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大阪に関するよくある質問
図書館に寄せられるよくお尋ねのある質問と回答をまとめてみました。
大阪に関するよくある質問
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質問
外島(そとじま)保養院が西淀川区にあったのはいつですか?またその場所はどこですか?
回答
外島保養院とは1909年4月1日「癩予防ニ関スル件」(明治40年法律第11号)に基づき設置されたハンセン病療養所で、現在の西淀川区中島2丁目付近にありました。入所者自治会がまとめた『風と海のなか』*1には、「外島保養院は1909年(明治42年)4月1日に、大阪府西成郡川北村外島に、第3区府県立のハンセン病療養所として開院された。・・・大阪府西成郡川北村外島は、この尼崎市と左門戸川一つを隔てたところにあり、西北は尼崎、西南は大阪湾、南東に神崎川や新淀川の流れを見る地点にあった。この辺りは神崎川が幾つにも分かれてデルタ地帯を作っているところで、大小いくつかの中洲が島をなしており、保養院のあった島は北に中島、南に布屋などの地区があったが、人口はごく少なく、大方は葦の生い茂る湿地帯で、いくらか開発された所には畑と牛の放牧地があった程度のところであった。」とあります。外島に療養所が建設されることになったのは、1907(明治40)年3月19日に帝国議会で法律第11号(「癩予防に関する件」といわれるもの)が議決され、これに基き「道府県ライ患者療養所設置区域」が内務省令第20号として、同年7月22日に発令され、「第3区として京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、三重県、岐阜県、滋賀県、福井県、石川県、富山県、鳥取県、和歌山県の区域におけるらい患者を入らしむる為療養所を設置すべし」と定められたためで、外島保養院が近畿二府十県の府県連合立の療養所として建設されることになり、工事が始まり、完成して開院するまでには約1年半かかりました。『風と海のなか』*1によると「外島保養院は2万坪の敷地のうち10分の4は官舎地帯、正門に続く事務本館、医官室、諸種の詰め所がたてられ、残りの半分を患者住宅地帯、残りの半分が農地とされた。官舎地帯と患者地帯とは厳重に区切られ、・・・・患者地域にはただ1か所、北西の隅に左門戸川堤防に上がる裏門があり、その外には外部へ出る道はなかった。裏門脇には守衛(1925年に廃止)がいて、いったん入院した患者はそうたやすくはこの門をでられはしなかった」とあります。そして、臨海部におかれていたため台風の高潮に弱かったこと、病気で体の不自由な人が少なくなかったことなどは、後のおおきな災害を生む原因のひとつもなりました。1925(大正14)年4月1日に大阪市が市域を拡大して、西成、東成郡を大阪市に編入したので、大阪市西淀川区が誕生し、外島も大阪市西淀川区外島町になりました。1934(昭和9)年9月21日近畿地方を襲った室戸台風によって、外島保養院は壊滅しました。この台風は大阪、兵庫、京都3府県で家屋の全半壊97,900戸、小学校中学校236校、死者291名、行方不明91名、負傷者12,197人の大きな被害をもたらしました。強風だけではなく、大雨が降り、大阪湾一帯には高潮が押し寄せ396,000戸が浸水、48,265戸が全壊または流失しました。外島保養院では建物は全壊流失し、患者173名、職員3名、及びその家族11名の犠牲者をだしました。その台風のすさまじさは『地面の底がぬけたんです』*2に藤本としさんの手記に書かれています。助かった患者たち416名は緊急措置として各地の6施設に分散委託して、暮らしながら、外島での復興を待ちましたが、地元の反対もあり、結局外島に再建されることはありませんでした。1938(昭和13)年4月に岡山県邑久郡の長島(現在の瀬戸内市)にあらたに「光明園」として生まれ変わることになり、患者たちはそこへ移って暮らすことになりました。なお外島保養院の跡地には、石碑が建てられています。
参考文献
*1『風と海のなか:邑久光明園入園者八十年の歩み』邑久光明園入園者自治会 1997書誌ID 0011569759
*2『地面の底がぬけたんです』 藤本とし著 思想の科学社 1979 書誌ID 0000173206
『ハンセン病問題に関する真相究明報告書』大阪市・大阪市ハンセン病問題検討委員会 2006書誌ID 0011157900
『大阪府ハンセン病実態調査報告書』大阪府 2004 書誌ID 0010874545
『部落問題研究』第173号抜き刷「ハンセン病療養所における患者自治の模索―第3区府県立量要所外島保養院の場合」松岡弘之『月刊ヒューマンライツ2001年9月/162号』 「外島保養院の記念碑」小山仁示 部落解放・人権研究所 2001書誌ID 5110164842
『ハンセン病療養所 隔離の90年』太田順一写真 全国ハンセン病療養所入所者協議会編 解放出版社 1999 書誌ID 0000777738
『近現代日本ハンセン病問題資料集成 補巻1 外島保養院年報 上巻』藤野豊編・解説 不二出版 2004 書誌ID 0010840413
『近現代日本ハンセン病問題資料集成 補巻2 外島保養院年報 下巻』藤野豊編・解説 不二出版 2004 書誌ID 0010840414
『大阪の歴史2009年1月号/72号』「戦前期ハンセン病療養所における作業制度と患者自治」松岡弘之著・「戦前・戦時期大阪におけるハンセン病者の処遇」廣川和花著 大阪市史料調査会 2009 書誌ID 5111802183
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