⅱビジュアル」(朝日新聞 一部記事写真閲覧可)
「朝日新聞縮刷版」メニューで調査
大阪朝日新聞の1903年7月26日から8月2日まで内国勧業博覧会の記事を確認してみるが、“親子丼”の記事はなし。
“鳥菊”で検索すると、明治18年(1885)6月13日大阪朝刊4頁に広告「鳥菊 近火御見舞御礼」などが見つかる。
親子丼についてはなし。
“親子”ד丼”で検索すると、明治17年(1884)の神戸元町の「江戸幸」の広告に
「親子上丼」「親子並丼」「親子中丼」の名称あり。
・商用データベース「ヨミダス歴史館」(読売新聞記事)
関連の記述見つからず。
6.大阪市史編纂所にお尋ね
“第五回内国勧業博覧会”の出店記録は資料としてあるだろうが、“親子丼”を販売していた等の記録はないと思われ、見聞記や新聞記事等に記述が見つかる可能性を示唆された。
7.第五回内国勧業博覧会関係資料を調査
回答記載の資料に関連する記述を確認。
8.国立国会図書館 近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/index.html (2011.3.7確認)
第五回内国勧業博覧会関係で、当館の所蔵していないものを確認。
『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認)
「博覧会ト飲食店」の項目に、鳥菊・内本満助の記述あるが、親子丼の記述はなし。(p.80.81)
事前調査事項:『日本史「はじめて」事典』(PHP研究所,2009.3)に鳥菊の主人・内本松次郎の名あり。(p.97)
参考資料:『博覧会』博文館,1903,
参考資料:『博覧会土産 大阪及び附近の名所案内』山下 雨之助/編 岡本偉業舘,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会場内観覧案内』山田 鎗之助/著 大阪製本印刷,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会場全図』博文館,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会案内記』井上 熊次郎/編纂 考文社,1903,
参考資料:『第五回内国勧業博覧会報告書』(大阪市商工課, 明37.5)
国立国会図書館近代デジタルライブラリー http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/801969/44 (2011.3.7確認),
寄与者:大阪市史編纂所http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2011.3.7確認)
(2011/03/19 10:29)
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生島永太郎(いくしま えいたろう)について知りたい。明治の終わりから戦前ぐらいまでの大阪商人(久太郎町)。 甲南小学校の設立者の一人で、明治45年に大阪保誉院を作った人。父は生島嘉蔵(かぞう)。(大阪市立中央図書館)
生島永太郎は、明治7年11月生。生島家では、代々嘉蔵を襲名している模様。下記の資料をご紹介した。
1.『社団法人大阪保誉院記念帳』(大阪保誉院清算事務所,1935.7)
「起源及沿革」ほかに記載あり。生島永太郎(嘉蔵)の表記が多数。
2.『大阪府社会事業史』(大阪社会福祉協議会,1958)
生嶋永太郎を中心に組織された辰巳会によって廃兵の収容所として明治45年泉北郡三宝村に開設(p270)
3.『甲南学園50年史』 (甲南学園,1971.3) 『甲南学園の70年』 (甲南学園,1992)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり。
4.『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5
「大阪現代人名辞書 1」(復刻 初版:文明社 大正2年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月25日生まれ。長男永太郎(明治7年11月生)とあり。 (p69)
回答プロセス:1.当館所蔵を検索
“生島永太郎”では該当なし。
2.商用データベースで調査
商用データベース「ジャパンナレッジ」 該当なし
商用データベース「e-レファレンス/ツール」 生島嘉蔵(いくしまかぞう)はあり。
「文政4(1821)年~明治32(1899)年7月2日 江戸時代末期・明治期の商人、貿易商。貿易業に従事、唐反物を取り扱う。【掲載事典】◎「幕末維新人名事典」
永太郎の祖父にあたるのか?
3.中之島図書館「大阪文献データベース」を調査
該当無し。
4.『新修大阪市史』索引になし。
5.大阪保誉院関連の資料を調査
『社団法人大阪保誉院記念帳』(大阪保誉院清算事務所,1935.7)に記載あり。
『大阪府社会事業史』(大阪社会福祉協議会,1958)
生嶋永太郎を中心に組織された辰巳会によって廃兵の収容所として明治45年泉北郡三宝村に開設(p270)
6.甲南学園関係資料を調査
『甲南学園50年史』 (甲南学園,1971.3)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり(p4)。
『甲南学園の70年』 (甲南学園,1992)
甲南小学校の創立事務に当たった11人の中に名前あり(p18)
7.大阪関係の人物事典を調査
『都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1 復刻』渋谷 隆一/編 日本図書センター,1991.2
大阪市商工業者資産録(商業興信所編 1902(明治35)年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月生まれとあり。職業欄は空欄。
『明治大正昭和大阪人名録 上巻』 (日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 明治43年刊)の復刻)に、生島嘉蔵あり。住所と所得税・電話の掲載(p20)
『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5
「大阪現代人名辞書 1」(復刻 初版:文明社 大正2年刊)
生島嘉蔵 安政3年(1856)1月25日生まれ。長男永太郎(明治7年11月生)とあり。 (p69)
『大阪人物辞典』 (三善 貞司/編 清文堂出版,2000.11)
生島嘉蔵 文政4(1821)年 (p62) 「幕末維新人名事典」掲載と同人物
『日本人物情報大系 32 企業家編 2』(皓星社,2000.3)
生島嘉蔵のみ。
下記には記載無し。
『明治大正昭和大阪人名録 中巻』 (日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 大正14年刊)の復刻
『明治大正昭和大阪人名録 下巻』(日本図書センター,1989.10)
「日本紳士録」(交詢社 昭和11年刊の復刻)
『大阪新人大観』(升谷 天惠/著 大阪新人大観編纂局,1925)
『大阪新人物誌』(夕刊大阪新聞社,1934.6)
『大阪の公人 : 付・連合区制の小史』 (山本 桃洲/著 大阪の公人刊行事務所,1916.4)
8.近代デジタルライブラリーで調査
『明治富豪譚』(大阪毎日新聞社 明治25.9)「生島嘉蔵乗車賃を二銭に限る」
『当世名士譚』(米倉領次郎,明25.10)「生島嘉蔵の質朴」
年代からして、永太郎の父のことか。
9.大阪市史編纂所におたずね
有用な情報なしとのこと。
参考資料:『社団法人大阪保誉院記念帳』大阪保誉院清算事務所,1935.7,
参考資料:『大阪府社会事業史』大阪社会福祉協議会,1958,
参考資料:『甲南学園50年史』 甲南学園50年史出版委員会/編 甲南学園,1971.3,
参考資料:『甲南学園の70年』 甲南学園史資料室委員会/編集 甲南学園,1992,
参考資料:『都道府県別資産家地主総覧 大阪編 1 復刻』渋谷 隆一/編 日本図書センター,1991.2 ISBN 4-8205-5416-6,
参考資料:『明治大正昭和大阪人名録 上巻』 日本図書センター,1989.10 ISBN 4-8205-2058-X,
参考資料:『大阪人名資料事典 第1巻』 日本図書センター,2003.5 「大阪現代人名辞書 1」文明社/編纂 復刻 初版:文明社 大正2年刊 ISBN 4-8205-9966-6 ,
参考資料:『大阪人物辞典』 三善 貞司/編 清文堂出版,2000.11 ISBN 4-7924-0499-1,
寄与者:大阪市史編纂所 http://www.oml.city.osaka.jp/hensansho/ (2010.1.23確認)
備考:商用データベース「e-レファレンス/ツール」は、2010年6月から「e-レファレンス・ライブラリー」(日外 人物・出版情報) に変更。
(2010/12/13 19:38)
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